このところ続く春の陽気に誘われて、桜の開花ももう間もなくといったところ。
日本の春を象徴する花として、桜は現代の私たちと同様に江戸時代の人々にも愛されてきました。
今回ご紹介するのはそんな桜を題材にしたこの季節にぴったりの傑作。
重なり合う満開の桜と辺りに漂う春霞、その向こうに富士山を望む美しい春の情景を描いた、葛飾北斎「桜花に冨士図」の魅力に迫りたいと思います。 |
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桜と富士――日本を象徴する二大モチーフ
本図の主題として描かれ、題名にもなっている「桜」と「富士山」。 日本の象徴ともいえるこの二大モチーフを北斎はどのように描いたのでしょうか。
■北斎の「桜」 自ら画狂人を名乗り、世の中のあらゆるものを描こうと挑んだ北斎は、花鳥画にも優れた才能を発揮しました。
北斎は本図の中で、桜の花の一輪一輪までも輪郭を描きわけ、何色も色合いを変えて画面に散りばめることで花の重なり合う立体感を作り出しました。そこに更にぼかしや空摺を加え、満開の桜の華やかさを巧みに表現しています。 |
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<よく見ると花びら一枚一枚まで、全て輪郭線が描かれています> |
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彫師の一言
「この図は桜の花びらの一枚一枚まで細かく描いてあって、しかも線の色だけでも一色じゃなく幾つにも分かれている。それを板を分けながら、全て彫り分けているんだ。摺物だけあって手が掛かっているよ部彫りあげるのは時間が掛かったよ」 |
(彫師・新實) |
【鑑賞豆知識】桜 江戸時代に一般的だった桜は、ソメイヨシノではなく山桜でした。色は白から薄紅まで様々で、花と葉が同時に出るのが特徴です。本図で描かれているように、濃さの異なる花が一面に広がる様はさぞ見応えのある眺めだったことでしょう。 |
■北斎の「富士」 北斎にとって富士山は生涯のテーマの一つでした。代表作「凱風快晴」を始めとするシリーズ「冨嶽三十六景」では、季節や場所によって様々な富士山の表情を描き分けています。
本図では、「凱風快晴」の力強く堂々たる姿とは対照的に、満開の桜越しに白く雪を被った優美な姿をすっきりとした筆遣いで描いています。
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堂々と力強く描かれた
「凱風快晴」の富士山 |
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白く雪を被った姿が優美な富士
稜線もすっきりと描かれています |
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技を凝らした特注の逸品!――葛飾北斎の「摺物」
先ほどの彫師・新實親方の言葉に出てきた「摺物」とは、江戸時代当時、特注品として作られた作品です。 一般に広く販売された一枚絵とは異なり、主に配り物として特別注文で制作されたもので、色遣いや技法に工夫を凝らした豪華な作品も多く、売り物の浮世絵とは異なる趣があります。
注文主の多くは裕福な商人や教養のある趣味人で、絵暦や俳諧・狂歌を添え仲間内で配られた趣味のものや正月・祝い事の配り物などに用いられました。
■特徴 その1――紙 特注品である「摺物」には、紙も質の良いものが使われていました。厚手でしっかりした上質な紙は発色が良く、紙に凹凸をつける空摺の技法も映えるものでした。
また、サイズも特注品であるため様々でした。版元から出版される通常の浮世絵の場合、最もポピュラーなサイズは大判と呼ばれるものでしたが、本図は長判と呼ばれる横長のサイズです。 |
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<最もポピュラーなサイズの「大判」と、本図のサイズ「長判」> |
■特徴 その2――色遣い
色遣いの違いも「摺物」の大きな特徴のひとつです。限りなく色を少なくし省略の中で表現する通常の浮世絵とは異なり、手間を惜しまず贅を凝らして作られた「摺物」は、淡い色合いを何度も摺り重ねることで木版でありながら肉筆画を思わせるような上品で繊細な色合いを表現しています。
本図も淡い色を重ねることで、春らしい穏やかな空気感や咲き乱れる花の量感が見事に表現されています。
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<淡い色を何度も重ねることで、春の穏やかな陽気や桜の量感まで繊細に表現しています> |
■特徴 その3――技法 「摺物」の多くは好事家の仲間内で配られたため、より質の高い美しい作品が競うように求められ、ぼかしを随所に入れたり「空摺」を入れるなど、手の込んだ技法がふんだんに用いられました。
【鑑賞豆知識】空摺
版木に絵の具をつけずに摺ることで、和紙の持つ風合いを活かしたまま立体的な凹凸を付ける技法を「空摺(からずり)」と呼びます。
主に、雪・花びら・鳥や昆虫の羽・着物の模様などを表現する際によく使われる技法です。 |
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<版木に絵の具をつけずに摺り、立体的な凹凸を付ける「空摺」> |
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摺師の一言 「空摺は力を入れすぎると板も紙も傷んでしまうし、力が足りないと綺麗な線が出ない。紙を傷めないようにしっかり跡をつける、力の加減がポイントかな」 |
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(摺師・京増) |
【ココが見所!】 北斎は富士と桜という二つの象徴的なモチーフを取り入れ、本図に人々が普遍的なイメージとして持つ日本の春の情景を描き出しました。また、それらを存分に表現する空摺やぼかしといった高度で手の掛かる制作工程は、コストや売れ行きといった販売の制約にとらわれない摺物だからこそ実現できたものでした。
北斎が筆を尽くして描き、職人たちが技を尽くして表現することで完成したこの春の傑作は、日本人の心象風景そのものとしてこの先も時代を超えて人々を魅了することでしょう。
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