鈴木春信とは

「雪中相合傘」をはじめとする「錦絵」を生み出した春信ですが、どんな人物だったのでしょうか。
他の浮世絵師同様、その生まれや人となりはあまり資料に残っていないようですが、1725(享保10)年頃に江戸に生まれ、姓は穂積、後に鈴木を名乗ったとされています。京都に出て絵師・西川祐信(すけのぶ)に学んだともいわれ、その後、1760(宝暦10)年頃、錦絵が生まれる前の3色程度で描かれた紅摺絵の役者絵でデビューしたようです。そして、前回ご紹介した絵暦ブームの際に「錦絵」を完成させ、今では錦絵の祖とも言われています。

春信の描く美人画

雪中相合傘をはじめとする春信の描く人物は、華奢で可憐な姿のかわいらしい様子で描かれています。一見、男性女性の区別がつかないくらい中性的な感じもします。
もちろん春信の作画スタイルということもできますが、当時の人々にとっての理想の美人の姿だったとも言えるでしょう。浮世絵に描かれる美人は、その時代によってかなり描かれ方が異なるということは、春信以降、美人画の絵師として人気の高かった鳥居清長や喜多川歌麿の美人の顔をみていただけば一目瞭然です。

各々の絵師の描く美人(あなたのお好みは?)

<鈴木春信・雪中相合傘より> <鳥居清長・九月より> <喜多川歌麿・ビードロを吹く娘より>

春信人気の中で衝撃の事実!春信の贋作絵師あらわる?

錦絵が誕生し、春信そして浮世絵の人気が高まると「巨川」のような好事家ではなく、一般の人々向けに色々な版元から多色刷の浮世絵が出版されるようになります。春信の描く錦絵の人気は、ある衝撃の事実からも知る事ができます。

こちらの作品をご覧ください。

春信という絵師名も入った春信らしい美人を描いた作品ですが、実は、これは当時鈴木春重と名乗っていた司馬江漢(1747-1818)が「春信」の名で偽作として出版したものなんです!

このことは、後に司馬江漢が自著でその旨告白していることで明らかになっています。 何とも驚きの事実ですが、偽物が出てしまうくらい春信人気は絶大だったのでしょう。

  <鈴木春重・雪後>

司馬江漢以外にも春信風の浮世絵として、同時代活躍した浮世絵師、磯田湖竜斎(いそだこりゅうさい)が描いた作品などもあります。
タイトルまで同じ「雪中相合傘」です!

これら司馬江漢や磯田湖竜斎の作品をみていただくと、江戸での春信の人気ぶりが良くおわかりいただける事と思います。また、江戸の浮世絵はその時の流行を捉えて出版されていたことがわかりますね。

そして、錦絵誕生から数年後の1770(明和7)年に春信は46歳という若さでこの世を去ったと言われています。たった10年の絵師人生でしたが、この「錦絵」誕生における春信の残した功績は多大なもので、その後の歌麿・写楽・北斎・広重などの色鮮やかな浮世絵の名作が生まれる土台となりました。

  <磯田湖竜斎・雪中相合傘>

鈴木春信「雪中相合傘」が伝えてくれるもの

鈴木春信「雪中相合傘」

「アダチセレクト 話題の一枚。」の最初の一枚として鈴木春信「雪中相合傘」を3回にわたってご紹介してまいりましたが、いかがでしたか?

木版の魅力を最大限活かし作られた本作は、男女の情感豊かなしっとりとした雰囲気が味わえると同時に、江戸で生まれた浮世絵にかける人々の情熱が伝わってくる作品でもあったのではないでしょうか。

是非、じっくりとこの一枚の作品の魅力をお楽しみください。

<鈴木春信 「雪中相合傘」

鈴木春信「雪中相合傘」商品詳細はこちら >>


新たに始まった企画、アダチセレクト「話題の一枚」。
前回は鈴木春信の傑作「雪中相合傘」の魅力を、色彩や技法の面からご紹介しました。今回はより作品を深く楽しむために、本作が生まれた時代背景に焦点を当ててみたいと思います。

石川豊信「中村喜代三郎 市村亀蔵 おきく 幸助」

皆様は、浮世絵と言えばフルカラーの華やかな多色刷りを想像されるのではないでしょうか。今でこそ当たり前の多色刷りですが、最初からこれほど水準の高い技術が完成していたわけではありません。
鈴木春信が絵師としてデビューした宝暦10年(1760年)頃の浮世絵は、ベースとなる墨の黒に、紅・草など二色程度の色で摺られた紅摺絵が中心でした。
それが劇的に多色刷りへと変化を遂げる、あるきっかけがありました。

<多色刷りが可能になる前の主流「紅摺絵」>
  石川豊信「中村喜代三郎 市村亀蔵 おきく 幸助」

浮世絵の歴史を大きく変えたカレンダーブーム!

鈴木春信「夕立」

そのきっかけとは明和2年(1765)、裕福な趣味人の間で流行した絵暦の交換会です。絵暦とはその名の通り一種のカレンダーで、太陰暦によって毎年変動する30日ある大の月と29日ある小の月を、絵の中に書き入れたものを指します。

それもあからさまに数字を入れるのではなく、絵柄の中に溶け込ませ、一見それと分からない判じ絵のようにしたものが好まれました。

<ブームとなった「絵暦」。着物の柄に数字が隠れています>
鈴木春信 「夕立」  

この絵暦交換会のブームの中心となったひとりが旗本・大久保甚四郎、俳名を「巨川(きょせん)」といった人物です。
彼は他の誰よりも優れた絵暦を作り出すため、より美しく趣向を凝らした作品を求めて春信に作画を依頼すると同時に、職人達に木版画の技術を駆使させたと言われています。

その結果、巨川をスポンサーに春信や職人達は試行錯誤を重ね、それまでの色数の限られた紅摺絵とは全く異なる色彩豊かな多色刷りの「錦絵」を完成させました。彼らが作り出した新たな工夫とはどんなものだったのでしょうか。

■ 工夫その1「見当」

多色刷りに欠かせない、紙の位置を決める目印である「見当」。これを版木につけることにより、複数の色板を用いても、ずれることなく正確に色を重ねることが出来るようになりました。一見簡単なことのようですが、それまで実現が難しかった多色刷りを可能にした画期的な発明です。

<紙の位置を決めるカギ型見当(右下)と引き付け見当(左下)> <紙一枚分の溝が彫ってあります>

■ 工夫その2「和紙」

春信の作品に使われた「奉書」は、それまで使用されていた薄手の和紙よりも繊維は長く、厚手でふっくらした紙。発色が良く丈夫で、何度も版を摺り重ねても耐えられるようになりました。

<ふっくらと厚みがあり発色の良い「奉書」>

■ 工夫その3「背景 ~抽象から写実へ~」

錦絵以前の紅摺絵はあくまで人物がメインであり、背景の描写などには乏しかったのですが、錦絵になると画中に周辺の情景を細かく描き入れることで、リアリティのある表現がされるようになりました。制作技術の進歩だけでなく、絵師による作品の描き方が変わった点は特に注目です。

<紅摺絵:背景は描かれず抽象的な表現> <錦絵:季節や場所を具体的に示す写実的な表現>

「下らない」汚名を返上せよ!? 江戸っ子の心意気

鈴木春信「雪中相合傘」

色彩豊かな「錦絵」を生み出した絵暦のブームですが、その流行を生み出した原動力とは何でしょうか。
当時の江戸では、上方(京都)で作られた「下りもの」が高級品とされ、地の物は「下らない」ものとして全く評価されませんでした。
ゆえに江戸に住む彼らは上方への強い対抗意識を抱き、上方を越える美しいもの、優れたものを作りたいという熱意を共有していたからこそ、スポンサーである富裕層はもちろん、絵師、職人までもが一体となって「錦絵」は誕生したのではないでしょうか。

明和4年に完成した、鈴木春信の傑作「雪中相合傘」。
上質な紙の白を柔らかな雪の表現に生かし、「空摺り」や「きめだし」といった技巧をふんだんに使い、凝りに凝った本作は正に「錦絵」の技術の集大成といえます。
今なおこの作品が人を惹きつけるのは、そこに上方を越えんとした作り手達の凛とした気概が感じられるからかも知れません。

鈴木春信 「雪中相合傘」

絵暦交換会の流行はほどなくして終わりましたが、色鮮やかで美しい絵暦に目を付けた版元がこれを製品化し一般に売り出すと、「錦絵」は江戸庶民の人気を呼び春信は当代一の人気絵師となりました。

次回は「錦絵」と共に一世を風靡した、絵師・春信の人気ぶりについて詳しくご紹介します。

鈴木春信「雪中相合傘」商品詳細はこちら >>

品質へのこだわり

品質へのこだわり

アダチの浮世絵は、手にして初めて分かる、熟練の技術と日本の伝統が詰まっています。

製作工程

制作工程

一切機械を使うことなく一枚一枚職人の手仕事により丁寧に作られている木版画です。

厳選素材・道具

厳選素材・道具

江戸当時の風情を感じられる当時の浮世絵の再現にこだわり、厳選した素材と道具を使用。

職人紹介

職人紹介

最高の作品を創り出すために、日々技術の研鑽を積む熟練の職人たち。

浮世絵の基礎知識

浮世絵の基礎知識

意外と知らない?浮世絵の世界。浮世絵の基礎知識をご紹介。