アダチセレクト 話題の一枚
歌川広重「真間の紅葉手古那の社継はし」


アダチセレクト・話題の一枚は、毎回一人の絵師とその作品を取り上げ、木版制作工房としての視点なども含めながら、作品とその制作背景などをご紹介していく連載企画です。
今回は、今この季節にふさわしい、風景画の大家・歌川広重が描いた秋の名作をご紹介します。







「真間の紅葉手古那の社継はし」は、広重が晩年に江戸近郊の様々な風景を描いたシリーズ「名所江戸百景」の中の一図。ここに描かれている真間は、現在の千葉県市川市にあたります。真間の手古那神社の近くには、紅葉の名所・弘法寺があり、作品の中央には、その弘法寺の継橋が描かれています。近景には赤く色づいた楓の葉を大きく配し、その間から筑波山などを望む大胆な構図が印象的な名作です。

今回は、中でもひときわ目を引く「紅葉」に焦点をあて、制作の視点から広重のアイデアに迫ってまいります。




■ 紅葉を染めるビビッドな橙色 ー 「丹(たん)」

作品の中央に描かれた紅葉に用いられている、明るい橙色。あまり他の浮世絵には見ない色合いで、珍しさを感じる方も多いのではないでしょうか?ここで用いられているのは、「丹(たん)」という鉛を含んだ鉱物系の絵具です。

丹の絵具。その成分から鉛丹とも呼ばれます。

この「丹」を筆で手彩色した「丹絵(たんえ)」など、初期浮世絵の時代からアクセント的な色として使用されてきた「丹」。  
市川団十郎 竹抜き五郎
初代鳥居清倍「市川団十郎 竹抜き五郎


しかしながら、多色摺が可能になった鈴木春信以降の浮世絵師の多くは、橙色を摺る時に「丹」は使わず、赤や黄色などの絵具の混色によって橙色を表現してきました。広重と同時代の浮世絵師、北斎の「冨嶽三十六景」の中の一図、「甲州三坂水面」に描かれた富士山の山肌の橙色の部分にも「丹」は使われていません。

 


葛飾北斎「甲州三坂水面
澄んだ空気の中そびえる富士の山肌は、丹に比べると軽やかな橙色です。


一方で広重は、今回取り上げた「真間の紅葉手古那の社継はし」をはじめ、「丹」を用いて秋の山々を染める紅葉を表現しています。

歌川広重「真間の紅葉手古那の社継はし」、「甲斐さるはし
広重が描いた紅葉の作品。紅葉の葉の部分には丹が用いられています。

華やかで存在感のある「丹」は、燃えるような紅葉を表すのにぴったりの色合いです。



更に、紅葉以外で「丹」が用いられているものも見てみましょう。歌川国芳は、勇ましい侠客が手にする刀に「丹」を用いました。

 


歌川国芳
国芳もやう正札附現金男 野晒悟助
国芳の描いた侠客、野晒悟助。刀の鞘の部分に丹が用いられてます。


透明度が低く、独特の質感を持つ「丹」からは、強さや重厚感が感じられます。武者絵を彩るのにも、「丹」は似合いの色だといえるでしょう。


このように「丹」は、混色によって作り出される橙色では表現することのできない鉱物系特有の重さがあり、強い存在感をはなつ絵具です。浮世絵師たちは、このような存在感が必要だと思われる部分に「丹」を使用し、その独特の風合いを活かしてきました。
広重は、この作品では特に紅葉の存在感を押し出したかったので、「丹」という絵具を使ったのでしょう。


■ 紅葉を際立たせる構図と摺の技
また、「真間の紅葉手古那の社継はし」は、摺の工程において微妙な色のバランスが難しい作品でもあります。

近景の紅葉、中景の手古那神社や弘法寺の継橋、遠景の山々、そして多用されているぼかしと、数多くの要素の中でも、手前に描かれた大きな紅葉がひときわ目を引くようにするために、どのような工夫が施されているのでしょうか。摺師に制作のポイントを尋ねてみました。
紅葉の奥には、神社などの建物や行き交う人々、
林や山々など様々なものが描きこまれています。

「この作品の主役である紅葉を引き立たせるためには、なんといっても遠近感が重要だと思っています。手前に大きく紅葉を配置した構図をより効果的に見せるために、近景に描かれているものが鮮やかに見えるよう、全体の色調を調整して摺るように意識しました。
また、絵の中に描かれているものが多いので、紅葉の存在感がきちんと出るように、紅葉に用いられている2色の丹の色合いやコントラストにも特に気を配っています。」  


たしかに本作を見てみると、暗い色合いの水性の絵具が画面の奥の方に、「丹」などの存在感の強い鉱物性の鮮やかな絵具が画面の手前の方にあります。
紅葉に用いられた「丹」の絵具の鮮やかさや質感も、遠近感に影響を与えています。

この色調や質感の差によって画面に遠近感が生みだされており、摺師はこうした絵師の意図を汲み取りながら作品を摺り上げているのです。


今回は画中の「紅葉」というモチーフと、それに用いられた「丹」の絵具に注目して、歌川広重「真間の紅葉手古那の社継はし」に迫ってまいりました。実は広重は、このほかにもこの「丹」を用いて紅葉を描いた作品を残しています。

       
  歌川広重
甲斐さるはし
  歌川広重
東都目黒夕日ケ岡
  歌川広重
鴻之台と祢川
 

他の絵具にはない、独特な存在感のある「丹」という絵具をつかって紅葉の魅力を存分に表現した広重。この秋は広重の描いた紅葉の名作で、紅葉狩りを楽しんでみてはいかがでしょうか。
そのほかの秋の浮世絵はこちら >>


また、アダチ版画の目白ショールームでは、作品を実際にお手に取ってご覧いただけます。写真や画像では伝わりきらない魅力的な質感を間近にお楽しみいただけますので、ぜひお近くにお越しの際にはお立ち寄りくださいませ。
ショールームのご案内はこちら >>
アダチセレクト「話題の一枚」大はしあたけの夕立

突然の激しい夕立に慌てる人々が急ぎ足で橋を渡っていく。
そんな一瞬の季節の情景を鮮やかに描いた本図は、印象派の画家ヴァン・ゴッホが模写をしたことで世界的にも知られています。

第三弾となるアダチセレクト「話題の一枚。」は、風景画の大家・歌川広重の最も有名な代表作「大はしあたけの夕立」。その見所と共に、本図が海外の美術へ与えた影響や、制作に秘められた技まで2回にわたって詳しくご紹介いたします。(2022年7月5日 追記・再編集)

工夫とこだわりが詰まった、歌川広重の集大成!

本図「大はしあたけの夕立」は、江戸近郊の様々な風景を描いたシリーズ「名所江戸百景」の中の一図。隅田川の下流、幕府の御用船安宅丸の船蔵があった辺りに掛かっていた大橋を見下ろすような構図で捉え、突然降り出す夏の夕立の激しさを詩情たっぷりに描いた臨場感あふれる傑作です。この作品を描くにあたり広重は様々な表現の工夫を凝らしました。

◎風景画の常識を破る縦長の構図

西洋でもそうですが、ほとんど風景画は横長の画面に広く描くのが定番といえるのではないでしょうか。広重自身も、30代で描いた代表作「東海道五十三次」は横長の画面で描いています。
その後、広重は試行錯誤の末、縦長の画面で風景の一部分を切り取って描く表現方法に辿り着いたといわれています。広重は最も描きたい部分を限定して画面の中に切り取ることで存在感を強調し、更に俯瞰や遠近法といった自在な視点の変化を組み合わせて、非常にインパクトのある構図を作り出しました。
この縦長の画面を最大限に生かしているのが晩年に手掛けた「名所江戸百景」シリーズ。天高くから降る雨の激しさが際立つ本図もその一つです。

Pick up!「名所江戸百景」
代表作「東海道五十三次」を始めとする全国各地の風景を描いてきた歌川広重が最晩年に手掛けた、広重の画業の集大成といえる一大シリーズ。大胆奇抜な構図と四季折々の豊かな季節感を感じさせる優れた名作が揃っています。

歌川広重「庄野 白雨」 歌川広重「大はしあたけの夕立」
歌川広重 「庄野 白雨」 歌川広重 「大はしあたけの夕立」
<30代で描いた雨の傑作「庄野 白雨」は横長の画面> <晩年の60代に描いた本図。縦長の画面。>
 
歌川広重「庄野 白雨」 歌川広重「大はしあたけの夕立」
「庄野 白雨」の雨の板 「大はしあたけの夕立」の雨の板
<「庄野 白雨」では面で、「大はしあたけの夕立」では線で表された雨。雨脚の強さも異なって見える。>

 

◎躍動感を与える斜めの画面構成

本図を見ると画面を斜めに横切る橋が手前に描かれ、雨に霞む遠景の対岸は橋と逆の角度でやはり少し斜めに描かれています。このジグザグとした傾きが画面に動きを与え、雨や橋の上を行き交う人々の勢いを強調しています。
写実性よりも臨場感を重視した表現方法に、感性を重視する広重の柔軟な発想が伺えます。


<ジグザグとした傾きが画面に動きを与えている>

 

◎世界で賞賛される"広重ブルー"

川の流れに入れられた濃い青のぼかし。水面の浅い水色からのグラデーションが川の深さを感じさせ、画面に自然な奥行きを与えています。

この一際目を惹く濃い青色に用いられているのが、当時、海外から新しく輸入された人工の絵具プルシアンブルーです。元々ベルリンで科学的顔料として作られたため、浮世絵においてはベロリン(ベルリン)の藍、通称「ベロ藍」と呼ばれました。
これまでの浮世絵には使われていなかった鮮やかな発色は江戸っ子の評判を呼び、それを受けて北斎や広重の風景画にも非常によく使われました。

<画面に奥行を与え、水の深さを表現する濃い青のぼかし>


水で溶いた絵具を和紙に摺りこむことで生まれる浮世絵特有のすっきりとした軽さや鮮やかな発色はが、それまでの西洋絵画の厚みのある油彩を見慣れた人々の目に新鮮に映ったのではないでしょうか。

こうして元は西洋で生まれた青色は、浮世絵を生んだ絵師・広重のセンスや職人の高度な木版技術によって、日本の浮世絵を代表する色「広重ブルー」として全く新たな評価をされるようになったのです。

<和紙に水性の絵具を摺りこむ木版画ならではの鮮やかな発色>

 

様々な工夫や拘りを込めて描かれた広重の作品は当時の江戸庶民を楽しませただけでなく、海を越えた印象派の画家たちに大きな衝撃を与えました。中でも、「ひまわり」などの作品で世界的に高い評価を受けているゴッホはこの「大はしあたけの夕立」や同シリーズの「亀戸梅屋舗」を熱心に模写し、その作風にも多大な影響を受けたと言われています。

西洋にはあまり見られない、上から見下ろすような大胆な構図や、和紙に水性の絵の具を摺りこんだ木版特有の鮮やかで明るい色彩は、ゴッホの目に非常に魅力的に映ったことでしょう。

このように見てくると「大はしあたけの夕立」は、構図や色を含め、独学で絵を学んだゴッホにとって非常に得ることの多い新鮮なものだったといえます。

それは、和紙と水性の絵具という日本特有の素材と当時世界でも類を見ない高度な木版技術によって浮世絵が制作されていたからこそともいえるのではないでしょうか。

日本独自の木版画技術が込められた浮世絵。
次回は、西洋の画家までもを魅了した「大はしあたけの夕立」に込められた、木版画の技術をご紹介しながら作品の魅力に迫ってまいります。
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歌川広重「大はしあたけの夕立」 商品詳細はこちら >>

アダチセレクト「話題の一枚」大はしあたけの夕立


前回は、「大はしあたけの夕立」が印象派の画家たちに与えた影響や、広重が本作に込めた工夫とこだわりについてご紹介してきました。後半となる今回は、本作に秘められた浮世絵制作の技について迫ります。(2023年5月6日 追記・再編集)

vol.1はこちら>>

版下絵から見えてくる制作の秘密

絵師・彫師・摺師・と分業制の浮世絵制作において、浮世絵師は線だけで構成された版下絵(はんしたえ)を描きます。
ここで、「大はしあたけの夕立」の版下絵を見てみましょう!

歌川広重「大はしあたけの夕立」の版下絵
<歌川広重「大はしあたけの夕立」の版下絵>


えっ?これだけ!?と驚かれたのではないでしょうか?
本作品の完成図と比べてみると、描かれていない部分が多いことが見て取れるかと思います。

版下絵に描かれているのは、手前を横切る大橋・急ぎ足で橋を渡る人々・そして川に浮かぶ船と船頭ただそれだけなのです。

 

それに対し、皆さんがよくご存知の葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」を見てみましょう!

葛飾北斎「神奈川沖浪裏」の版下絵
<葛飾北斎「神奈川沖浪裏」の版下絵>


絵のほとんどが線で描かれているので、摺り上がりの全体像が、輪郭線だけで想像することができるかと思います。


輪郭線の中に一色ずつ色を摺るという"線"と"面"で構成される浮世絵版画。
上の二図を比べてみても、北斎が"線"で描くことを得意としたのに対し、広重は"面"を効果的に利用した絵師といえるでしょう。


そして、本作の場合、対岸にかすんで見える街並みは、輪郭線をあえて描かずに、面を使ってシルエットで柔らかく表現しています。

かすんだシルエットで表現された対岸の街並み
<かすんだシルエットで表現された対岸の街並み>


二次元の絵の中で、効果的に空間と距離を感じさせる見事な表現方法といえるのではないでしょうか。

わずか二回の摺りで大雨を降らせる!夕立の秘密

では、本作の見どころともいえる"夕立"は、いったいどのように表現されたのでしょうか。

版木二面だけで表現する激しく降りつける雨
<版木二面だけで表現する激しく降りつける雨>

実際に雨を摺る際に使う版木を見てみると、まるで定規で線を引いたかのようにまっすぐな線が無数に彫ってあります。
摺り上がりでは幾重にも見える雨ですが、実際にはわずか版木二面を使っているだけなのです。

うすい墨と濃い墨の二種類で摺り分け、さらに雨の角度に微妙な変化をつけることで激しく打ち付ける夕立を表現しています。


2つの雨の版を図解してみると、雨の線を重ね合わせることで強い雨脚を表現しているのがわかります。

この降りつける夕立を作り出すには、なんといっても緻密な彫が重要。
一円玉と比較すると一目瞭然です。

熟練の技術を要する緻密な彫


これほど繊細な彫となると、当時から技術を認められた彫師だけが彫ることを許されたと考えることができます。熟練の技術を要する緻密な彫は、まさに彫師の腕の見せどころ。間近で見ていただきたいポイントです。

熟練の技術を要する緻密な彫
<熟練の技術を要する緻密な彫>


暗雲が垂れ込む!摺師の技が魅せる空模様

そして、空には黒々とした雨雲が垂れ込めています。本作で描かれている夕立は、まさに今でいうところの"ゲリラ豪雨"でしょうか。

作品上部にぼかしを入れ、その色を変えることで季節や時間・天候までをも表現した広重ですが、本作においても墨でぼかしを入れることで暗雲を表現しています。

暗雲が垂れ込む空模様
<暗雲が垂れ込む空模様>

 

この雨雲がモクモクと垂れ込む様子を表現するために、"あてなしぼかし"と言われる摺りの技法が使われています。これは版木に雲の形が彫ってあるのではなく、平らな板の上を刷毛を使って雲の形を描くようにぼかしを作ります。

一度に100枚程度を仕上げる摺師にとって、まったく同じ形の雲に摺るこの"あてなしぼかし"は、熟練の摺師にしかできない大変高度な技なのです。

摺師の腕の見せどころ あてなしぼかし
<摺師の腕の見せどころ"あてなしぼかし">

 

2回に渡って歌川広重の代表作「大はしあたけの夕立」をご紹介しましたが、本作の魅力を充分にお楽しみいただけましたか?

風景画の常識を破り、縦長の画面を最大限に活かした大胆な構図や、和紙に水性の絵の具を摺り込むことで生まれた"広重ブルー"など、江戸の庶民を楽しませるために工夫したことで生まれた浮世絵の魅力が、西洋の画家たちにも大きな影響を与えたと言えるのではないでしょうか。
このコラムを通して、広重が本作に込めた工夫とこだわりを感じていただければ幸いです。

歌川広重「大はしあたけの夕立」
歌川広重「大はしあたけの夕立

 

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アダチセレクト 話題の一枚
「北斎花鳥画集」-Part2. 線と面-


アダチセレクト・話題の一枚は、毎回一人の絵師とその作品を取り上げ、木版制作工房としての視点なども含めながら、作品とその制作背景などをご紹介していく連載企画です。

今回は、浮世絵とは思えないようなモダンな雰囲気が魅力の葛飾北斎の大判花鳥画シリーズをご紹介していますが、この「北斎花鳥画集」は、ガレやドーム、ラリックなど、当時西洋で最先端であったガラス工芸家たちのデザインにも取り入れられ、世界的にも高い評価を得ているシリーズです。

北斎は、 富士山、滝、橋、海、そして花鳥風月にいたるまで、この世のあらゆるもの、森羅万象の真を描き出すことに執念を燃やしてきた絵師。本シリーズのテーマである花鳥画に挑むにあたり、北斎は自然界をどのようなまなざしで見つめ、いかにして描き出そうとしたのでしょうか。

前編(Part1)では、北斎が自然を表現するのに用いたその大胆な構図に着目し、静と動の描き分けについて解明を試みました。 >>Part1はこちら

このPart2では、北斎が花鳥の「生命」を描き出した花鳥画を、北斎最大のライバル・広重の花鳥画と比較し、その作品の持つモダンな雰囲気の秘密を探りたいと思います。




葛飾北斎「北斎花鳥画集 全10図




■ 浮世絵風景画の二大巨匠、北斎・広重が描いた「花鳥画」

北斎が代表作『冨嶽三十六景』を生み出したころ、同じく風景画家として高い評価を受けていたのが、『東海道五拾三次』や『名所江戸百景』などで知られる歌川広重です。広重は北斎より30歳以上も年下でしたが、当時から、それぞれの持ち味を生かした作風で人々を魅了する、北斎の良きライバルと言える存在でした。

左)葛飾北斎「神奈川沖浪裏」「凱風快晴
右)歌川広重「日本橋 朝之景」「大はしあたけの夕立


そんな広重も北斎同様、風景画のみにとどまらず花鳥画の分野においても数多くの秀作を残しており、2人の花鳥画には同じモチーフを描いた作品も多く見られます。

葛飾北斎「紫陽花に燕 歌川広重「紫陽花に翡翠


こちらは北斎と広重が描いた「紫陽花」の花。こうして並べてみると、作品の持つ雰囲気が全く違うように感じませんか?
よく見てみると、2人の紫陽花の描き方には大きな違いがあります。その違いを詳しく見てみましょう。



■ 線の北斎・面の広重


北斎と広重、2人の紫陽花の作品について、絵師が最初に描いた下絵の線の部分のみを摺ったもの(校合摺)をご覧ください。北斎の紫陽花は既に花の形がはっきりわかりますが、広重の紫陽花はどこにも見当たりません。

葛飾北斎「紫陽花に燕」の校合摺 歌川広重「紫陽花に翡翠」の校合摺


北斎は紫陽花の小さな花弁一つ一つを強弱のついた描線で丁寧にとらえています。校合摺を見てみると、その筆致の繊細さがよくわかります。



一方、広重の紫陽花は、空摺と淡い色の面で構成されています。校合摺を見てみると、広重がいかに色の面をうまく用いて絵を構成しているかが見て取れます。




では、他のモチーフではどうでしょうか。こちらは北斎と広重が描いた「牡丹」の花です。

葛飾北斎「牡丹に蝶 歌川広重「牡丹に孔雀


北斎は、牡丹の薄くやわらかな花びらが風に翻る様子を、無駄のない描線で描き出しています。また、花の輪郭や花脈、葉脈をも繊細な線で描き、見事な色使いで花や葉の裏表が表現されています。
これに対して、広重の牡丹は、いくつかの赤の色面が組み合わされ、重なり合うことによって、気品漂う花の様子が立体的に形作られています。そしてこれにより華やかで格式高い、牡丹の理想の姿が描き出されています。





一色で塗りつぶした背景に対象物をシンプルに配置し、「線」でモチーフを写実的に描き表した北斎の花鳥画は、グラフィックアートにも似た、モダンでクールな印象を与えます。それは、北斎が物事の本質を描き表そうとするとき、「線」を重視していたからと言えるでしょう。

モダンな雰囲気を活かし、木目調の白木額でナチュラルなスタイルに。


一方、広重の花鳥画には、心に迫るような抒情性や、独特の温かみが感じられます。広重の花鳥画には、日本らしい美しさが詰まっています。それは、広重が日本人の感性や文化、理想的な美しさを描き出すために、「面」を用いた柔らかな表現を駆使しているからです。

日本らしい美しさを持つ和風のインテリアとして、洋室のアクセントに。



連載企画「アダチセレクト・話題の一枚」の、葛飾北斎『北斎花鳥画集』編。Part2である今回は、北斎と広重の花鳥画を比較し、それぞれが重視した表現に迫り、2人の絵師の魅力についてお話してきました。お楽しみいただけましたでしょうか?


○北斎花鳥画集の魅力に迫る特集を開催中!

今なお世界で高い評価を受けている浮世絵師・葛飾北斎。今年2022年の春、日本各地で大規模な「北斎」展が開催され、大きな注目が集まっています。
アダチ版画ではこの機会にもっと皆様へ北斎の魅力を知っていただきたいという思いから、2022年4月12日から2022年5月17日まで『北斎花鳥画集』の魅力に迫る特集を開催中です!


アダチ版画のHPでは、北斎花鳥画集のシリーズ全10図をご紹介中。


また、この大判花鳥画のシリーズを季節ごとに差し替えてお楽しみいただいているお客様にインタビューさせていただいた内容を記事として公開中です。


そしてアダチ版画の目白ショールームでは、北斎の自然の表現に着目した展覧会『北斎が極めた「自然の表現」』を開催中です。お近くにお越しの際には、ぜひお立ち寄りください。
※終了しました。

Part1.北斎花鳥画集〜広重との花鳥画対決でその魅力に迫る〜
展示の様子



アダチセレクト 話題の一枚
「北斎花鳥画集」-Part1. 静と動-


アダチセレクト・話題の一枚は、毎回一人の絵師とその作品を取り上げ、木版制作工房としての視点なども含めながら、作品とその制作背景などをご紹介していく連載企画です。

今回ご紹介する作品は、葛飾北斎の大判花鳥画シリーズ。現代にも通用するモダンな雰囲気を持っており、洋室にも飾りやすいと大変人気のあるシリーズです。

北斎は、 富士山、滝、橋、海、そして花鳥風月にいたるまで、この世のあらゆるもの、森羅万象の真を描き出すことに執念を燃やしてきた絵師です。本シリーズのテーマである花鳥画に挑むにあたり、北斎は自然界をどのようなまなざしで見つめ、いかにして描き出そうとしたのでしょうか。前編と後編の2回にわたり、北斎の自然表現と作品の持つモダンな雰囲気の秘密に迫ります。




葛飾北斎「北斎花鳥画集 全10図




■ ジャポニスムにも影響を与えた 北斎の「花鳥画」シリーズ

この花鳥画シリーズは、北斎の代表作「冨嶽三十六景」と同時期に、同じ版元・西村永寿堂から出版されました。
幕末に海を渡った浮世絵は、西洋のアーティストやデザイナーに大きな影響を及ぼしましたが、特にこの北斎の花鳥画は、ガラス器や宝飾品など数々の美術工芸家に感銘を与えました。当時の最先端であったガラス工芸家のガレ、ドーム、ラリックなどのデザインに取り入れられ、世界的にも高い評価を得ています。

エミール・ガレがデザインした花瓶と家具(©The Cleveland Museum of Art)と
葛飾北斎「罌粟」「あやめにきりぎりす」「桔梗に蜻蛉」(部分)


■ 計算しつくされた構図


『北斎花鳥画集』の特徴の一つとして、一色で塗りつぶした背景に、クローズアップした対象物をシンプルに配置した大胆な構図があげられるでしょう。単純な画面構成に見えますが、実はこの構図には北斎の意図や計算が数多く凝らされています。

○「静」を作り出すための構図
初夏を感じさせる青色が印象的な「あやめにきりぎりす」。中央の葉がぴんと真っ直ぐに伸びており、風の吹き止んだ瞬間の静寂を感じさせます。張りつめた空気が漂う画面の中央には、逆さにとまったきりぎりすが隠れています。

さて、この「あやめにきりぎりす」と構図に類似性の見られる世界的にも有名な北斎の作品があります。大胆で無駄のない構図と配色で雄大な富士の姿を描き出した傑作「赤富士」こと「凱風快晴」です。

葛飾北斎「あやめにきりぎりす」「凱風快晴
安定感のある三角形の構図が用いられている

『2図を並べてみてみると、どちらも裾野の広がった山型の三角形を構図に用いていることがわかります。これにより画面に安定感が生まれ、見る者に堂々とした印象を与えます。北斎は長い画業の中で身に着けた構成力によって、見事に「静」を演出しているのです。



○「動」を作り出すための構図
風に吹かれ大きくたわんだ花の様子を描いた「罌粟」。風になびく花びらまで繊細に表した描線や、ダイナミックさが魅力の一図です。こちらの「罌粟」にもまた、構図の類似性を指摘できる作品があります。北斎の最高傑作とも言われる「神奈川沖浪裏」です。

葛飾北斎「罌粟」「神奈川沖浪裏
2図を重ねてみると...

大波がしぶきをあげながら押し寄せてくる、まさしく「動」の瞬間をとらえた「神奈川沖浪裏」と、風に揺れるさまを描いた「罌粟」。この2作品を重ねてみると、なんと「神奈川沖浪裏」の大波と、「罌粟」の花のカーブとがピッタリと重なります。
生涯を通じて追求した「波の表現」によって獲得した構図の躍動感を応用し、北斎は「罌粟」の画面の中に風を生み出しているのです。

本シリーズに見られる「静」「動」を演出する革新的な構図は、北斎がそれまで約半世紀に及ぶ不断の努力によって培った、北斎ならではの効果的な絵づくりの法則の集大成だったのではないでしょうか。 



■ 「静」と「動」で移りゆく自然の姿を捉える

「あやめにきりぎりす」と「罌粟」を例にあげましたが、シリーズ内の10図は全て、風が凪いで草花の揺らぎが止まった瞬間の美しさを描いた「静」、そして風に揺れる草花の一瞬の美しさを切り取った「動」の2種類に分類することができます。
 
こうしてシリーズ全体を通して見てみると、北斎は「静」と「動」の表現を用いることで、時間の経過や、風、空気をも含んだ自然のありのままの姿を表現しようとしていることがわかります。北斎は一種の写実主義であったとも言えるでしょう。

北斎独特の自然のとらえ方は、本シリーズ以外の作品にも表れています。例えば、富士山を描いたシリーズ「冨嶽三十六景」の中にも、荒波、雄大な富士の姿、落雷や強風など、ただ美しいだけではない人知を超えた自然の姿を、畏敬の念をもって見つめ、描き出そうとしている作品が見られらます。
葛飾北斎 冨嶽三十六景のうち、「神奈川沖浪裏」「凱風快晴」「山下白雨」「駿州江尻
そして、本シリーズにおいて北斎は、自ら完成させた「静」と「動」を表現する構図の中に、生命感溢れる花や鳥、昆虫などを描きました。見る者を惹きつけてやまない一瞬を捉えた緊張感みなぎる画面。そこには、花鳥画を越えた「森羅万象」、そして北斎が求め続けた「この世の理(ことわり)」が表現されているのです。



連載企画「アダチセレクト・話題の一枚」の、葛飾北斎『北斎花鳥画集』編。Part1である今回は、北斎が自然の「静」と「動」を描き出すために用いた構図についてお話してきました。お楽しみいただけましたでしょうか? 次回Part2では、北斎が花鳥の「生命」を写し取るために、モチーフをどのように描き出したのかについて、北斎最大のライバル・広重の花鳥画と比較して検証していきます。どうぞお楽しみに!
アダチセレクト 話題の一枚 「北斎花鳥画集」-Part2. 線と面- はこちら>>


○北斎花鳥画集の魅力に迫る特集を開催中!

今なお世界で高い評価を受けている浮世絵師・葛飾北斎。今年2022年の春、日本各地で大規模な「北斎」展が開催され、大きな注目が集まっています。
アダチ版画ではこの機会にもっと皆様へ北斎の魅力を知っていただきたいという思いから、2022年4月12日から2022年5月17日まで『北斎花鳥画集』の魅力に迫る特集を開催中です!


アダチ版画のHPでは、北斎花鳥画集のシリーズ全10図をご紹介中。


また、この大判花鳥画のシリーズを季節ごとに差し替えてお楽しみいただいているお客様にインタビューさせていただいた内容を記事として公開中です。


そしてアダチ版画の目白ショールームでは、北斎の自然の表現に着目した展覧会『北斎が極めた「自然の表現」』を開催中です。お近くにお越しの際には、ぜひお立ち寄りください。
※終了しました。

Part1.北斎花鳥画集〜広重との花鳥画対決でその魅力に迫る〜
展示の様子



1月12日から始まった、千葉市美術館の「ジャポニスムー世界を魅了した浮世絵」展は、世界中の浮世絵の名品がそろっており見ごたえたっぷり。摺りや保存状態も大変よく、木版画の美しさを存分にご堪能いただけますので、浮世絵好きの皆様にはいまイチオシの展覧会です!

そして、本展で是非ご覧いただきたいのが、鈴木春信の名作3点です。
パリの宝石商アンリ・ヴェヴェールの旧蔵品であった「雨中夜詣」(東京国立博物館・松方コレクション)、そして、アメリカ・メトロポリタン美術館が所蔵する「夜の梅」と「雪中相合傘」。まさに、幕末以降海を渡り、世界を魅了した浮世絵作品です。

今回のコラムでは、この3つの春信作品の見どころをアダチ版画の復刻版でご紹介しながら、その魅力に迫ってまいります。


■ 可憐な春信美人が誘う 見立絵の世界 「雨中夜詣」



鈴木春信「雨中夜詣



「雨中夜詣」は、小田原提灯と傘を持つ年若い娘が、強い雨のなか宮詣する姿を描いた美人画です。風になびく着物や体つきのしなやかさ、そして上品で繊細な顔立ちには、幻想的な雰囲気が漂っています。

鳥居や、提灯に示された蔦の紋などの目印から、江戸時代の通人は、この美人のモデルが当時人気の水茶屋の看板娘、笠森お仙を描いたものとわかったようです。そして、さらにこの図は、能の演目として知られる「蟻通(ありどおし)」に出てくる宮守を、江戸娘に見立てて描いた「見立絵」であると言われています。

<提灯にうっすらと見える蔦の紋>
 
<お人形めいた顔立ちの春信美人>

このように教養豊かな趣味人たちに愛されていた春信ならではの趣向を凝らした画題ですが、そうした背景を知らない人が見ても、中性的で清純でありながらもどこかエロティシズムを感じさせるような、春信特有の表現に惹きつけられる作品です。
本作が海外でも評価されたのは、構図や描かれた女性の上品さなど、作品全体から醸し出される雰囲気が魅力的だったのではないでしょうか。



■ 和紙の白を最大限に活かす、多彩な黒の表現 「夜の梅」



鈴木春信「夜の梅



多色摺りを生み出した春信が、この技術を利用して表現したものはカラフルな色彩だけではありませんでした。
こちらの「夜の梅」は、手燭を掲げる美人と白梅の姿が浮かび上がる闇夜の情景を描いた格調高い一枚です。この作品で特に印象的に映るのが、夜を表現した「黒」の背景です。

   

漆黒の背景は、膠(にかわ)分を除いた墨で摺られており、和紙という素材と相まって独特の質感が生まれます。油性のインクでは生まれないマットな黒は、ある意味西洋の人々には新鮮に映ったのではないでしょうか。


<アダチ版画では墨を水を張った甕に浸し、時々上澄み液を取り替えながら、膠分をゆっくりと除いていきます。こうして甕の底に沈殿した膠分の抜けた墨をすり鉢ですることで、粒子の細かい艶やかで照りのある墨に仕上げていきます。>

春信は、黒を大胆に配色することで、作品の見せ場である白梅そして女性の方へ視点を集中させる効果を生み出しています。こうした黒の使い方は、黒を扱いづらい色としてきた西洋の画家たちに大きな影響を与えました。



■ 惜しみなく技巧を凝らした傑作 「雪中相合傘」



鈴木春信「雪中相合傘



こちらは春信の傑作「雪中相合傘」。一面の銀世界に、対照的な黒と白の着物を身に着け、寄り添いあって歩く男女が一組。一つの傘の中、口をつぐんだままお互いを慈しむような視線を交わす若い二人の胸中を想像させる、叙情的な作品です。

こうしたどこか夢のような世界観に、浮世絵を手にした人々が入り込んでいけるよう、春信は「空摺(からずり)」や「きめ出し」といった、和紙という素材を活かし、作品に立体感を持たせる技法を用いています。

<男女の着物に施された繊細な模様>
 
<版木に絵の具をつけずに摺ることで、和紙に凹凸をつける「空摺(からずり)」の技法です>


<地面には雪が降り積もったかのような立体的な線>
 
<「きめ出し」では、板の窪んだ部分を紙の裏から刷毛で叩くように隆起させます>

春信の浮世絵には、シンプルな構成ながらも木版ならではの技巧が凝らされており、手にした人々を喜ばせるための試行錯誤が垣間見られます。こうした工夫は、江戸の人々だけでなく西洋の人々をも驚かせたことでしょう。


■ 豊かな表現が魅力的な春信の浮世絵

今回ご紹介した3点の作品をはじめとする春信の浮世絵には、北斎や広重の時代の浮世絵とは異なる品格が感じられます。それはその制作背景に、錦絵草創期を支えた裕福な趣味人たちの存在があったからでしょう。

春信は、彼らの熱い要望に応えようと、多色摺を可能にする「見当」の開発を実現し、錦絵を誕生させました。そして、贅を尽くして作られた春信の浮世絵は、厚みがある上質の和紙を用い、和紙そのものの持つ風合いを存分に生かす「空摺」や「きめだし」といった様々な技法を駆使し、豊かな表現を生み出しました。

こうした春信の作品にみられる豊かな浮世絵の表現や日本人らしい美意識が、西洋の人々に評価され、ジャポニスムの中に息づいていったのではないでしょうか。


アダチのHPでは、今回ご紹介した3作品以外にも、春信らしい魅力の詰まった浮世絵をご案内しています。ぜひアダチの復刻版で、お手に取ってお楽しみください。

  ■ 今回ご紹介した作品
 
       
  鈴木春信
雨中夜詣
  鈴木春信
夜の梅
  鈴木春信
雪中相合傘
 

  ■ 関連作品
 
       
  鈴木春信
見立芦葉達磨
  鈴木春信
二月 水辺梅
  鈴木春信
雪中鷺娘
 



「雨中夜詣」増刷決定!
長らく在庫切れとなっていた本作品ですが、このたび増刷が決定いたしました!現在、送料無料にてご予約承り中。3月上旬のお届け予定です。


その他の鈴木春信の浮世絵はこちら >>


春信やジャポニスムについて気になった方はぜひ、展覧会に足を運んでみてくださいね。また、詳しい展覧会レポートをアダチ版画研究所が運営する情報サイト「北斎今昔」で公開中。こちらもぜひチェックしてみてください。




アダチセレクト 話題の一枚
歌川国芳「相馬の古内裏」


アダチセレクト・話題の一枚は、毎回一人の絵師とその作品を取り上げ、木版制作工房としての視点なども含めながら、作品とその制作背景などをご紹介していく連載企画です。

破れた御簾をかき分け、暗闇の中にぬっと顔を出す巨大な骸骨が印象的な「相馬の古内裏」。
この作品は、通常サイズの浮世絵を3枚並べて作られた「三枚続」と呼ばれる大きさの作品です。




↑身長160cmのスタッフが持った場合。
作品の大きさがお分かりいただけるでしょうか。



では、どうして画面を3枚に分けて作る必要があったのでしょうか?

今回は、浮世絵の素材や作業に着目しながら、当時の人々がワイドな画面を1枚ではなく3枚に分けて作り上げた、その理由に迫ってまいります。




■ 検証!三枚続を1枚絵で作るとどうなるの?~浮世絵をつくるための素材から

まず、浮世絵に使われる主な素材として、版木と和紙があげられます。

<版木>
江戸当時、浮世絵は、1度に200枚が摺られ、売れ行きが良ければ、200枚ごとに増刷されたと考えられており、版木には摩耗しにくという性質が求められました。そのため材には、硬く、木目が細かく一定で、伸び縮みの少ない、耐久性に優れた山桜の木が選ばれてきました。そして、その山桜の木を縦に切り出した「板目」の材が使われてきました。

山桜は、樹齢100年でようやく直径50cmの太さの木に成長するといわれており、当時から貴重な素材であったことがわかります。

↑浮世絵では、木を縦に切り出した「板目」の木材を使用します。



↑彫る前の山桜の版木。


<和紙>
浮世絵には、楮(こうぞ)を原料とした手漉き(てすき)の和紙が使われています。楮を下処理し、煮ることによって原料の繊維同士を分離させた後、水と混ぜて「簀桁(すげた)」と呼ばれる道具で漉いていきます。楮の繊維が絡まって漉きあがるため、とても丈夫な紙となります。色ごとに何度も摺り重ねる浮世絵には耐久性が求められることから、最適な素材であるといえます。


↑人間国宝・岩野市兵衛氏が和紙を漉く様子。
手に持っている道具が「簀桁」です。


和紙は、使われる目的によって大きさや漉き方が異なり、浮世絵にも数種類の和紙の規格がありました。中でも「大奉書」が当時の主流で、「大奉書」を半裁した「大判」サイズのものが、有名な北斎の「神奈川沖浪裏」などに使われています。

↑グレーの枠が当時の主流「大奉書」の大きさ。
「神奈川沖浪裏」はその半分のサイズです。

国芳の三枚続の作品にも、この「大判」サイズの和紙が3枚用いられています。


↑「神奈川沖浪裏」と「相馬の古内裏」をショールームに並べて飾ってみました。
大きさの違いがわかるでしょうか。


では、「三枚続」の大きさの浮世絵を1枚の絵として作った場合について考えてみましょう。
制作に不可欠の素材である版木や和紙は完成品とほぼ同じサイズ、縦 約37cm、横 約75.5cm以上の大きさのものが必要となります。

<版木>

↑「相馬の古内裏」の主版。
1枚絵で作る場合には約40cm×80cm程度の板が必要になります。

板目を使うため、芯を避けて40cm近い幅、そして80cm近い長さの材を取るのは、通常以上に費用がかかることが予想されます。また、用意ができたとしても、天然のものですから数に限りがあり、供給が安定しないことも想像できます。


<和紙>
三枚続のサイズの和紙を一枚漉の和紙として作る場合には、まず先ほどご紹介したように「大奉書」という通常の浮世絵(=大判サイズ)の2倍の大きさのものが一つの規格となっていますので、三枚続サイズの和紙を作ろうと思った場合には、「大奉書」の1.5倍の大きさで漉かなければなりません。


↑下に敷かれた白い紙が大奉書。
三枚続を作るには、1.5倍の大きさが必要です。

そのためには、「簀桁」などの道具から新たに作ることになります。和紙は「簀桁」を両手に持って漉くため、その横幅が長くなることは漉く人にとっては大変そうです。 費用や効率の面からみても、大きな和紙を大量生産するのは現実味がなさそうです。



■ 検証!三枚続を1枚絵で作るとどうなるの?~彫師・摺師の作業から

次に、彫師や摺師たち作り手の現場がどうなるか見てみましょう。

浮世絵ではありませんが、以前、現代のアーテイスト・草間彌生さんの木版画作品を特別なサイズ(縦 約30cm、横 約90cm)で制作しました。これは三枚続を1枚で作った時とほぼ同じくらいの大きさです。こちらの制作時の彫師、摺師の作業風景と、最も一般的な浮世絵の大きさ「大判」サイズの作品を作る際の作業風景を比較してみます。

<彫の場合>


広重「日本橋 朝之景」(大判サイズ)



草間彌生さんの作品(約30×90cm)








いずれも同じ彫台で作業していますが、右側の大きな作品の場合には、彫台から版木がかなりはみ出てしまっています。作業は可能ではありますが、結構大変そうなのがお分かりいただけると思います。

<摺の場合>

次に、摺の作業風景をご覧ください。


北斎「神奈川沖浪裏」(大判サイズ)



草間彌生さんの作品(約30×90cm)











いずれも同じ摺台で作業していますが、右側の大きな作品の場合には、摺る和紙を見当(紙の位置合わせの目印)に運び、体を捻りながら左端から右端まで一枚当たりかなり時間をかけながら摺っていました。そして、版木から和紙を剥がすときもいつも以上に慎重でした。写真を見ていただくと、体の大きな人でないとなかなか難しい動きであることがお分かりいただけると思います。

このように、大きなサイズの版木と和紙が用意できたとしても、彫師や摺師の制作現場においてもより大きなスペースが必要だったり、作業できる職人が限られてしまったりと、不便なことが多いのがわかります。


■ 三枚を並べて大画面を作るのは、効率化された最良の方法だった!

浮世絵に使われる素材や制作現場についてみてきましたが、「三枚続」のサイズの絵を1枚の絵として制作することは、採算性・効率性の点からも、現実的ではないことがご理解いただけたと思います。

浮世絵は、決められた規格のサイズで制作することによって、多くの人が安価に楽しむことを可能にし、江戸時代に大流行しました。

こうした制約の中で迫力の大画面を実現させたのが、「大判」サイズの浮世絵を3枚並べた「三枚続」という手法でした。「三枚続」は、国芳より前に活躍した鳥居清長や喜多川歌麿の頃の作品にも見られますが、そのころの三枚続きは、一枚でも作品としてみられるような画面の使い方をしたものが大半でした。


喜多川歌麿「婦人泊り客之図」

それに対して国芳は、「三枚続」の画面をいっぱいに使って、がしゃ髑髏や鯨、そして鰐鮫などを画中に登場させながら、迫力ある武者絵を数多く描いて、見る人を惹きつけることに成功しました。


歌川国芳「相馬の古内裏


今回取り上げた「相馬古内裏」をはじめとする国芳の「三枚続」は、浮世絵特有の制約の中でどうしたら人々を楽しませることができるかを考え、試行錯誤の末に生み出されたものだったのです。



アダチセレクト 話題の一枚
喜多川歌麿「蚊帳」-Part2. 後編-


アダチセレクト・話題の一枚、第2回目は喜多川歌麿の傑作「蚊帳」を取り上げています。前編では、歌麿の描く美人画の魅力、そして「蚊帳(かや)」というアイテムに込められた思いなどについてお話ししました。

今回お届けする後編では、美人画の大家・喜多川歌麿とその生みの親である版元・蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)の2人が江戸浮世絵界にもたらした美人画革命に焦点を当ててお話ししたいと思います。




喜多川歌麿「蚊帳




■ 版元&敏腕プロデューサー・蔦屋重三郎

今回ご紹介する歌麿の傑作「蚊帳」は、版元・蔦屋重三郎(蔦重)の元から出版された作品です。歌麿の作品の多くはこの蔦屋から出版されており、その中には歌麿の代表作とされるものが多く残されています。

版元・蔦屋重三郎とは、どんな人物だったのでしょうか?
蔦屋重三郎は、歌麿より3年ほど前の1750年に吉原に生まれたと言われています。1774年から、「吉原細見(よしわらさいけん)」という吉原のガイドブックのようなものの出版・販売に関わるようになってから、新しいビジネススタイルで江戸の出版界に頭角を表していきました。蔦重の仕事は単なる出版・販売にとどまらず、「吉原細見」を読み手目線に大胆にリニューアルしたり、出版物の序文を人気作家に書かせたり、出版の枠を超え、まるで現在のプロデューサー業のよう。そうして出版界に新風を巻き起こした蔦重は、次々とヒット作を飛ばし、1783年には吉原の店だけでなく、日本橋にも出店し、出版界でも一目置かれる存在となっていきました。



■ 美人画の大家・喜多川歌麿 誕生
そんな蔦重が次代の絵師として目を付けたのが、喜多川歌麿(1753年? - 1806年)でした。
歌麿の名が人々に知られるようになったのは、1788年頃から蔦屋が出版した、当時流行していた狂歌に、花鳥画を合わせた狂歌絵本「画本虫撰(えほんむしえらみ)」、「汐干のつと(しおひのつと)」、「百千鳥(ももちどり)」の挿絵でした。それらは、対象物を写実的に緻密に描いたもので、現在知られている"美人画の歌麿"とは全く違う、けれども歌麿の実力を見せつけるには十分な作品でした。
喜多川歌麿 百千鳥「鷹に百舌」



■ 女性の上半身にフォーカスした「大首絵」を考案

この蔦屋から出版された狂歌本の挿絵で成功を収めた歌麿は、その後、蔦重と組んで次々と新しい美人画を発表していきました。その中でも江戸で大きな話題となったのが、「大首絵(おおくびえ)」と呼ばれる、人物の上半身にフォーカスして描いた浮世絵です。元々、役者絵に使われた表現方法でしたが、歌麿と蔦重はそれを美人画に応用したのです。上半身にフォーカスすることで、これまでよりも大きく描けるようになった女性の顔。歌麿は、そこに女性一人一人の内面や性格などを描き出していきました。それまでは絵師の好みで描かれてきた女性像が、歌麿によって実在する女性となったのです。

       
  喜多川歌麿
物思恋

<シリーズ「歌撰恋之部(かせんこいのぶ)」の一枚で、頬杖をつき物思いに耽る女性を描いています。>
  喜多川歌麿
川岸(かし)

<シリーズ「北国五色墨(ほっこくごしきずみ)」の一枚で、気の強そうな下層遊女を描いています。>
  喜多川歌麿
難波屋おきた

<シリーズ「高名美人六歌撰(こうめいびじんろっかせん)」の一枚で、おもてなし精神に溢れた水茶屋・難波屋の看板娘おきたを描いています。>
 

また、大きく描かれた女性の顔や髪の生え際などをより細かく表現するために、彫師もこれまで以上に精度の高い彫の仕事が求められるようになり、木版の技術も大いに進歩していきました。  
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■ 寛政の改革の元で生み出したヒット作の数々

しかし、時は寛政。質素倹約に重きを置いた改革が始まり、娯楽を含む風紀の取締まりが厳しくなっていく中、出版業界にも様々な規制が課されました。しかし、どんな時にも蔦重と歌麿コンビが目指していたのは、女性をより美しく見せること。その思いによって、二人は幕府の規制に対抗するように、次々と新しい美人画の可能性を切り開いていきました。

↑クリックで拡大   その一つが、(雲母)キラの背景を施した美人画です。浮世絵を簡素化しなければいけないという幕府のお達しに対して、2人が考え出したのは、背景に何も描かない代わりに、雲母の粉を引いてきらきら光らせた背景でした。


       
  喜多川歌麿
娘道成寺

<シリーズ「当世踊子揃(とうせいおどりこぞろい)」の一枚で、娘道成寺を踊る若く美しい娘を描いています。>
  喜多川歌麿
高島屋おひさ

<寛政三美人にも数えられた、水茶屋・高島屋の看板娘を女房姿で描いています。>
  喜多川歌麿
ビードロを吹く娘

<シリーズ「婦女人相十品(ふじょにんそうじっぽん)」の一枚で、流行の市松模様の振袖に身を包んだ若々しい少女が描かれています。>
 


この背景にキラ引き(きらびき)が施された歌麿の美人画は、江戸の大ヒット商品となりました。
キラの背景以外にも、今回取り上げている「蚊帳」に見られるような、透かしたものを通して女性の美しさを引き出したり、空摺などによって女性の肌の柔らかさを表現したり、制約の中での試行錯誤から様々な表現方法を生み出していきました。


↓それぞれクリックで拡大
   
<背景以外の人物の部分が隠れるように渋皮の型紙をあて、雲母(きら)を刷毛で引いていく「キラ引き」の様子>
  <蚊帳越しに眺める美人>   <空摺で表現された
柔らかな輪郭線>


そして、それらの表現方法を用いて、実在する様々な女性の真の姿を描こうとしました。吉原の遊女の一日を2時間毎に描いた12枚のシリーズ「青楼十二時(せいろうじゅうにとき)」は、華やかな吉原の表の顔だけではなく、遊女たちがふと見せる素顔を描き出しているとして評価の高い作品ですが、これは吉原に馴染みの深い蔦重と共に活躍する歌麿だからこそ描くことのできたシリーズと言えます。

       
  喜多川歌麿
蚊帳の内外

<蚊帳を挟んで向かい合う若い男女を瑞々しく描いています。2枚の版木を使って、蚊帳の縦横の織を表現しています。>
  喜多川歌麿
未ノ刻

<シリーズ「娘日時計(むすめひどけい)」の一枚で、午後2時の町屋の娘の姿を描いています。顔の輪郭線は絵具を使わずに摺られています。(無線摺)>
  喜多川歌麿
丑ノ刻

<シリーズ「青楼十二時(せいろうじゅうにとき)」の一枚で、午前2時に手洗いへ向かう遊女を描いています。表では決して見ることのない、遊女がふと見せた素顔を描き出しています。>
 


■ 蔦重と歌麿の最期

しかし、1791年に蔦屋から出版された複数の出版物が幕府によって摘発、蔦重は財産の半分を没収されてしまいます。その後も蔦重は、幻の絵師、東洲斎写楽を売り出すなど起死回生を試みましたが、1797年に病気で亡くなりました。

東洲斎写楽「市川鰕蔵の竹村定之進」

蔦重亡き後も、歌麿は絵師として多くの美人画を描き続けましたが、1804年に禁制の画題を描いた浮世絵を出版したとして処罰され、手鎖50日の刑に処されます。それ以降、歌麿は病にかかり、2年後に失意のうちに亡くなりました。

ほぼ同じ時期に生まれ、そして同じような末路を辿って亡くなった、版元・蔦屋重三郎と絵師・喜多川歌麿ですが、この2人の活躍によって浮世絵美人画の歴史は大きく進化を遂げました。蔦重と歌麿の関係からわかるように、江戸の版元が担う役目は現在のプロデューサーのようなもので、出版を企画し、絵師を選び、その絵師と彫師・摺師たちを取りまとめて出版するまでの全工程に深くかかわっていたのです。蔦屋重三郎無くしては、美人画の大家・喜多川歌麿は生まれませんでした。蔦重と歌麿は、まさに浮世絵界における二人三脚の風雲児、そして革命児であったのです。

絵師 歌麿の画像:喜多川歌麿「高名美人見たて忠臣蔵 十一だんめ」18世紀 東京国立博物館蔵
出典:ColBase


「アダチセレクト・話題の一枚」第2弾、喜多川歌麿「蚊帳」後編は、美人画の大家・喜多川歌麿と敏腕版元・蔦屋重三郎の二人三脚についてお話しさせていただきました。版元の存在無くして、江戸における浮世絵の発展はあり得ませんでした。出版を企画し、企画にあった絵師・彫師・摺師を選び、出版までを取り仕切る。江戸の版元は、まさに現在のプロデューサー。そんな版元の視点から、歌麿の作品をご覧いただくきっかけになれば幸いです。




  ■ 関連作品
 
       
  喜多川歌麿
物思恋
  喜多川歌麿
ビードロを吹く娘
  喜多川歌麿
蚊帳の内外
 



  ■ テーマ別に楽しむ歌麿作品
 
       
  空摺が使われている作品   透かし表現(蚊帳・着物)  
           
       
  蔦屋から出版された作品   雲母(キラ)の作品  



そのほかの歌麿の浮世絵はこちら >>

アダチセレクト 話題の一枚
喜多川歌麿「蚊帳」-Part1. 前編-


アダチセレクト・話題の一枚は、毎回一人の絵師とその作品を取り上げ、木版制作工房としての視点なども含めながら、作品とその制作背景などをご紹介していく連載企画です。

第2回目となる今回選ばれた作品は、美人画の大家、喜多川歌麿の描いた「霞織娘雛形 蚊帳(かすみおりむすめひながた かや)」。蚊帳は部屋に虫が入ってくるのを防ぐために取り付ける網のようなもので、まだ網戸のなかったこの時代には夏の夜の風物詩的な存在でした。

蚊帳をはさんで向かい合う2人の美人を描いた、歌麿の魅力の集大成ともいえるこの作品を通して、数々の美人画の傑作を残した喜多川歌麿という絵師、そして彼の描いた作品の魅力をご紹介してまいります。

前後編でお届けする話題の一枚「蚊帳」。前編では、歌麿が本作「蚊帳」で描こうとしたものと本作の魅力について、制作の視点を交えながら迫ります。




喜多川歌麿「蚊帳




■ 美人画の大家・喜多川歌麿

喜多川歌麿(きたがわうたまろ・1753?-1806)は、江戸時代の浮世絵師。幼少より鳥山石燕に絵を学び、「浮世絵黄金期」と呼ばれる18世紀後期ごろ、表情豊かな美人画で人気を博しました。

歌麿は様々な技法を取り入れ、美人をより魅力的に表現しようと努めました。それまで役者絵に用いられてきた大首絵(バストアップ)の形式を美人画に取り入れたのも歌麿。これによって、一人一人の顔貌や表情の違いを描き分けようと試みたのです。


喜多川歌麿「当時三美人
<3人の顔貌が描き分けられています>
 



■ "透けているもの"を通して眺める美人

↑クリックで拡大   今回ご紹介する歌麿の傑作「蚊帳」は、版元・蔦屋重三郎の元から出版された「霞織娘雛形」というシリーズの中の一点です。

「霞織」という言葉は、おそらく蔦屋か歌麿の創作した造語だと考えられています。シリーズ名の「霞織娘雛形」には、「透けているものを通して美人を眺める」という意が込められているそう。

本シリーズには この「蚊帳」のほかに、「夏衣装」と「簾」の全3図という作品が知られており、そのどれもが薄い布などの透けているものの内と外に対比して美人を置く構図をとっています。
描かれたのは、歌麿が絵師としての絶頂を迎えたと考えられている寛政6~7年ごろ。代表作である「ビードロを吹く娘」とほぼ同時期の作品です。

2人の女性の上半身が描かれた本図。1人が手前、もう1人が向こう側で、蚊帳越しに向かい合って話をしているようです。手前の女性は懐紙をもっており、手水から帰ってきたところでしょうか。蚊帳の内側の女性は鬢を紐でくくり、寝床に入る準備をしているよう。リラックスした様子から、2人は親しい間柄なのでしょう。暑い夏の夜、眠りにつく前の当時の女性たちの様子が垣間見えるようですね。
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<懐紙を持っています>   <鬢を紐でくくっています>

「霞織娘雛形」というシリーズで歌麿は、「透かし見ることによって現れる女性の美しさ」を表現しています。布などによって遮られ、向こう側にいる人物がはっきりと見えないことによって、鑑賞者は隠された姿を想像し「もっとよく見たい」と強く欲するようになるのです。この好奇心は透けているものの向こう側にいる女性への興味を掻き立て、彼女をより魅力的に、美しく見せます。本作のタイトルとなった「蚊帳」というアイテムもまた、「隠されることで生まれる好奇心」を呼び起こすための舞台装置であり、奥にいる人物の美しさを増幅させるアイテムなのです。

<蚊帳を表現する彫と摺>
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美人画の彫の中で、難易度が最も高いとされるのが、顔や髪の毛などの頭彫り。浮世絵版画は色を付けたい部分だけ残して板を彫る「凸版」ですから、この部分の緻密な彫は、一流の職人にしか成しえません。中でも「毛彫」と呼ばれる髪の生え際の部分は、江戸時代には専門の職人がいたと言われている彫師の腕の見せ所です。

そして本作「蚊帳」には、もう一つ彫師の技量が存分に発揮される表現がほどこされています。言わずもがな、本図で主題として取り上げられている「蚊帳」です。
目の粗い織物独特の、透けた質感はどうやって表現されているのでしょう。女性の手前に描かれる蚊帳の部分を拡大して見てみると、細かい縦の線と横の線があるのがわかります。実際の蚊帳と同様に、縦と横の網目を作り出すことで透けた布を表現しているのです。 ↑クリックで拡大

立体感のある網目を作り出すため、本図の蚊帳は縦線を彫った板と横線を彫った板の2枚を用いて摺られています。実際に摺られた線を見てみると、その細さ約0.4mm。まっすぐで繊細な無数の線を、彫師は熟練の高い技術を持って寸分の狂いもなく彫り上げます。

本作品の中でも一番長い縦線(画面の最上部から最下部まで)を彫りあげる高度な彫師の技術をご覧ください。


彫師:岸千倉

↑クリックで拡大 ↑クリックで拡大
<蚊帳の版木(縦)> <蚊帳の版木(横)>

蚊帳の細かい線の表現は、摺師にとっても腕の見せ所です。同じ板を使って線を摺るのにも、力のかけ具合で濃淡や線の太さは大きく変わります。力加減を間違えれば、絵具が溜まってしまったり、線が太くなってしまったりと、作品の印象が全く変わってしまうのです。摺師は通常一度に100枚程度の枚数を、高度な技術によってすべて同じように摺り上げています。
↑クリックで拡大 また、人物の手前に透け感のあるものを配置する本作の工夫は、伝統木版ならではの手法とも言うことができます。浮世絵では、水性の顔料を和紙の繊維にきめ込みながら色を重ねていきます。重要なのはこの絵具。不透明な油絵具などと違い、摺った後にも下の色が透けて見えるという特徴があるのです。浮世絵版画では、透過性のある色を実際に重ね合わせていくことによって、手前の透けているものと奥の人物という構図を作り上げることが可能なのです。




■ 個性あふれる美人たち

描かれている美人にも注目してみましょう。本来美人画は、絵師ごとに理想の外見があり、その型にはめてモデルを描く「典型美」の世界でした。そんな常識を覆したのが歌麿です。

歌麿の描く美人画は、「典型美」の時代の美人画に比べると、ふくよかで現実的な肉体を持っています。弾力を感じさせる肉体表現は、匂い立つような色気を醸し出します。
蒸し暑い夏の日、襟元に手をやり、涼をとろうとする女性。このしぐさに、何とも言えない色香を感じませんか?
 
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  歌麿は、女性のうなじの美しさにクローズアップした作品も残しています。
「襟おしろい」は、鏡を見ながらおしろいを塗る女性を後ろからのぞき込むような構図で描いた作品です。まさに「典型美」の時代には見られなかった歌麿らしい艶っぽい表現ですね。




喜多川歌麿「襟おしろい


もともと遊女や芸者を題材とすることが多かった美人画というジャンル。
しかし歌麿が描いた美人は吉原の娘たちだけに留まりませんでした。彼は、美人と評判の茶屋娘から、働く女性、高級遊女までありとあらゆる世代・身分の女性たちの姿を描いています。そしてその一人一人に事細かなキャラクター設定がなされ、ちょっとした仕草や表情の中に喜怒哀楽を表わしているのも特徴です。歌麿は絵の主人公となる美人に愛すべき個性を持たせ、血の通った人間としてリアリティを持って描きました。
 
喜多川歌麿「難波屋おきた
<江戸評判の町娘を描いた「難波屋おきた」>
  喜多川歌麿「髪梳き
<髪結い職人として働く女性を描く
「婦人手業拾二工 髪梳き
(ふじんてわざじゅうにこう かみすき)」>

本作「蚊帳」で描かれている2人の美人も、理知的な雰囲気の手前の女性と、穏やかでかわいらしい蚊帳の奥の女性という風に、それぞれの魅力が描き分けられています。
↑クリックで拡大   ↑クリックで拡大
<穏やかな表情のかわいらしい女性>   <理知的で目元涼やかな美人>



連載企画「アダチセレクト・話題の一枚」の第2弾、喜多川歌麿「蚊帳」。Part1である今回は、本作に凝縮された歌麿の魅力についてお話してきました。お楽しみいただけましたでしょうか? 次回Part2では、歌麿を世に送り出した名プロデューサー蔦屋重三郎や彼らが生み出した様々な美人の表現など、美人画の大家・歌麿誕生の背景に迫ります。どうぞお楽しみに!




  ■ 関連作品
 
       
  喜多川歌麿
襟おしろい
  喜多川歌麿
当時三美人
  喜多川歌麿
髪梳き
 



  ■ テーマ別に楽しむ歌麿作品
 
       
  空摺が使われている作品   透かし表現(蚊帳・着物)  
           
       
  蔦屋から出版された作品   雲母(キラ)の作品  



そのほかの歌麿の浮世絵はこちら >>


アダチセレクト 話題の一枚 喜多川歌麿「蚊帳」-Part2. 後編- >>

アダチセレクト 話題の一枚
鈴木春信「二月 水辺梅」-Part2. 制作編-


2021年1月より新連載のアダチセレクト・話題の一枚。毎回一人の絵師とその作品を取り上げ、木版制作工房としての視点なども含めながら、作品とその制作背景などをご紹介していく特別企画です。

第1回目の作品は、錦絵の祖、鈴木春信の傑作「二月 水辺梅」。前回の-Part1.作品編ーでは、夢のように可憐で儚い春信ワールドの代表作である本作の作品そのものについて取り上げましたが、-Part 2.制作編-の今回は、その春信の夢の世界を生み出す制作技術や材料などに焦点を当ててお話ししていきます。




鈴木春信「二月 水辺梅




■ 墨摺り絵から錦絵へ -モノクロからフルカラーへー

「錦絵の祖」と呼ばれる鈴木春信。その春信が完成させた美しいフルカラーの浮世絵「錦絵」は、一枚の紙に必要な色の数だけ版を摺り重ねていくことで生まれます。この一見何でもないように見える複数の色をずれないように大量に摺ることは、実は大変難しく、なかなか超えることのできない課題でした。

初期の一枚絵の浮世絵は、「版本(はんぽん:版木に彫って印刷された書物のこと)」と同じく墨一色でした。そして、そこに手彩色で数色の色を入れた浮世絵が作られるようになり、更にその後、現在の「見当(けんとう)」の原型のようなものが開発され、墨の線に二色から三色ほどの色を(通常、赤と緑)版で入れる多色摺が試みられるようになり、少しずつ浮世絵のカラー化が進んでいきました。
 
墨摺絵
懐月堂安知
菊模様着立美人
丹絵
鳥居清倍
竹抜き五郎
紅摺絵
石川豊信
「中村喜代三郎 文読美人」
※現在販売いたしておりません
 
しかし明和2年(1765)、鈴木春信によって完全な「見当」が完成されてからは、モノクロの時代から一気にフルカラーの時代へと飛躍します。前回お話した趣味人たちの「絵暦」ブームの需要を受けて春信が完成させたこの「見当」によって、浮世絵の黄金時代が幕開けしたのです。
>> 「絵暦」ブームについてお話ししたPart1.はこちら



■ 江戸庶民にカラー印刷をもたらした世紀の大発明 "見当"

物事におおよそのあたりをつけることを「見当をつける」と言いますが、この見当は鈴木春信が完成させた「見当」が語源。

伝統木版画では、カギ型見当と引き付け見当の二つの見当を使い、いつも同じ場所に和紙をセットします。カギ型見当は版木の右下の角に、引き付け見当は版木の左下角から右へ1/3ほどのところにあり、どちらも紙一枚程度に彫られた溝のようなものです。

<紙の位置を決めるカギ型見当(右下)と
引き付け見当(左下)>
<紙一枚分の溝が彫ってあります>

摺師は摺りのたびに、まずカギ型をした右下の角の見当に紙をセットし、直線の溝である引き付け見当に合わせるようにして紙を版木に載せていきます。


摺師としての修業の最初の難関は、「見当を合わせる(見当にいつでも同じように紙を置ける)」 こと。一見、簡単に見える作業ですが、実は長い修業によって習得しなければならない摺師の技術です。

春信が明和2年(1765)に完成させた「見当」は、200年以上の時を超えた今もなお我々の仕事にそのままの形で使われています。ちなみに1770年頃に一般庶民がカラー印刷を楽しんでいたのは、世界でも日本だけ!これも春信の大発明のおかげと言えます。



■ 贅を凝らした春信の作品を生み出す紙 "奉書"


春信は、裕福な趣味人たちの要望によって多色摺を完成させ、次々と手の込んだ作品を生み出しました。それらは色の数も多く、一枚の作品を作るために摺る回数も格段に増えました。

すると、それまで主に使用されていた薄い和紙では度重なる摺には耐えられず破れてしまうようになり、春信の頃から厚みのある「奉書(ほうしょ)」という和紙が使われるようになりました。ふっくらとした厚みを持つこの和紙は、春信が好んで使った特殊な摺による効果も十分に発揮させることができました。
 

 
現在、アダチ版画の浮世絵は、初期など特殊なものを除いて、楮(こうぞ)だけで作られた手漉きの奉書を使っています。楮の長い繊維が柔らかく絡み合ってできたこの紙は、最高の発色を実現するだけでなく、春信のような技巧を凝らした作品を存分に引き立てることができます。



■ 漆黒の闇を作り出すための特別な墨と摺師の技


春信は夜のシーンを多く描きました。本作「二月 水辺梅」も夜が舞台です。月さえもない暗闇を表現するのに、背景を真黒に塗りつぶした春信。実は、このマットな黒の発色は、膠分を除いた特別な墨でしか出せないものです。
 

    

通常、墨は膠と混ぜて固められていますが、アダチ版画ではその墨を水を張った甕に浸し、時々上澄み液を取り替えながら、膠分をゆっくりと除いていきます。こうして甕の底に沈殿した膠分の抜けた墨をすり鉢ですることで、粒子の細かい艶やかで照りのある墨に仕上げていきます。



摺師は、この墨を楮の長い繊維が絡み合ってできた紙の繊維の中にしっかりと摺りこんでいきます。黒のつぶしを均一に摺り上げることは難しく、高い摺の技術が必要とされます。春信の「二月 水辺梅」やその他の作品に見られる背景のマットな黒のつぶしは、和紙と墨と言う日本伝統の素材と摺師の高い技術が結集して生まれたものなのです。



<春信「二月 水辺梅」が北斎「神奈川沖浪裏」に比べて小さい理由 ー浮世絵の紙の大きさのお話ー>

浮世絵の紙の大きさは、時代によって異なります。浮世絵は商業印刷だったことからそのサイズにも規格があり、紙の大きさは漉かれた全判の紙を何等分するかで決められました。全判の大きさは、通常、紙漉きの桁(けた:水に浮いた紙の原料をすくいあげる木枠のようなもの)のサイズによるもので、和紙にはおおむね五種類のサイズがあったとされます。

本作品「二月 水辺梅」を含め、春信の時代に主に使われたのは「中判(ちゅうばん)」というサイズ。これは、大広奉書(おおびろぼうしょ)という縦1尺4寸×横1尺9寸の紙を四等分したサイズです。

ちなみに春信より後の北斎や広重の時代は、一回り小さいサイズの大奉書(おおぼうしょ)という縦1尺3寸×横1尺8寸の紙を二等分した「大判」サイズが主流となります。お馴染みの「富嶽三十六景」や「東海道五十三次」は、このサイズに当たります。
 
※北斎の作品にも「中判」と呼ばれるものがありますが(「鷽に枝垂桜」など)、この中判は大奉書を四等分したサイズなので、同じ「中判」と呼ばれていても、元の紙が一回り大きな春信の「中判」よりも少し小さくなります。
 
春信「二月 水辺梅」   北斎「鷽に垂桜」
浮世絵の紙のサイズが春信の時代とそれ以降に変わっていった背景には、おそらく出版事情や作り手の意図などがあったと思われますが、あくまでも推測の域を出ません。春信が見当を完成させたことで、複雑な多色摺が可能になり、用紙には厚めの奉書が使われるようになりましたが、その大きさは時代やジャンルによっても様々でした。

しかしながら、どの時代にも共通しているのは「無駄を出さずに効率良く」ということ。それは、あくまでも商業印刷であった浮世絵が、いつの時代も徹底した時間とコストの管理下にあったためです。絵画として成立つ最小の極限を求め続けて出来上がったのが浮世絵、まさに「制約の美」の極みと言えるのです。





新連載「アダチセレクト・話題の一枚」第1回目、鈴木春信の「二月 水辺梅」-Part2. 作品編-はいかがでしたでしょうか?
浮世絵の歴史を語る際に欠かすことのできない人物、鈴木春信。今回は、制作の観点から「二月 水辺梅」だけではなく、春信と言う浮世絵師の功績とその立ち位置、また浮世絵をとりまく材料のお話しもさせていただきました。見当の完成だけではなく、その独特の画風から多くの浮世絵師に多大なる影響を与えた浮世絵師・鈴木春信。その傑作の一つ「二月 水辺梅」を通して、鈴木春信という絵師を知っていただく機会になれば幸いです。


この作品以外の春信の作品もアダチ版画でご紹介しておりますので、是非ご覧ください。


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品質へのこだわり

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厳選素材・道具

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