■端午の節句のはじまり
5月5日は端午の節句。男の子の健やかな成長を願う、伝統的なお祭りです。 そんな端午の節句が日本で始まったのは、奈良時代といわれています。体を壊しやすい季節の変わり目に、人々は邪気を払うとされる薬草「菖蒲」を軒先に飾ったり湯に入れたりして無病息災を祈っていたそうです。その後、武士の台頭によって、「菖蒲の節句」は「尚武(武をたっとぶ)の節句」として盛んに祝われるようになっていきます。 江戸の社会風俗を鮮明にうつした浮世絵には、武士と町人それぞれの文化が花開いた、当時の端午の節句の様子が描き出されています。 |
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■武家vs.商人!?「水道橋駿河台」にみる江戸の端午の節句
武士と町人それぞれの「端午の節句」の様子を垣間見ることができるのが、歌川広重「水道橋駿河台」です。 堂々とした鯉のぼりが印象的な本作ですが、実はこの「鯉のぼり」は江戸時代中期ごろから裕福な商人の間で始まった風習だそうです。武家では端午の節句になると武具を飾り幟を立てていたのに対抗し、商人たちが幟の代わりに鯉の吹流しを飾るようになったとか。 |
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たしかに「水道橋駿河台」の絵を見ると、鯉のぼりの向こうに小さく沢山の幟が描かれています。その辺りに当時、武家屋敷が立ち並んでいたことが分かりますね。
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一般大衆が楽しんだ「浮世絵」だからこそ、画面奥のささやかな武家の幟とは比べ物にならないほど、鯉のぼりを大きく立派に描いたのでしょう。江戸庶民の気概や心意気が表れた一図かもしれませんね。
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■鯉が端午の節句にかざられるのはなぜ?
江戸時代中期から町民の間で広まった「鯉のぼり」。武家への対抗心から生まれたことはご紹介しましたが、なぜ飾りのモチーフとして「鯉」が選ばれたのでしょうか。
それは、中国のとある伝説に由来するそうです。 中国の黄河上流には竜門と呼ばれる急流があり、そこを登り切った魚は竜になることができるといわれていました。「登竜門」の語源にもなった、有名な伝説です。この激流を見事登りきり、竜になったのが「鯉」だったというわけです。この故事から鯉は立身出世の象徴とされ、大変縁起の良いモチーフとして描かれるようになりました。
その人気を裏付けるように、浮世絵にも鯉は多く描かれています。 |
まさにこの伝説をモチーフに描かれた葵岡北渓の「鯉の滝登り図」や、赤い鯉を描いた歌川豊国「緋鯉」も、健やかな成長を願う端午の節句にふさわしい作品です。
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■龍の子が鯉を抱き上げる『吉祥図』 国芳「坂田怪童丸」
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そんな「鯉」を描いた中でも、少しひねりのきいた作品が歌川国芳「坂田怪童丸」です。金太郎と鯉という2つの端午の節句のイメージが1つにまとめられており、戯画を得意とした国芳らしい発想で描かれています。
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歌川国芳 「坂田怪童丸」 |
現在も心優しく健やかでたくましい男の子のモチーフとして親しまれている「金太郎」ですが、どうやら江戸当時からその人気は不動のものだったようで、浮世絵にもその姿は多く描かれています。 |
本図の画中にも、題材となった伝説が記されており、当時江戸の人々の間で金太郎伝説が広く知られていたことがわかりますね。
金太郎こと坂田金時は、足柄山に生まれ、小さいころから怪力で名をはせていました。成長したのちには源頼光に仕え、大江山の酒呑童子を退治したといわれています。 |
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文中にもある通り、「赤龍」の子どもだったとされる金太郎が自分より大きな滝をのぼる鯉を抱え上げる本図は、男児の成長を願う人々の想いを絵にしたものとも考えられています。 |
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■武士のあこがれ? 「宮本武蔵の鯨退治」
では、武家の「端午の節句」はどのようなものだったのでしょうか。 男児の立身出世・武運長久を祈る「尚武の節句」の性格を色濃く残した武家の端午の節句は、「水道橋駿河台」にも描かれている飾り幟や旗指物を立て、先祖伝来の鎧や兜を座敷に飾っていたようです。
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江戸初期の剣客・宮本武蔵の伝説を題材とした歌川国芳「宮本武蔵の鯨退治」には、たくましい武士の姿が描かれています。 |
三枚続の画面いっぱいに横たわる大きな鯨を、荒れ狂う波の中、自信に満ち溢れた表情で刺し貫く武蔵。彼の剣術の腕がどれほどのものであったかが、容易に想像できますね。 こういった伝説上の剣豪たちは、当時の武家の子どもたちにとっての憧れだったのかもしれません。 |
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■今も昔も変わらない「健やかな成長を願う心」
江戸時代中期から武家や町人の間で盛んになり、様々な形で祝われてきた端午の節句。 浮世絵には当時の社会風俗だけでなく、江戸時代のころから変わらない「我が子の健やかな成長を祈る心」が映し出されています。 |
江戸時代から続く伝統の技を高度に受け継いだ職人たちが、一枚一枚丁寧に摺り上げた高品質の「アダチの浮世絵」で、伝統の心とともにご家族の初節句を祝ってみてはいかがでしょうか。 |
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