アダチセレクト 話題の一枚 鈴木春信「二月 水辺梅」-Part2. 制作編-

2021.02.10


アダチセレクト 話題の一枚
鈴木春信「二月 水辺梅」-Part2. 制作編-


2021年1月より新連載のアダチセレクト・話題の一枚。毎回一人の絵師とその作品を取り上げ、木版制作工房としての視点なども含めながら、作品とその制作背景などをご紹介していく特別企画です。

第1回目の作品は、錦絵の祖、鈴木春信の傑作「二月 水辺梅」。前回の-Part1.作品編ーでは、夢のように可憐で儚い春信ワールドの代表作である本作の作品そのものについて取り上げましたが、-Part 2.制作編-の今回は、その春信の夢の世界を生み出す制作技術や材料などに焦点を当ててお話ししていきます。




鈴木春信「二月 水辺梅




■ 墨摺り絵から錦絵へ -モノクロからフルカラーへー

「錦絵の祖」と呼ばれる鈴木春信。その春信が完成させた美しいフルカラーの浮世絵「錦絵」は、一枚の紙に必要な色の数だけ版を摺り重ねていくことで生まれます。この一見何でもないように見える複数の色をずれないように大量に摺ることは、実は大変難しく、なかなか超えることのできない課題でした。

初期の一枚絵の浮世絵は、「版本(はんぽん:版木に彫って印刷された書物のこと)」と同じく墨一色でした。そして、そこに手彩色で数色の色を入れた浮世絵が作られるようになり、更にその後、現在の「見当(けんとう)」の原型のようなものが開発され、墨の線に二色から三色ほどの色を(通常、赤と緑)版で入れる多色摺が試みられるようになり、少しずつ浮世絵のカラー化が進んでいきました。
 
墨摺絵
懐月堂安知
菊模様着立美人
丹絵
鳥居清倍
竹抜き五郎
紅摺絵
石川豊信
「中村喜代三郎 文読美人」
※現在販売いたしておりません
 
しかし明和2年(1765)、鈴木春信によって完全な「見当」が完成されてからは、モノクロの時代から一気にフルカラーの時代へと飛躍します。前回お話した趣味人たちの「絵暦」ブームの需要を受けて春信が完成させたこの「見当」によって、浮世絵の黄金時代が幕開けしたのです。
>> 「絵暦」ブームについてお話ししたPart1.はこちら



■ 江戸庶民にカラー印刷をもたらした世紀の大発明 "見当"

物事におおよそのあたりをつけることを「見当をつける」と言いますが、この見当は鈴木春信が完成させた「見当」が語源。

伝統木版画では、カギ型見当と引き付け見当の二つの見当を使い、いつも同じ場所に和紙をセットします。カギ型見当は版木の右下の角に、引き付け見当は版木の左下角から右へ1/3ほどのところにあり、どちらも紙一枚程度に彫られた溝のようなものです。

<紙の位置を決めるカギ型見当(右下)と
引き付け見当(左下)>
<紙一枚分の溝が彫ってあります>

摺師は摺りのたびに、まずカギ型をした右下の角の見当に紙をセットし、直線の溝である引き付け見当に合わせるようにして紙を版木に載せていきます。


摺師としての修業の最初の難関は、「見当を合わせる(見当にいつでも同じように紙を置ける)」 こと。一見、簡単に見える作業ですが、実は長い修業によって習得しなければならない摺師の技術です。

春信が明和2年(1765)に完成させた「見当」は、200年以上の時を超えた今もなお我々の仕事にそのままの形で使われています。ちなみに1770年頃に一般庶民がカラー印刷を楽しんでいたのは、世界でも日本だけ!これも春信の大発明のおかげと言えます。



■ 贅を凝らした春信の作品を生み出す紙 "奉書"


春信は、裕福な趣味人たちの要望によって多色摺を完成させ、次々と手の込んだ作品を生み出しました。それらは色の数も多く、一枚の作品を作るために摺る回数も格段に増えました。

すると、それまで主に使用されていた薄い和紙では度重なる摺には耐えられず破れてしまうようになり、春信の頃から厚みのある「奉書(ほうしょ)」という和紙が使われるようになりました。ふっくらとした厚みを持つこの和紙は、春信が好んで使った特殊な摺による効果も十分に発揮させることができました。
 

 
現在、アダチ版画の浮世絵は、初期など特殊なものを除いて、楮(こうぞ)だけで作られた手漉きの奉書を使っています。楮の長い繊維が柔らかく絡み合ってできたこの紙は、最高の発色を実現するだけでなく、春信のような技巧を凝らした作品を存分に引き立てることができます。



■ 漆黒の闇を作り出すための特別な墨と摺師の技


春信は夜のシーンを多く描きました。本作「二月 水辺梅」も夜が舞台です。月さえもない暗闇を表現するのに、背景を真黒に塗りつぶした春信。実は、このマットな黒の発色は、膠分を除いた特別な墨でしか出せないものです。
 

    

通常、墨は膠と混ぜて固められていますが、アダチ版画ではその墨を水を張った甕に浸し、時々上澄み液を取り替えながら、膠分をゆっくりと除いていきます。こうして甕の底に沈殿した膠分の抜けた墨をすり鉢ですることで、粒子の細かい艶やかで照りのある墨に仕上げていきます。



摺師は、この墨を楮の長い繊維が絡み合ってできた紙の繊維の中にしっかりと摺りこんでいきます。黒のつぶしを均一に摺り上げることは難しく、高い摺の技術が必要とされます。春信の「二月 水辺梅」やその他の作品に見られる背景のマットな黒のつぶしは、和紙と墨と言う日本伝統の素材と摺師の高い技術が結集して生まれたものなのです。



<春信「二月 水辺梅」が北斎「神奈川沖浪裏」に比べて小さい理由 ー浮世絵の紙の大きさのお話ー>

浮世絵の紙の大きさは、時代によって異なります。浮世絵は商業印刷だったことからそのサイズにも規格があり、紙の大きさは漉かれた全判の紙を何等分するかで決められました。全判の大きさは、通常、紙漉きの桁(けた:水に浮いた紙の原料をすくいあげる木枠のようなもの)のサイズによるもので、和紙にはおおむね五種類のサイズがあったとされます。

本作品「二月 水辺梅」を含め、春信の時代に主に使われたのは「中判(ちゅうばん)」というサイズ。これは、大広奉書(おおびろぼうしょ)という縦1尺4寸×横1尺9寸の紙を四等分したサイズです。

ちなみに春信より後の北斎や広重の時代は、一回り小さいサイズの大奉書(おおぼうしょ)という縦1尺3寸×横1尺8寸の紙を二等分した「大判」サイズが主流となります。お馴染みの「富嶽三十六景」や「東海道五十三次」は、このサイズに当たります。
 
※北斎の作品にも「中判」と呼ばれるものがありますが(「鷽に枝垂桜」など)、この中判は大奉書を四等分したサイズなので、同じ「中判」と呼ばれていても、元の紙が一回り大きな春信の「中判」よりも少し小さくなります。
 
春信「二月 水辺梅」   北斎「鷽に垂桜」
浮世絵の紙のサイズが春信の時代とそれ以降に変わっていった背景には、おそらく出版事情や作り手の意図などがあったと思われますが、あくまでも推測の域を出ません。春信が見当を完成させたことで、複雑な多色摺が可能になり、用紙には厚めの奉書が使われるようになりましたが、その大きさは時代やジャンルによっても様々でした。

しかしながら、どの時代にも共通しているのは「無駄を出さずに効率良く」ということ。それは、あくまでも商業印刷であった浮世絵が、いつの時代も徹底した時間とコストの管理下にあったためです。絵画として成立つ最小の極限を求め続けて出来上がったのが浮世絵、まさに「制約の美」の極みと言えるのです。





新連載「アダチセレクト・話題の一枚」第1回目、鈴木春信の「二月 水辺梅」-Part2. 作品編-はいかがでしたでしょうか?
浮世絵の歴史を語る際に欠かすことのできない人物、鈴木春信。今回は、制作の観点から「二月 水辺梅」だけではなく、春信と言う浮世絵師の功績とその立ち位置、また浮世絵をとりまく材料のお話しもさせていただきました。見当の完成だけではなく、その独特の画風から多くの浮世絵師に多大なる影響を与えた浮世絵師・鈴木春信。その傑作の一つ「二月 水辺梅」を通して、鈴木春信という絵師を知っていただく機会になれば幸いです。


この作品以外の春信の作品もアダチ版画でご紹介しておりますので、是非ご覧ください。


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品質へのこだわり

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