「錦」のように美しい絵・浮世絵
北斎が描いた版下絵をもとに、彫師が版木を彫りあげた後、その版を使って一色ずつ摺りあげていくのが摺師の仕事です。当時浮世絵は、「錦絵」と呼ばれるくらい色の鮮やかさが特徴でした。
多くの色に囲まれて生活している現代とは異なり、江戸の庶民にとって浮世絵は、色をふんだんに楽しむことのできる最高の娯楽だったことが想像できます。そういう意味で、摺師の仕事は、浮世絵の出来を決める最後の要といってもいいでしょう。 |
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<錦絵の代表・神奈川沖浪裏> |
海を渡ってベルリンから来たブルーの色鮮やかさ
今なお国内外で人気の北斎「神奈川沖浪裏」においても色、特に青色の存在は、躍動感あふれる波を表現するのに不可欠だったといえるでしょう。
本図には、アウトラインに使われている本藍といわれる渋めの青の他に、江戸後期にヨーロッパから輸入された化学的顔料のプルシアンブルー(ベロ藍)が使われています。
ベロ藍は、それまで日本にはなかった色鮮さで当時大変人気があり、浮世絵、特に北斎や広重の風景画に見られます。まさに流行の色を取り入れて、庶民に楽しんでもらおうという浮世絵の姿が垣間見られます。
右図の波頭部分に見ていただいても、濃さの異なる2つのベロ藍を用いて、巧みに色を摺り重ねることで色鮮やかかつ立体的な大波を生み出しています。 |
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<波頭に使われた3つの青> |
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左の写真は、ベロ藍を水で溶いた絵具鉢です。摺られた作品の二種類のベロ藍の色と比べると、全然発色が違いますね。結構濃いですが、摺った作品をみるとどうして綺麗な発色の青になるのでしょう?
そこには、使う和紙と摺師の技に秘密があります。 |
<ベロ藍を水で溶いた絵具鉢> |
北斎・波の「青」の発色を生む最高品質の和紙と一流の摺師の技
紙は、楮(こうぞ)を原料にした奉書(ほうしょ)という和紙が江戸時代から使われています。現在、アダチ版画研究所では、越前和紙の人間国宝・岩野市兵衛さんが漉いた最高級の奉書紙を使って、すべての作品の制作を行っています。 |
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<奉書を漉く九代目岩野市兵衛氏> |
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奉書紙の特徴としては、何回も色を摺り重ねても破れることのない耐久性があると同時に、水性の絵具で摺った時の発色の良さや質感が他の紙と異なります。
ここで、作品の裏を見てみましょう。浮世絵の発色を支える秘密がそこにあります。 |
<奉書に摺られ美しく発色するベロ藍> |
右図をご覧いただくと、和紙の裏に絵具が入り込んでいます。これが浮世絵・木版画の特徴であり、他の印刷物と異なる点です。和紙特有の長い繊維の中に、水性の絵具を摺師が馬連で摺り込むことで浮世絵独特の発色が生まれるのです。 |
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<絵具が摺り込まれる作品の裏面の様子> |
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摺師・京増曰く、
「和紙の中に絵具を"きめ込んでいく"ことが、摺るときにとっても重要です。奉書は、しっかりとした和紙ですので力をきちんと入れない色がつかないんです。馬連にしっかりと力をのせて摺ることで綺麗に発色させることができます。結構、体力仕事でもありますね。
神奈川沖浪裏は、青の濃淡のバランスで波の立体感をみせるので色の調合も気を遣うところですね。」 |
北斎がイメージした躍動感あふれる波「神奈川沖浪裏」の魅力は、このように最高品質の和紙と一流の技があいまってこそ、生まれることが制作工程からうかがい知ることができます。
世界中を魅了する"The Great Wave"は、絵師・北斎の壮大な創作意図を汲んだ一流の彫師・摺師が技の限りを尽くすことで生まれた傑作なのです。 |
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