アダチセレクト 話題の一枚
喜多川歌麿「蚊帳」-Part1. 前編-


アダチセレクト・話題の一枚は、毎回一人の絵師とその作品を取り上げ、木版制作工房としての視点なども含めながら、作品とその制作背景などをご紹介していく連載企画です。

第2回目となる今回選ばれた作品は、美人画の大家、喜多川歌麿の描いた「霞織娘雛型 蚊帳(かすみおりむすめひながた かや)」。蚊帳は部屋に虫が入ってくるのを防ぐために取り付ける網のようなもので、まだ網戸のなかったこの時代には夏の夜の風物詩的な存在でした。

蚊帳をはさんで向かい合う2人の美人を描いた、歌麿の魅力の集大成ともいえるこの作品を通して、数々の美人画の傑作を残した喜多川歌麿という絵師、そして彼の描いた作品の魅力をご紹介してまいります。

前後編でお届けする話題の一枚「蚊帳」。前編では、歌麿が本作「蚊帳」で描こうとしたものと本作の魅力について、制作の視点を交えながら迫ります。




喜多川歌麿「蚊帳




■ 美人画の大家・喜多川歌麿

喜多川歌麿(きたがわうたまろ・1753?-1806)は、江戸時代の浮世絵師。幼少より鳥山石燕に絵を学び、「浮世絵黄金期」と呼ばれる18世紀後期ごろ、表情豊かな美人画で人気を博しました。

歌麿は様々な技法を取り入れ、美人をより魅力的に表現しようと努めました。それまで役者絵に用いられてきた大首絵(バストアップ)の形式を美人画に取り入れたのも歌麿。これによって、一人一人の顔貌や表情の違いを描き分けようと試みたのです。


喜多川歌麿「当時三美人
<3人の顔貌が描き分けられています>
 



■ "透けているもの"を通して眺める美人

  今回ご紹介する歌麿の傑作「蚊帳」は、版元・蔦屋重三郎の元から出版された「霞織娘雛型」というシリーズの中の一点です。

「霞織」という言葉は、おそらく蔦屋か歌麿の創作した造語だと考えられています。シリーズ名の「霞織娘雛型」には、「透けているものを通して美人を眺める」という意が込められているそう。

本シリーズには この「蚊帳」のほかに、「夏衣装」と「簾」の全3図という作品が知られており、そのどれもが薄い布などの透けているものの内と外に対比して美人を置く構図をとっています。
描かれたのは、歌麿が絵師としての絶頂を迎えたと考えられている寛政6~7年ごろ。代表作である「ビードロを吹く娘」とほぼ同時期の作品です。

2人の女性の上半身が描かれた本図。1人が手前、もう1人が向こう側で、蚊帳越しに向かい合って話をしているようです。手前の女性は懐紙をもっており、手水から帰ってきたところでしょうか。蚊帳の内側の女性は鬢を紐でくくり、寝床に入る準備をしているよう。リラックスした様子から、2人は親しい間柄なのでしょう。暑い夏の夜、眠りにつく前の当時の女性たちの様子が垣間見えるようですね。
 
<懐紙を持っています>   <鬢を紐でくくっています>

「霞織娘雛型」というシリーズで歌麿は、「透かし見ることによって現れる女性の美しさ」を表現しています。布などによって遮られ、向こう側にいる人物がはっきりと見えないことによって、鑑賞者は隠された姿を想像し「もっとよく見たい」と強く欲するようになるのです。この好奇心は透けているものの向こう側にいる女性への興味を掻き立て、彼女をより魅力的に、美しく見せます。本作のタイトルとなった「蚊帳」というアイテムもまた、「隠されることで生まれる好奇心」を呼び起こすための舞台装置であり、奥にいる人物の美しさを増幅させるアイテムなのです。

<蚊帳を表現する彫と摺>

美人画の彫の中で、難易度が最も高いとされるのが、顔や髪の毛などの頭彫り。浮世絵版画は色を付けたい部分だけ残して板を彫る「凸版」ですから、この部分の緻密な彫は、一流の職人にしか成しえません。中でも「毛彫」と呼ばれる髪の生え際の部分は、江戸時代には専門の職人がいたと言われている彫師の腕の見せ所です。

そして本作「蚊帳」には、もう一つ彫師の技量が存分に発揮される表現がほどこされています。言わずもがな、本図で主題として取り上げられている「蚊帳」です。
目の粗い織物独特の、透けた質感はどうやって表現されているのでしょう。女性の手前に描かれる蚊帳の部分を拡大して見てみると、細かい縦の線と横の線があるのがわかります。実際の蚊帳と同様に、縦と横の網目を作り出すことで透けた布を表現しているのです。

立体感のある網目を作り出すため、本図の蚊帳は縦線を彫った板と横線を彫った板の2枚を用いて摺られています。実際に摺られた線を見てみると、その細さ約0.4mm。まっすぐで繊細な無数の線を、彫師は熟練の高い技術を持って寸分の狂いもなく彫り上げます。
<蚊帳の版木(縦)> <蚊帳の版木(横)>

蚊帳の細かい線の表現は、摺師にとっても腕の見せ所です。同じ板を使って線を摺るのにも、力のかけ具合で濃淡や線の太さは大きく変わります。力加減を間違えれば、絵具が溜まってしまったり、線が太くなってしまったりと、作品の印象が全く変わってしまうのです。摺師は通常一度に100枚程度の枚数を、高度な技術によってすべて同じように摺り上げています。
また、人物の手前に透け感のあるものを配置する本作の工夫は、伝統木版ならではの手法とも言うことができます。浮世絵では、水性の顔料を和紙の繊維にきめ込みながら色を重ねていきます。重要なのはこの絵具。不透明な油絵具などと違い、摺った後にも下の色が透けて見えるという特徴があるのです。浮世絵版画では、透過性のある色を実際に重ね合わせていくことによって、手前の透けているものと奥の人物という構図を作り上げることが可能なのです。




■ 個性あふれる美人たち

描かれている美人にも注目してみましょう。本来美人画は、絵師ごとに理想の外見があり、その型にはめてモデルを描く「典型美」の世界でした。そんな常識を覆したのが歌麿です。

歌麿の描く美人画は、「典型美」の時代の美人画に比べると、ふくよかで現実的な肉体を持っています。弾力を感じさせる肉体表現は、匂い立つような色気を醸し出します。
蒸し暑い夏の日、襟元に手をやり、涼をとろうとする女性。このしぐさに、何とも言えない色香を感じませんか?
 

  歌麿は、女性のうなじの美しさにクローズアップした作品も残しています。
「襟おしろい」は、鏡を見ながらおしろいを塗る女性を後ろからのぞき込むような構図で描いた作品です。まさに「典型美」の時代には見られなかった歌麿らしい艶っぽい表現ですね。




喜多川歌麿「襟おしろい


もともと遊女や芸者を題材とすることが多かった美人画というジャンル。
しかし歌麿が描いた美人は吉原の娘たちだけに留まりませんでした。彼は、美人と評判の茶屋娘から、働く女性、高級遊女までありとあらゆる世代・身分の女性たちの姿を描いています。そしてその一人一人に事細かなキャラクター設定がなされ、ちょっとした仕草や表情の中に喜怒哀楽を表わしているのも特徴です。歌麿は絵の主人公となる美人に愛すべき個性を持たせ、血の通った人間としてリアリティを持って描きました。
 
喜多川歌麿「難波屋おきた
<江戸評判の町娘を描いた「難波屋おきた」>
  喜多川歌麿「髪梳き
<髪結い職人として働く女性を描く
「婦人手業拾二工 髪梳き
(ふじんてわざじゅうにこう かみすき)」>

本作「蚊帳」で描かれている2人の美人も、理知的な雰囲気の手前の女性と、穏やかでかわいらしい蚊帳の奥の女性という風に、それぞれの魅力が描き分けられています。
 
<穏やかな表情のかわいらしい女性>   <理知的で目元涼やかな美人>



連載企画「アダチセレクト・話題の一枚」の第2弾、喜多川歌麿「蚊帳」。Part1である今回は、本作に凝縮された歌麿の魅力についてお話してきました。お楽しみいただけましたでしょうか? 次回Part2では、歌麿を世に送り出した名プロデューサー蔦屋重三郎や彼らが生み出した様々な美人の表現など、美人画の大家・歌麿誕生の背景に迫ります。どうぞお楽しみに!




  ■ 関連作品
 
       
  喜多川歌麿
襟おしろい
  喜多川歌麿
当時三美人
  喜多川歌麿
髪梳き
 



  ■ テーマ別に楽しむ歌麿作品
 
       
  空摺が使われている作品   透かし表現(蚊帳・着物)  
           
       
  蔦屋から出版された作品   雲母(キラ)の背景の作品  



そのほかの歌麿の浮世絵はこちら >>
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