一昨年に復刻した「浪裡白跳張順(ろうりはくちょうちょうじゅん)」が大好評。 同シリーズ『通俗水滸伝豪傑百八人』復刻のご要望をたくさんいただき、今秋「短冥次郎阮小吾(たんめいじろうげんしょご)」を新たに復刻しました。
今回のコラムでは、江戸当時から人々を魅了してやまない「水滸伝」の秘密を探ります!
◆国芳の名を揚げた「武者絵」 江戸日本橋本銀町(現在の日本橋本石町あたり)に生まれた国芳は、幼い時から絵を描き、15歳で当時人気を博していた絵師・歌川豊国に入門。 その後、人気絵師の仲間入りを果たすきっかけとなったのが30歳頃に出版された『通俗水滸伝豪傑百八人』というシリーズです。
◆水滸伝とは?「水滸伝」は、明代の中国で書かれた伝奇歴史小説の大作で、輸入された江戸時代には多く翻訳本が出され、読み物として庶民の間で人気の小説でした。
版元である加賀屋がその人気に合わせ出版を企画し、国芳に水滸伝の豪傑を描かせました。 それ以前も北斎が描いた挿絵の本などがあったようですが、他の版元のものとは違い豪傑一人一人をクローズアップし描いた『通俗水滸伝豪傑百八人』は、力感あふれる構図と色彩豊かなヒーローの姿に爆発的な人気となりました。
 ◆水練の達人「阮小吾」本図に描かれている阮小吾とは、どんな人物だったのでしょう。説明文には、 「衛州石碣村(えいしゅうせきかつそん)の産にして胸に豹の彫物す 性勇猛にして能(よく)水中に長く身を潜(かく)す術を得たり 梁山泊の隊軍(すいぐん)にて金沙潭(きんしやたん)に敵船の大将を捕ふ」とあります。
阮小吾は、梁山泊の岸辺に住む漁師、阮小二・小五(吾)・小七の三兄弟のうちの次男で、水練の達人でした。阮三兄弟は官軍の船が梁山泊の討伐に来た時、小船に乗ってわざと敵の前に姿を現し、敵船を金沙潭の狭い入江に誘い、敵将を水中に引き込んで戦った勇ましい姿が描かれています。水中を泳ぐ魚たちを頭上に描き、大胆な動きのある構図が魅力的な作品です。
◆彫師の腕の見せどころ 国芳が描いた「水滸伝」の魅力の一つと言えば、多くの豪傑の体に描かれた緻密で華やかな刺青。「阮小吾」の背中には豹が彫られています。 隣に置いた1円玉と比較すると一目瞭然。
これほど繊細な彫となると、当時から技術を認められた彫師だけが彫ることを許されたと考えることができます。熟練の技術を要する緻密な彫は、まさに彫師の腕の見せどころ。間近で見ていただきたいポイントです。
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