■広重作品の叙情性の秘密 ~制作の視点から読み解く~
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前回の<Part 1>では、色面と摺師の技を駆使することで「奥行き」そして、広重の抒情的な深みが生まれていることを摺の工程と共に、ご紹介いたしました。本日は、いよいよ作品のメインテーマである「雨」がどのように表現されているか、制作の視点から紐解いていきたいと思います。 >> 前回のおさらいはこちら |
同じ「広重の描く雨」といっても、作品によって大きく描かれ方が異なります。 「伯耆大野 大山遠望」と「大はしあたけの夕立」の雨の描写はどのようになっているでしょうか。 それぞれの違いを見比べてみましょう。 |
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「伯耆大野 大山遠望」では、雨線はあまり多くなく、色も薄い灰色で摺られています。雨の中農作業に励む人々の様子や、霞んだような遠景も考えると、静かに降り続く霧雨のような印象を受けますね。 |
歌川広重「伯耆 大野 大山遠望」 |
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一方で「大はしあたけの夕立」では細かな雨線が無数に描かれています。色は比較的濃い墨で摺られており、上空にも暗い雲が立ち込めています。急に降り出した強く激しい夕立の様子が臨場感たっぷりに描かれています。 |
歌川広重「大はしあたけの夕立」 |
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■異なる二種類の雨の版木比べここで、この雨の部分を摺る版木を見てみましょう!まずは、「伯耆」は1枚であるのに対し、「大はし」は2枚の版木が使われているのがわかりますね。そして、雨の密度の違いが反映されて、線も間隔が狭く彫られています。 |
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「伯耆大野大山遠望」 間隔も広く、雨が交差する部分も1枚の版木に彫ってあります。雨の色は胡粉(白い絵具)に、墨を少し混ぜた薄い灰色で摺られており、より柔らかな表現になります。 |
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「大はしあたけの夕立」 間隔は狭く、角度が微妙に異なる無数の直線のみを2枚に分けて彫ってあります。濃い墨と薄い墨で摺っていくことによって、雨に立体感が生まれ、降りしきる雨の描写がより強調されます。 |
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ここがポイント!緻密な線を彫り上げる熟練の技 版木に1円玉を置いてみると、その細かさは一目瞭然。 この無数のまっすぐな線は、もちろん定規などを使っているわけではありません。これほどの線を少しの狂いもなく彫り上げるとなると、熟練の高い技術が必要となります。 |
同じ「雨」でも、描く場面の違いに応じて、それぞれの雰囲気を表現するために、色や線など、全く違うアプローチで制作されていることが分かっていただけたかと思います。 それでは、最後に、前回ご紹介した「大はしあたけの夕立」の摺の工程の続きをご紹介いたします。2枚の版木で摺り重ねられて生まれる名作誕生までの最後の工程をご覧ください!
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■主題として描かれた雨の「線」の表現 |
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前回の配信では、「大はしあたけの夕立」において「面」で表現された対岸の景色のシルエットが、作品に奥行きと叙情性を生み出す重要な要素である、ということをお伝えいたしました。
これが、作品に「雨」が表現される前の段階です。
ここに雨の「線」の表現が加えられることによって、画面に更なる奥行きと立体感が生まれます。 |
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本図の主題でもある「雨」。先ほどご紹介したように、本図の雨の版木は2枚に分かれており、まずは1枚目の版木を薄い墨で摺ります。 |
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次に、少し濃い墨で、2枚目の版木を摺ります。 緻密な雨の線の重なりが、たった二枚の版木だけで構成されているようには思えない複雑な雨の描写を生み出しています。 |
ここがポイント! 雨を摺るのにも、力の加減によって、濃淡や線の太さが全く変わってきてしまい、作品の印象が全く変わってしまいます。また、一度に100枚程度を摺るため、それをすべて同じように摺るためには、熟練の技術を要します。 |
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残りの部分を摺って完成。 対岸の遠景の手前に、はっきりとした濃い雨の線が摺られることによって、画面の奥行きが増し、また、雨の存在感がより強調されてみえます。 |
広重が描いた「雨」を表現するために、作品によって様々な工夫がなされているのをここまでご覧いただきました。 絵師の思い描く世界を最大限表現するために必要なのが、高度な職人の技術です。彫師・摺師が作品の主題を読み解き、作品に合わせて、技を遺憾なく発揮することで、人々を魅了する名作を生み出すことができるのです。
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「伯耆大野大山遠望」では、絵の具をきめ込みすぎず、のせるように摺っていくことで、霧雨のように降る優しい雨が表現されます。 |
2回に渡ってアダチ版画独自の視点からご紹介してきた、広重の「雨」の作品。 広重作品の持つ豊かな叙情性は、広重が浮世絵制作が分業制である利点を充分に理解していたからこそ、生み出されたものなのではないでしょうか。 |
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