アダチセレクト 話題の一枚
鈴木春信「二月 水辺梅」-Part2. 制作編-


2021年1月より新連載のアダチセレクト・話題の一枚。毎回一人の絵師とその作品を取り上げ、木版制作工房としての視点なども含めながら、作品とその制作背景などをご紹介していく特別企画です。

第1回目の作品は、錦絵の祖、鈴木春信の傑作「二月 水辺梅」。前回の-Part1.作品編ーでは、夢のように可憐で儚い春信ワールドの代表作である本作の作品そのものについて取り上げましたが、-Part 2.制作編-の今回は、その春信の夢の世界を生み出す制作技術や材料などに焦点を当ててお話ししていきます。




鈴木春信「二月 水辺梅




■ 墨摺り絵から錦絵へ -モノクロからフルカラーへー

「錦絵の祖」と呼ばれる鈴木春信。その春信が完成させた美しいフルカラーの浮世絵「錦絵」は、一枚の紙に必要な色の数だけ版を摺り重ねていくことで生まれます。この一見何でもないように見える複数の色をずれないように大量に摺ることは、実は大変難しく、なかなか超えることのできない課題でした。

初期の一枚絵の浮世絵は、「版本(はんぽん:版木に彫って印刷された書物のこと)」と同じく墨一色でした。そして、そこに手彩色で数色の色を入れた浮世絵が作られるようになり、更にその後、現在の「見当(けんとう)」の原型のようなものが開発され、墨の線に二色から三色ほどの色を(通常、赤と緑)版で入れる多色摺が試みられるようになり、少しずつ浮世絵のカラー化が進んでいきました。
 
墨摺絵
懐月堂安知
菊模様着立美人
丹絵
鳥居清倍
竹抜き五郎
紅摺絵
石川豊信
中村喜代三郎 文読美人
 
しかし明和2年(1765)、鈴木春信によって完全な「見当」が完成されてからは、モノクロの時代から一気にフルカラーの時代へと飛躍します。前回お話した趣味人たちの「絵暦」ブームの需要を受けて春信が完成させたこの「見当」によって、浮世絵の黄金時代が幕開けしたのです。
>> 「絵暦」ブームについてお話ししたPart1.はこちら



■ 江戸庶民にカラー印刷をもたらした世紀の大発明 "見当"

物事におおよそのあたりをつけることを「見当をつける」と言いますが、この見当は鈴木春信が完成させた「見当」が語源。

伝統木版画では、カギ型見当と引き付け見当の二つの見当を使い、いつも同じ場所に和紙をセットします。カギ型見当は版木の右下の角に、引き付け見当は版木の左下角から右へ1/3ほどのところにあり、どちらも紙一枚程度に彫られた溝のようなものです。

<紙の位置を決めるカギ型見当(右下)と
引き付け見当(左下)>
<紙一枚分の溝が彫ってあります>

摺師は摺りのたびに、まずカギ型をした右下の角の見当に紙をセットし、直線の溝である引き付け見当に合わせるようにして紙を版木に載せていきます。


摺師としての修業の最初の難関は、「見当を合わせる(見当にいつでも同じように紙を置ける)」 こと。一見、簡単に見える作業ですが、実は長い修業によって習得しなければならない摺師の技術です。

春信が明和2年(1765)に完成させた「見当」は、200年以上の時を超えた今もなお我々の仕事にそのままの形で使われています。ちなみに1770年頃に一般庶民がカラー印刷を楽しんでいたのは、世界でも日本だけ!これも春信の大発明のおかげと言えます。



■ 贅を凝らした春信の作品を生み出す紙 "奉書"


春信は、裕福な趣味人たちの要望によって多色摺を完成させ、次々と手の込んだ作品を生み出しました。それらは色の数も多く、一枚の作品を作るために摺る回数も格段に増えました。

すると、それまで主に使用されていた薄い和紙では度重なる摺には耐えられず破れてしまうようになり、春信の頃から厚みのある「奉書(ほうしょ)」という和紙が使われるようになりました。ふっくらとした厚みを持つこの和紙は、春信が好んで使った特殊な摺による効果も十分に発揮させることができました。
 

 
現在、アダチ版画の浮世絵は、初期など特殊なものを除いて、楮(こうぞ)だけで作られた手漉きの奉書を使っています。楮の長い繊維が柔らかく絡み合ってできたこの紙は、最高の発色を実現するだけでなく、春信のような技巧を凝らした作品を存分に引き立てることができます。



■ 漆黒の闇を作り出すための特別な墨と摺師の技


春信は夜のシーンを多く描きました。本作「二月 水辺梅」も夜が舞台です。月さえもない暗闇を表現するのに、背景を真黒に塗りつぶした春信。実は、このマットな黒の発色は、膠分を除いた特別な墨でしか出せないものです。
 

    

通常、墨は膠と混ぜて固められていますが、アダチ版画ではその墨を水を張った甕に浸し、時々上澄み液を取り替えながら、膠分をゆっくりと除いていきます。こうして甕の底に沈殿した膠分の抜けた墨をすり鉢ですることで、粒子の細かい艶やかで照りのある墨に仕上げていきます。



摺師は、この墨を楮の長い繊維が絡み合ってできた紙の繊維の中にしっかりと摺りこんでいきます。黒のつぶしを均一に摺り上げることは難しく、高い摺の技術が必要とされます。春信の「二月 水辺梅」やその他の作品に見られる背景のマットな黒のつぶしは、和紙と墨と言う日本伝統の素材と摺師の高い技術が結集して生まれたものなのです。



<春信「二月 水辺梅」が北斎「神奈川沖浪裏」に比べて小さい理由 ー浮世絵の紙の大きさのお話ー>

浮世絵の紙の大きさは、時代によって異なります。浮世絵は商業印刷だったことからそのサイズにも規格があり、紙の大きさは漉かれた全判の紙を何等分するかで決められました。全判の大きさは、通常、紙漉きの桁(けた:水に浮いた紙の原料をすくいあげる木枠のようなもの)のサイズによるもので、和紙にはおおむね五種類のサイズがあったとされます。

本作品「二月 水辺梅」を含め、春信の時代に主に使われたのは「中判(ちゅうばん)」というサイズ。これは、大広奉書(おおびろぼうしょ)という縦1尺4寸×横1尺9寸の紙を四等分したサイズです。

ちなみに春信より後の北斎や広重の時代は、一回り小さいサイズの大奉書(おおぼうしょ)という縦1尺3寸×横1尺8寸の紙を二等分した「大判」サイズが主流となります。お馴染みの「富嶽三十六景」や「東海道五十三次」は、このサイズに当たります。
 
※北斎の作品にも「中判」と呼ばれるものがありますが(「鷽に枝垂桜」など)、この中判は大奉書を四等分したサイズなので、同じ「中判」と呼ばれていても、元の紙が一回り大きな春信の「中判」よりも少し小さくなります。
 
春信「二月 水辺梅」   北斎「鷽に垂桜」
浮世絵の紙のサイズが春信の時代とそれ以降に変わっていった背景には、おそらく出版事情や作り手の意図などがあったと思われますが、あくまでも推測の域を出ません。春信が見当を完成させたことで、複雑な多色摺が可能になり、用紙には厚めの奉書が使われるようになりましたが、その大きさは時代やジャンルによっても様々でした。

しかしながら、どの時代にも共通しているのは「無駄を出さずに効率良く」ということ。それは、あくまでも商業印刷であった浮世絵が、いつの時代も徹底した時間とコストの管理下にあったためです。絵画として成立つ最小の極限を求め続けて出来上がったのが浮世絵、まさに「制約の美」の極みと言えるのです。





新連載「アダチセレクト・話題の一枚」第1回目、鈴木春信の「二月 水辺梅」-Part2. 作品編-はいかがでしたでしょうか?
浮世絵の歴史を語る際に欠かすことのできない人物、鈴木春信。今回は、制作の観点から「二月 水辺梅」だけではなく、春信と言う浮世絵師の功績とその立ち位置、また浮世絵をとりまく材料のお話しもさせていただきました。見当の完成だけではなく、その独特の画風から多くの浮世絵師に多大なる影響を与えた浮世絵師・鈴木春信。その傑作の一つ「二月 水辺梅」を通して、鈴木春信という絵師を知っていただく機会になれば幸いです。


この作品以外の春信の作品もアダチ版画でご紹介しておりますので、是非ご覧ください。


  ■ 関連作品
 
       
  鈴木春信
梅折る美人
  鈴木春信
夜の梅
  鈴木春信
雪中相合傘
 



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アダチセレクト 話題の一枚
鈴木春信「二月 水辺梅」-Part1. 作品編-


2021年1月より新連載のアダチセレクト・話題の一枚。毎回一人の絵師とその作品を取り上げ、木版制作工房としての視点なども含めながら、作品とその制作背景などをご紹介していく特別企画です。

記念すべき第1回目の作品は、錦絵の祖、鈴木春信の傑作「二月 水辺梅」。川のせせらぎがだけが聞こえる静かな闇夜と白梅の芳香、そこに浮かび上がる若い男女の清純な恋の情景。まさに夢のように可憐で儚い春信ワールドの代表作です。その春信の世界や作品誕生の背景などについて、Part 1.作品編とPart2.制作編の2回に分けてご紹介します。

-Part 1.作品編-の今回は、作品と作品の時代背景などに焦点を当ててお話ししていきます。




鈴木春信「二月 水辺梅




■ 錦絵の祖、鈴木春信

「錦絵の祖」と呼ばれる鈴木春信は、1725(享保10)年頃に江戸に生まれたと言われています。春信本人の詳しい資料は残っておらず不明な点の多い春信ですが、1765(明和2)年を境に、一気にその名が知られるようになります。
この明和2年は、春信が「見当(けんとう)※」を開発、複数の色をずれの無いように摺り重ねる多色摺が可能となり、浮世絵史に革命がもたらされた年です。春信が「錦絵の祖」と呼ばれる所以は、この「見当」の開発にあります。数多くの作品を生み出した春信ですが、実際に浮世絵師として活躍したのは1760年初め頃からのほぼ10年ほどのみでした。

※見当:版木上に彫られた2か所の僅かな溝。ここに紙を合わせることによって、複数の色をずれ無く摺り重ねることができる。

<紙の位置を決めるカギ型見当(右下)と
引き付け見当(左下)>
<紙一枚分の溝が彫ってあります>


■ 錦絵の誕生と絵暦(えごよみ)

春信が、多色摺りを可能にした「見当(けんとう)」の開発に成功した背景には「絵暦(えごよみ)」の流行があります。絵暦とは、当時の年間カレンダーのようなもので、太陰暦において毎年変わる大の月(30日)と小の月(29日)を記したものです。

裕福な趣味人たちの間で、自分だけの絵暦を好みの絵師に描かせ、特注品として誂え、新春の交換会で狂歌仲間に配るという風習が大流行しました。人よりも優れた絵暦を作るためならコストを気にしない風流人たち。その熱い要望に応えるために、春信は何色も色を重ねたり、絵具は使わずに質感を生み出す特殊な摺の技法など、様々な技術や技法を生み出し、更にそれらを向上させることに成功しました。

こうして生まれた作品は、「摺物(すりもの)」と呼ばれ、贅を尽くした特注品として富裕層の間でもてはやされました。そして、この絵暦の流行に目をつけた版元が、その技術を利用し生まれた多色摺木版画を「錦絵(にしきえ)」として一般に売り出したところ、これが大人気となり、一気に庶民の手にもフルカラーの印刷物が渡ることになったのです。
 
夕立
<錦絵誕生のきっかけともなった
春信の 「夕立」>

<春信の描いた「絵暦」>

春信の描いた絵暦で有名なのが、明和2年に描かれた「夕立」です。この作品の中には、「大、二、三、五、六、八、十、メ、イ、ワ、二」と「乙、ト、リ」の文字が隠されていますが、見つけられますか?
大に続く数字は、この年の大の月、そして明和二年、乙トリも同じく明和2年を表しています。

※こたえ:「大、二、三、五、六、八、十、メ、イ、ワ、二」は、物干し棹に干された浴衣の模様の中に、「乙、ト、リ」は、突然の夕立に慌てて駆け出してきた女性の臙脂色の帯の模様の中に隠されています!




■ 和歌に想いを得て描かれた純愛 「二月 水辺梅」

今回ご紹介する春信の傑作「二月 水辺梅」。古の和歌に着想を得て描かれた「風流四季歌仙」というシリーズの中の一点です。
作品上部に記された和歌は、平経章朝臣によるもので「末むすぶひとのさへや匂ふらん 梅の下行水のなかれは」と歌われており、「下流で掬ぶ人の手さえ匂うだろうか。梅の花の下を流れてゆく水は」という意味。この歌の情景が描かれたのが本図「二月 水辺梅」。
 
 
闇夜に浮かび上がる若い男女。木製の柵の上に上り、恋する女性のために白梅を手折ろうとしている男性の姿を、石灯籠の上に頬杖をついてうっとりとみつめる女性。辺り一面に白梅の香りが漂い、その香りと共に二人の純愛も、樹下を流れる川の下流へと運ばれていきます。
梅は、春信の作品によく登場する花です。春信の手にかかると男女の純愛を描いたシーンも単なる情景ではなく、その前後のストーリーや漂う梅の香りまでが描き出されます。春信のエッセンスが凝縮された香り高い作品です。


■ 春信の描く夢の世界の住人たち

春信の描く夢のような世界に登場する人物は一様に、細身で可憐、そして中性的な特徴を持っています。春信の後の時代に一世を風靡する歌麿の美人画と比べるとその差は一目瞭然。この可憐な人物描写こそが春信の一番の魅力です。
 
<鈴木春信・二月 水辺梅より>   <喜多川歌麿・ビードロを吹く娘より>

例えばこの「二月 水辺梅」に登場する若い男女。注目すべきは、二人の目線です。二人の顔の角度はほぼ同じように描かれ、一見目線も同じように描かれているようですが、実は違います。男性は手折ろうとしている梅の枝を見ていますが、女性が見つめるのは自分のために白梅の枝を手折ろうとしてくれる恋しい人の横顔。  
  このような極めて繊細な顔や指先の表現によって、春信は人物間の感情までを描き出しています。
そして、このような春信の筆遣いを完全に再現できるのは、一流の彫師だけ。春信の小さな顔や折れそうに細い指先に命を吹き込めるかは、彫師の腕の見せ所です。


新連載「アダチセレクト・話題の一枚」第1回目、鈴木春信の「二月 水辺梅」をお楽しみいただけましたか?
春信の「二月 水辺梅」-Part1. 作品編-の今回は、主に作品とその時代背景などについてお話ししました。次回は制作面に焦点を当ててお話ししたいと思いまので、どうぞご期待ください。



春信の作品には、他のどの絵師にも作り出せない独特の空気感があります。中性的で清純でありながら、どこかエロティシズムを感じさせるようなその人物描写は、知れば知るほど虜になってしまいます。この作品以外の春信の作品もアダチ版画でご紹介しておりますので、是非ご覧ください。



  ■ 関連作品
 
       
  鈴木春信
梅折る美人
  鈴木春信
夜の梅
  鈴木春信
雪中相合傘
 



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アダチセレクト 話題の一枚 鈴木春信「二月 水辺梅」-Part2. 制作編- >>
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28枚にも及ぶ大判サイズの役者大首絵という華麗なるデビューを果たした謎の絵師、東洲斎写楽について二回にわたりご紹介してきました。
最終回となる今回は、本作の特徴的な黒い背景に焦点を当て、アダチならではの制作の視点からその魅力について迫ります!

シンプルな黒い背景に隠されたこだわり

三世大谷鬼次の江戸兵衛

何も描かれず、鈍く光を反射する黒い背景。

この背景の部分には、鉱物の一つである雲母(うんも)の粉末と、接着剤の役割をする膠(にかわ)を混ぜた「雲母(きら)」といわれるものを刷毛で和紙の上にのせています。

<「三世大谷鬼次 江戸兵衛」の黒い背景>

以前、話題の一枚でも取り上げた喜多川歌麿の「ビードロを吹く娘」と同様に、背景以外の人物の部分が隠れるように渋皮の型紙をあて、雲母(きら)を刷毛で引いてくこの技法は、「雲母引き(きらびき)」と呼ばれています。

雲母引き
<当時の浮世絵と同じ質感を再現する“雲母引き”>

「三世大谷鬼次 江戸兵衛」の場合は、黒い背景から黒雲母(くろきら)と呼ばれています。

歌舞伎では現代のように照明が明るくなかった江戸時代に、薄暗い中でも舞台映えするために、白塗りをするようになったと言われています。
白塗りの顔をさらにはっきりと見せるため背景に黒雲母(くろきら)を施す工夫を凝らしたのではないでしょうか。

<“雲母引き”がより一層白塗りを際立たせている

制作の工夫が垣間見える"省略の美"

歌舞伎は江戸庶民の娯楽の中心とされていました。そのため役者絵は大変人気があり、歌舞伎役者のブロマイドの役割を果たしていました。
版元は、芝居の演目・役者・役柄に合わせ、興行が始まると同時にいかに早く歌舞伎役者の浮世絵を出版するかを考え、競い合うかのように制作したと言われています。

そうしたなかで、版の枚数や摺りの回数を極力抑え、少ない工程で魅力的な作品をつくりあげるために、制作の工夫が生み出されたのではないでしょうか。

摺順序
<“雲母引き”がより一層白塗りを際立たせている

いかに早く出版するかという限られた制約の中で作り上げられた浮世絵だからこそ、省略された雲母引き(きらびき)の背景や、簡略化された線の美しさを感じることができます。

そうした"省略の美"が私たちを引き付ける浮世絵の魅力の一つかもしれません。

3回に渡ってご紹介した「三世大谷鬼次 江戸兵衛」の魅力、充分に感じていただけたでしょうか。浮世絵制作に秘められた版元や絵師、職人たちの情熱や気概は、今なお現代に息づいています。

江戸庶民が手に取り浮世絵の魅力を味わったように、本作をお楽しみください。

写楽「三世大谷鬼次 江戸兵衛」

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アダチセレクト「話題の一枚。」

 

第二回目は、異色の絵師・写楽がどのように誕生したか?その謎に迫ります!

華麗なるデビュー、その裏には!?

写楽は、本作「三世大谷鬼次江戸兵衛」をはじめとする28枚の大判サイズの役者絵でデビューしました。大判サイズというと、皆さんもよくご存知の北斎「神奈川沖浪裏」と同じサイズで浮世絵では一般的な大きさです。

しかし当時は、出版リスクを回避するということもあったようで、絵師は細判といった小さなサイズの作品を手がけるところから始まることがほとんどでした。同じ版元の蔦屋からデビューした北斎ですら、細判の役者絵から始めたのですから、無名の絵師であった写楽が大判からというのは異例だったと言えます。

三世大谷鬼次の江戸兵衛 三世大谷鬼次の江戸兵衛 三世大谷鬼次の江戸兵衛
<写楽のデビュー作> <北斎初期の役者絵> <いずれも版元は蔦屋>

なぜ、無名であった写楽が大判で、しかも雲母摺と呼ばれる豪華なつくりをした一連のデビュー作を発表することができたのでしょうか。
その背景に迫ります!


写楽がデビューした頃は、天明の飢饉からの不況と寛政の改革による贅沢の禁止で、歌舞伎界は、幕府公認の芝居小屋として繁栄していた中村座をはじめとする三座も公演を打てないほど衰退していたようです。その影響は浮世絵にも及んでおり作品の内容から版元や絵師が罰を受けることもありました。今回取り上げる蔦屋もこの禁止令により写楽登場の数年前に罰を受けており、版元にとっては厳しい世の中であったことがわかります。
そんな厳しい状況ではありましたが、寛政6年は、三座とも初春恒例の「曽我物」を上演し評判も上々だったようで、興行が成功だったときに祝う「曽我祭」が各座で行われたといわれています。この「曽我祭」が行われた寛政6年5月は、ちょうど蔦屋が写楽の28図を出版した時期と重なります。

このことは、蔦屋がこのシリーズの出版にあたり「曽我祭」が行われ、歌舞伎界が活気を取り戻すことを願うと同時に、写楽のインパクトある作品を出版し、ヒットさせることで自らが置かれていた厳しい状況を一変させたいという願いもあったのではないでしょうか。写楽のデビューした時期が歌舞伎の初春や顔見世などの旬な時期ではなく一番地味なときであった理由もここからきていると言われています。
無名だけれども個性的な絵を描く絵師が豪華雲母摺りで、ブロマイドとしてだけではなく芝居の雰囲気に重点を置き描く新しいスタイルで庶民を驚かせ成功させることが蔦屋の狙いだったようです。
写楽の描く役者絵はただ格好良いだけではなく、歌舞伎などの古典芸能の醍醐味でもある、男性が女性を、老人が青年を演じることによる味わいや役者としてのチャレンジと鍛練の成果を見るという点も良く描かれており、当時の人々は芝居を見るように写楽の浮世絵を見たのではないでしょうか。

この「三世大谷鬼次の江戸兵衛」は28図の中でも一際インパクトがあり、手と顔の大きさや体勢のアンバランスさが個性的で、その芝居の臨場感を引き出しています。そして鬼次の顔は非常に特徴的で写真もなかった当時、庶民はどんな役者が演じているかをリアルに知ることができたでしょう。


大首絵から全身像、その変化とは?

「三世大谷鬼次の江戸兵衛」のように大首絵と呼ばれる役者のバストアップの構図で28図出したあと、第二期として同年7月に全身像をメインとした作品群を発表しています。

三世大谷鬼次の江戸兵衛

第二期の中で同じ役者「三世大谷鬼次」を描いた作品がこちら。写楽が描く個性豊かな表情から鬼次とすぐにわかりますが、その作風はがらりと変わり、まるで芝居のワンシーンを目の前で見ているようです。

<一世市川男女蔵の冨田兵太郎と三世大谷鬼次の川島治部五郎>

第1回でも取り上げた2枚の作品を並べて観ることによる臨場感は第二期以降も受け継がれ、大首絵から全身像へと移り変わりまた違った芝居の動きが感じられます。

三世大谷鬼次の江戸兵衛 三世大谷鬼次の江戸兵衛
<一世市川男女蔵の冨田兵太郎(左)/三世大谷鬼次の川島治部五郎(右)>

この変化は、第一期で役者の個性を描ききったあと、第二期では全身を描くことによって芝居の内容を描き出したかったからだと考えられています。

三世大谷鬼次の江戸兵衛

ダイナミックでインパクトのある第一期に対して女形ならではの足裁きやよじれた体の表現などが細かく描かれており、蔦屋と写楽が芝居の素晴らしさ・おもしろさを伝えようとする思いが感じられます。

<四世岩井半四郎の信濃屋お半>

 

写楽の役者絵シリーズは全部で四期に分けられていますが、中でもやはり江戸の人々を驚かせた第一期のデビュー作は、より役者の真に迫った描写がされていると同時に、黒い雲母を使った背景の処理が当時とても革新的であったといえます。その革新さは、現代の私たちにとっても変わることなく「三世大谷鬼次の江戸兵衛」は中でも人気No.1の名作といえます。

次回は、この写楽の革新さを支えた黒い雲母をはじめとする制作の秘密について焦点をあて取り上げていきます。

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世界が認めた異色の絵師・東洲斎写楽の傑作

年末の定番・忠臣蔵の公演や年始の顔見世など、一年で最も歌舞伎界が活気づき話題にも登るこの季節。
今年最後のアダチセレクト「話題の一枚。」は、東洲斎写楽が描いた役者絵の傑作「三世大谷鬼次の江戸兵衛」をご紹介します。


悪役VS善玉!対立する迫力の構図

誰もがどこかで一度は目にしたことのあるこの作品。具体的にはどのような役のどのような場面なのでしょうか。

本図は寛政6年5月、河原崎座で上演された、大名の家臣・伊達与作と奥女中・重の井の不義密通を巡る事件を中心にした芝居「恋女房染分手綱」の登場人物のひとりを描いたもの。

若殿・佐馬之助が芸者を身請けするために用意した大金を運ぶ奴一平を襲う悪役がこの江戸兵衛です。
脅すように両手を広げて迫る様子は確かに悪者の凄味が感じられます。

三世大谷鬼次の江戸兵衛 市川男女蔵の奴一平
<金を奪おうと迫る江戸兵衛(左)と守ろうと構える奴一平(右)>

 

写楽は対立するこの二人の関係を画面上でも表現しようと試みました。この二人を描いた二図の大首絵を並べると、互いに向き合い構えた、まさに見せ場の場面になっているのが分かります。舞台の緊張がそのまま伝わってくるような、臨場感溢れる構図です。


人気の役者絵こそ浮世絵の本質!?

写楽が「恋女房染分手綱」の舞台を描いたのは、この対になる二図だけではありません。
同じ演目から他にも七図の様々な役者と役柄を描いています。

当時の役者絵はいわば人気アイドルのブロマイドのようなものであり、興業にあわせて舞台上の役者を描いた作品が売りだされると、ファンはそれぞれが贔屓にする役者の絵をこぞって買い求めました。

市川鰕蔵の竹村定之進 四世岩井半四郎の乳人重の井 三世坂東彦三郎の鷺坂左内 谷村虎蔵の鷲塚八平次 坂東善次の鷲塚官太夫妻小笹と岩井喜代太郎の鷺坂左内妻藤波 三世市川門之助の伊達の与作 二世小佐川常世の竹村定之進妻桜木
<河原崎座の上演にあわせて売り出された役者絵の数々>

現在数多く残る風景画の浮世絵が脚光を浴びるのは後年、葛飾北斎が「冨嶽三十六景」で評判となって以降であり、それまではこうした役者絵や美人画が浮世絵のメインジャンルでした。

今一番評判の芝居、評判の役者といった世間の流行の最先端をいち早く描き、鮮度の良い話題性のある作品を生み出すことこそ「浮世を描いた絵」浮世絵の本質といえます。


世間を驚かせた異色の役者絵

歌舞伎の公演の度、様々な絵師によって数多くの役者絵が制作されましたが、その中でなぜ写楽が今日これほど知られているのでしょうか。

当時のファンが買い求めた役者絵は役者をいかに見栄え良く描くかが重要でした。

対して写楽は大首絵でクローズアップした役者の顔の特徴を誇張を加えて克明に描き、その素顔をリアルに描き出しました。その特徴が特に顕著で分かりやすい作品こそがこの「三世大谷鬼次の江戸兵衛」です。

きつく釣った目元や大きな鷲鼻、突き出した顎の線。ここでの大谷鬼次は決して美男には描かれていませんが、悪役になりきって演じる役者の迫力に満ちています。

三世大谷鬼次の江戸兵衛
<釣った目元や鷲鼻を誇張した描写に悪役の迫力が良く出ています>

 

三世沢村宗十郎の大星由良之助 かうらいや

この斬新な作風は始め驚きをもって迎えられましたが、顔立ちの欠点まで浮き彫りにする描写は役者やファンの支持を得られず、役者絵において時の寵児となったのは美麗な画風で人気を得た同時期の絵師・歌川豊国でした。

左/豊国「三世沢村宗十郎の大星由良之助」
右/豊国「かうらいや」

<写楽と同時期にデビューした豊国は華のある画風で人気を得ました>

 

こうして当時は大成できなかった写楽ですが、それから約100年後ドイツ人ユリウス・クルトの著書によって世界三大肖像画家の一人として紹介されると、他の絵師とは一線を画す真に迫った描写が世界で絶賛され改めて評価をされるに至りました。

ユリウス・クルト「写楽 SHARAKU」
<世界三大肖像画家の一人として写楽を取り上げたドイツ人ユリウス・クルトの著書>

 

絵師としては異色であった写楽と本図が後世において誰もが知るところとなったのは、その鋭い観察眼と忌憚のない正直な表現によって美醜だけではない役者の人柄や内面までも描き出してみせた点にあると言えるでしょう。

世界が認めた浮世絵師・東洲斎写楽。
次回はその異色の絵師誕生の背景に隠された謎に迫ります!

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アダチセレクト「話題の一枚。」

 

前回、前々回と歌川国芳「百ものがたり」のみどころや国芳の絵師としての魅力についてご紹介してまいりました。
最終回となる今回は、制作の視点から作品の魅力に迫りたいと思います。

様々な工夫を凝らして作られていた江戸時代の浮世絵。金魚づくしシリーズ「百ものがたり」には、一体どのような工夫が隠れているのでしょうか?


一石二鳥!?サイズに隠された秘密

「話題の一枚。」第一回でご紹介したように「金魚づくし」シリーズは、通常の浮世絵の半分のサイズ(中判)で作られています。

ここで右の2つの作品をご覧ください。「金魚づくし」シリーズのうち「酒のざしき」と「そさのおのみこと」です。

2つの作品を見比べていただくと、使われている色の種類がほとんど同じなのがお分かりいただけると思います。

そして次に、上部の濃い藍のぼかしにご注目ください。ほぼ同じ幅でぼかしが均一に入っているのがご覧いただけますね。

酒のざしき そさのおのみこと
酒のざしき そさのおのみこと

 

酒のざしき

このような作品の様子から、本シリーズは大判サイズの版木に二枚分の図柄を彫って、一度に二種類の浮世絵を制作する"二丁掛(にちょうがけ)"という制作方法で作られたと考えられています。

つまり先ほどのぼかしの部分は、2図分を一度に摺ったということになります。

気軽に楽しんでもらうおもちゃ絵や短冊形の花鳥画などで特にみられる作り方で、絵師をはじめ職人たちの工夫が垣間見られるところでもあります。
特に「金魚づくし」は、子ども向けに作られたおもちゃ絵であり、"二丁掛"で作ることでより安価に多くの人々が楽しんでもらうことができたようです。

このように、国芳は、擬人化した金魚をメインキャラクターすると同時に、木版という版の特徴をうまく活かしコストを抑えることも考えて作品を描いていたことがお分かりいただけると思います。 流石!国芳といったところですね。

 

金魚づくしシリーズ、全何図?

金魚づくしシリーズは近年新たに発見された「ぼんぼん」を含め、現在9図が確認されています。

となると、ちょっと変ですね。"二丁掛"という手法を用いて作品が制作されたと想定すると、この図の登場により「金魚づくし」シリーズには、もう1図あって全10図になるのでは?

まだ見つかっていない図があるかもしれないなんて、なんだかちょっとわくわくする話ですね。

ぼんぼん
<近年新たに発見された「ぼんぼん」>

 

現代も色あせない江戸のセンス

百ものがたり

今回まで全三回に渡って歌川国芳「金魚づくし」シリーズのうち「百ものがたり」についてご紹介してまいりましたが、いかがでしたか?

怪談をする可愛らしい金魚たちの様子や、そんな茶目っ気たっぷりの戯画を多く描いた絵師・国芳の魅力的な人物像。そして制作に込められた工夫やまだ発見されていないかもしれない「金魚づくし」シリーズ10図目のお話など、まだまだ目が離せませんね!


現代もなお、色あせないセンスに溢れた国芳の「金魚づくし」シリーズ。そのなかでも、今回ご紹介した「百ものがたり」は夏の季節にぴったりの一枚です。江戸の人たちが楽しんだ、可愛らしい金魚たちのユーモア溢れる様子を是非お楽しみください。

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近年、若者を中心に人気の高まっている歌川国芳。
『浮世絵界の鬼才』、『反骨の絵師』、『破天荒の浮世絵師』、『時代を先取りしたポップアーティスト』など数々の異名を持つ国芳ですが、一体どのような人物だったのでしょうか?

江戸時代から現代まで多くの人々を魅了する浮世絵師・歌川国芳の生涯に迫ります!


人気を確固たるものにした大ヒットシリーズとは?

歌川国芳は1797年(寛政9年)、江戸日本橋本銀町(現在の日本橋本石町あたり)で営む染物屋の息子として生まれました。幼い頃から絵を描き、15歳で当時役者絵で人気を博していた歌川豊国に入門。

同門には、皆さんもよくご存じの「東海道五拾三次」や「名所江戸百景」などの情緒あふれる風景画を得意とした歌川広重がいました。

1827年(文政10年)、国芳が30歳を過ぎた頃に発表した『通俗水滸伝豪傑百八人(つうぞくすいこでんごうけつひゃくはちにん)』という中国の伝奇歴史小説を題材にしたシリーズが大評判となりました。

当時、江戸庶民の間で大人気だったこの小説を題材にした絵は、国芳が描く以前にも北斎が描いた挿絵の本などがあったようですが、豪傑一人一人をクローズアップし描いた『通俗水滸伝豪傑百八人』は、力感あふれる構図と色彩豊かなヒーローの姿に爆発的な人気となりました。

この大ヒットにより"武者絵の国芳"と称され、一躍人気絵師の仲間入りを果たしたと言われています。

浪裡白跳張順 短冥次郎阮小吾
浪裡白跳張順 短冥次郎阮小吾

 

国芳の個性が光る!ユーモアあふれる「戯画」

水滸伝の大ヒットにより人気絵師となった国芳は、その後、錦絵のあらゆるジャンルで作画する機会を得ました。武者絵のほかにも役者絵、名所絵、美人画など幅広く浮世絵を生み出していきましたが、なかでも国芳が最も得意とし、その個性が発揮されたのが、「戯画(ぎが)」と呼ばれるものでした。

戯画とは、その名の通り戯れに遊び心でおもしろおかしく描いたユーモラスな絵のこと。
北斎や広重など他の浮世絵師と比べてみると、国芳は数多くの戯画を残しています。社会のストレスや政治への不満などから心を和ませてくれる国芳の戯画は、江戸庶民に愛されていたのかもしれません。

「百ものがたり」と同シリーズである「金魚づくし」の他の作品を見てみると、金魚たちのユーモラスで滑稽な姿がいきいきと描かれ、江戸時代の人々も癒されたことでしょう。

酒のざしき 玉や玉や そさのおのみこと
<「酒のざしき」より> <「玉や玉や」より> <「そさのおのみこと」より>

ユーモアを好み人々を楽しませることを喜んだとされる国芳にとって戯画は、名所絵や美人画などの他のジャンルよりも重要視し、作品を生み出していったのかもかもしれません。

 

現代でも人気!いま巷で話題の「骸骨」

江戸の庶民に大人気だった国芳ですが、現代においてもその人気ぶりは顕著に表れています。近年では日本各地で国芳の展覧会が開催され、特に若者たちを中心に人気が高まっています。

相馬の古内裏
相馬の古内裏

平将門の娘・瀧夜叉姫が父の仇を討つため妖怪を集めたが、大宅太郎光国という武将に退治されるという場面を描いた「相馬の古内裏」。 この作品は、つい最近まで放映されていたドラマの劇中に使われ、巷でも話題となっています。

三枚に渡って描かれたこの作品は、なんといってもその大迫力の骸骨の姿が魅力です。
まるで実際に骸骨を見ながら描いたかのように細部にこだわり、頭蓋骨や肋骨など忠実に描かれているこの作品は、国芳の抜きんでた画力があってこそこ生まれた傑作と言えるでしょう。

 

百ものがたり

江戸庶民に愛された金魚はよく浮世絵の中に登場しましたが、ほとんどが脇役としてでした。その金魚を主役として、まるで人間のような仕草や表情をユーモアたっぷりに描いた「百ものがたり」。

ラストを飾る次回は、制作の視点から本作の魅力についてご紹介します。乞うご期待!

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爛々と目を光らせ水の中を覗き込む猫の姿に驚き、慌てふためいて逃げる姿、勢い余ってひっくり返る姿、勇ましく立ち向かう姿。まるで人間のような仕草や表情を見せる金魚たちを描いた本図は「金魚づくし」と呼ばれるシリーズの中の一枚。

歌川国芳「百ものがたり」

本格的な夏を目前にした今回のアダチセレクト「話題の一枚。」は、浮世絵界の奇才・歌川国芳が描いた「百ものがたり」を三回に渡ってご紹介します。

第一回目となる今回は、本作の見どころをじっくり見ていきましょう。


 

クールジャパンの元祖!?漫画のような金魚の擬人化

尾びれや胸びれをまるで手足のようにくねらせ、画面上を自在に動き回る金魚やメダカたち。姿は金魚でありながら仕草は人間そのものです。

和金や流金など様々な種類の特徴を押さえつつ人の動きを模倣する金魚たちからは、勇敢だったり気弱だったりとそれぞれの性格まで想像でき、国芳の巧みな表現力に驚かされます。

<ひれの動きや表情がまるで人間のようです>

 

江戸っ子もヒヤヒヤドキドキ!あやかしを呼ぶ百物語

全9図からなる「金魚づくし」のシリーズは、いずれも人々の日常の様々な場面を金魚の姿で描いたもの。その中で本図「百ものがたり」は夏の風物詩である怪談をテーマに描かれた作品です。

百物語とは江戸時代に流行した怪談会で、百本の蝋燭を灯し、怪談話をする毎に一つ灯りを消していき、最後の明かりが消えると本物の幽霊や妖怪があらわれると言われていました。江戸っ子たちは一晩中怖い話にヒヤヒヤしながら夏の暑さをつかの間忘れたのでしょう。

葛飾北斎「お岩さん」

浮世絵師の大御所・葛飾北斎もこの百物語をテーマに取り上げ「お岩さん」や「皿やしき」といった有名な怪談話をモチーフにした作品を描いています。

<有名な怪談を取り上げた北斎の百物語の一枚「お岩さん」>

 

そんな正統派の怪談を描いた北斎とは一線を画し、国芳の百物語は機知に富んでユーモアたっぷり。

本図はまさに百個目の怪談が終わり妖怪があらわれたところですが、金魚を驚かす妖怪といえば化け猫なのは納得ですね。金魚たちにとっては恐怖の一場面でも、つい笑ってしまう可愛らしい「怪談」です。

<金魚といえば天敵の妖怪、化け猫>

 

手軽なサイズで楽しむ絵師の遊び心「戯画」

作品中の「国芳」の文字の下に書かれた「戯画(ぎが)」の文字。これは文字通り戯れに面白おかしく描いた絵という意味です。

そして大きさは通常の浮世絵の半分サイズで描かれており、価格帯もお手頃に、誰もが気軽に手に取れる作品となっています。

気取って描かれたものではない絵師の遊び心が溢れる作品を、江戸の人々もさらりと笑って粋に楽しんだのでしょう。

<画面の大きさも、手軽な通常の半分サイズです>

 

怪談をする金魚! 時代を先取りしたポップカルチャー!

江戸時代初期に本格的な養殖が始まった金魚は、江戸時代後期には広く庶民にも愛好されるようになり品評会も催されるほどの人気となりました。そんなブームを受けて描かれたのがこの「金魚づくし」のシリーズです。

お祭りの出店の金魚すくいや、絵はがきや浴衣の柄のモチーフで、すっかり私たちもお馴染みの夏の風物詩となった金魚。近年では金魚そのものをアートに組み込んだアートアクアリウムが開催されるなど、新たな切り口からも注目を集めています。

江戸時代から現代まで多くの人々に愛されてきたこの金魚を驚くほどポップに、そしてユーモアたっぷりに描いた浮世絵師・歌川国芳とはどんな人物だったのでしょうか。

次回は時代を先取りした型破りな浮世絵師・歌川国芳の人物像に迫ります!

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前回、前々回と「大はしあたけの夕立」が印象派の画家たちに与えた影響や、広重が本作に込めた工夫とこだわりについてご紹介してきました。ラストを飾る今回は、本作に秘められた浮世絵制作の技について迫ります。

版下絵から見えてくる制作の秘密

絵師・彫師・摺師・と分業制の浮世絵制作において、浮世絵師は線だけで構成された版下絵(はんしたえ)を描きます。
ここで、「大はしあたけの夕立」の版下絵を見てみましょう!

えっ?これだけ!?と驚かれたのではないでしょうか?
本作品の完成図と比べてみると、描かれていない部分が多いことが見て取れるかと思います。

版下絵に描かれているのは、手前を横切る大橋・急ぎ足で橋を渡る人々・そして川に浮かぶ船と船頭ただそれだけなのです。

歌川広重「大はしあたけの夕立」の版下絵
<歌川広重「大はしあたけの夕立」の版下絵>

 

それに対し、皆さんがよくご存知の葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」を見てみましょう!

絵のほとんどが線で描かれているので、摺り上がりの全体像が、輪郭線だけで想像することができるかと思います。

葛飾北斎「神奈川沖浪裏」の版下絵
<葛飾北斎「神奈川沖浪裏」の版下絵>

輪郭線の中に一色ずつ色を摺るという"線"と"面"で構成される浮世絵版画。
上の二図を比べてみても、北斎が"線"で描くことを得意としたのに対し、広重は"面"を効果的に利用した絵師といえるでしょう。


かすんだシルエットで表現された対岸の街並み

そして、本作の場合、対岸にかすんで見える街並みは、輪郭線をあえて描かずに、面を使ってシルエットで柔らかく表現しています。

二次元の絵の中で、効果的に空間と距離を感じさせる見事な表現方法といえるのではないでしょうか。

<かすんだシルエットで表現された対岸の街並み>

 

わずか二回の摺りで大雨を降らせる!夕立の秘密

では、本作の見どころともいえる"夕立"は、いったいどのように表現されたのでしょうか。

実際に雨を摺る際に使う版木を見てみると、まるで定規で線を引いたかのようにまっすぐな線が無数に彫ってあります。
摺り上がりでは幾重にも見える雨ですが、実際にはわずか版木二面を使っているだけなのです。

うすい墨と濃い墨の二種類で摺り分け、さらに雨の角度に微妙な変化をつけることで激しく打ち付ける夕立を表現しています。

版木二面だけで表現する激しく降りつける雨
<版木二面だけで表現する激しく降りつける雨>

 

熟練の技術を要する緻密な彫

さらにこの降りつける夕立を作り出すには、なんといっても緻密な彫が重要。
一円玉と比較すると一目瞭然です。

これほど繊細な彫となると、当時から技術を認められた彫師だけが彫ることを許されたと考えることができます。熟練の技術を要する緻密な彫は、まさに彫師の腕の見せどころ。間近で見ていただきたいポイントです。

<熟練の技術を要する緻密な彫>

 

暗雲が垂れ込む!摺師の技が魅せる空模様

そして、空には黒々とした雨雲が垂れ込めています。本作で描かれている夕立は、まさに今でいうところの"ゲリラ豪雨"でしょうか。

作品上部にぼかしを入れ、その色を変えることで季節や時間・天候までをも表現した広重ですが、本作においても墨でぼかしを入れることで暗雲を表現しています。

暗雲が垂れ込む空模様
<暗雲が垂れ込む空模様>

 

摺師の腕の見せどころ

この雨雲がモクモクと垂れ込む様子を表現するために、"あてなしぼかし"と言われる摺りの技法が使われています。これは版木に雲の形が彫ってあるのではなく、平らな板の上を刷毛を使って雲の形を描くようにぼかしを作ります。

一度に100枚程度を仕上げる摺師にとって、まったく同じ形の雲に摺るこの"あてなしぼかし"は、熟練の摺師にしかできない大変高度な技なのです。

<摺師の腕の見せどころ"あてなしぼかし">

 

ここまで、3回に渡って歌川広重の代表作「大はしあたけの夕立」をご紹介しましたが、本作の魅力を充分にお楽しみいただけましたか?

風景画の常識を破り、縦長の画面を最大限に活かした大胆な構図や、和紙に水性の絵の具を摺り込むことで生まれた"広重ブルー"など、江戸の庶民を楽しませるために工夫したことで生まれた浮世絵の魅力が、印象派の画家たちに大きな影響を与え「ジャポニスム」というブームを起こしたと言えるのではないでしょうか。
このコラムを通して、広重が本作に込めた工夫とこだわりを感じていただければ幸いです。

そしてこの度、ボストン美術館が所蔵している「大はしあたけの夕立」が来日!
あのモネの傑作「ラ・ジャポネーゼ」も同時にご覧いただけるジャポニスム展が、今月28日(土)から東京の世田谷美術館にて開催されます。

展覧会と合わせ、ジャポニスムの一端を担った本作の魅了をじっくりお楽しみください。

歌川広重「大はしあたけの夕立」

 

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アダチセレクト「話題の一枚。」

前回の「話題の一枚」では世界的に有名な歌川広重の傑作「大はしあたけの夕立」の魅力と、海外で「広重ブルー」と言われた作中の深い青色についてご紹介しました。「話題の一枚」第2回では「広重ブルー」が海外で高く評価されたことに関連して、本作品が海外の画家に与えた影響という視点からその魅力に迫ります。

彼らは浮世絵から一体どのような影響を受けたのか?その大きな流れであったジャポニズムとは一体?

ジャポニズムとは?

ジャポニズムとは、明治期に入って海外に渡った日本の美術工芸品が特にヨーロッパで高い評価を受けたムーブメントのこと。

開国後、日本の陶器を海外に送る時の梱包材として使われていた浮世絵に当時の西洋の人が驚き、高く評価したというエピソードを聞いたことがある方も多いと思いますが。本格的には、1862年にロンドンで開かれた万国博覧会で初めて浮世絵が世界にお披露目されたそうです。

その頃から、海外の上流階級の人々が浮世絵を評価し、コレクションし始めるようになると、彼らに浮世絵を販売する商人も現れます。その結果、大量の浮世絵が海外へ渡ることとなりました。

このことをきっかけとして、浮世絵は多くの芸術家に影響を与えていきます。

例えば音楽では、ドビュッシーが北斎の「神奈川沖浪裏」にインスピレーションを得て交響詩「海」を作曲しました。この曲の表紙にも「神奈川沖浪裏」をイメージしたデザインが使用されたほど。

<ドビュッシーがインスピレーションを受けたと言われる>

 

また、ガラス工芸ではエミール・ガレが浮世絵に影響された作品を多く残しています。特に蜻蛉のモチーフはそれまでの西洋では使われなかったもので、ジャポニズムの象徴として彼の作品に好んで用いられています。

<欧州では不吉なものとして嫌われていた蜻蛉。日本では勝虫として多用されたモチーフ>

日本では当たり前に楽しまれた浮世絵ですが、初めてそれを目にした彼らの驚きと感動は大変なものだったのでしょう。

浮世絵に影響を受けた当時の様々な芸術のなかでも、そのことが最もよくわかるのが印象派の画家たちの作品です。彼らは浮世絵を集め、模写し、こぞって自身の作品に浮世絵の要素を取り入れていきました。

中でも熱を入れて浮世絵にのめり込んだのがゴッホでした。


浮世絵に惚れ込んだ画家、ヴァン・ゴッホ

ゴッホといえば、「ひまわり」などの作品で世界的に高い評価を受けていますね。

1853年にオランダで生まれたゴッホはほとんど独学で絵を学び、32歳でパリに移り住んだ際に出会ったのが浮世絵でした。「大はしあたけの夕立」は「雨の大橋」というタイトルで模写作品があることで有名です。

浮世絵を気に入った彼はそれ以外にも、広重の「亀戸梅屋舗」など模写作品を多く残しています。

美術の世界において「模写をする」ということはただ単に写すということではなく、「作風や作者の制作意図を理解する」ための手段として用いられると言われています。

ゴッホは広重の名作を模写することで一体何を吸収しようとしたのでしょうか。

 

歌川広重「大はしあたけの夕立」

西洋にはない構図

彼の他の風景画作品と「大はしあたけの夕立」を比べて見ると、大きく異なるのは構図の取り方にあるような気がします。

上から見下ろすような構図は、西洋にはあまり見られない浮世絵独特の表現と言えるのではないでしょうか。
広重の作品にはよく見られる描き方ですが、遠近法で写実的な世界を描くことが主流であった西洋の人々にはインパクトのある構図だったことが想像できます。

<画面を上から見下ろす大胆な構図>

 

木版画の色

また、印象派の画家たちはそれまでの西洋の絵と比べて、全体的に明るい色彩を用いたことが特徴であるとよく言われます。絵の具を混ぜずにキャンバスに乗せ、作品が目に映った時の発色にこだわったそうです。

ゴッホが「大はしあたけの夕立」を見たとき、作品はまだ出版から2、30年ほどしかたっていなかった頃で、木版特有の摺りたての鮮やかさがあったと推測されます。

<透明感のある浮世絵独特の発色>

彼は油絵で模写を残していますが、和紙に水性の絵の具を摺りこんだ浮世絵の発色は、キャンバスの上に絵の具を塗り重ねる油絵を描いていた西洋の画家の目に非常に魅力的に映ったことでしょう。


このように見てくると「大はしあたけの夕立」は、構図や色を含め、独学で絵を学んだゴッホにとって非常に得ることの多い新鮮なものだったといえます。

それは、和紙と水性の絵具という日本特有の素材と当時世界でも類を見ない高度な木版技術によって浮世絵が制作されていたからこそともいえるのではないでしょうか。


日本独自の木版画技術が込められた浮世絵。
次回は、印象派の画家たちを魅了した「大はしあたけの夕立」に込められた、木版画の技術をご紹介しながら作品の魅力に迫っていきます。

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品質へのこだわり

品質へのこだわり

アダチの浮世絵は、手にして初めて分かる、熟練の技術と日本の伝統が詰まっています。

製作工程

制作工程

一切機械を使うことなく一枚一枚職人の手仕事により丁寧に作られている木版画です。

厳選素材・道具

厳選素材・道具

江戸当時の風情を感じられる当時の浮世絵の再現にこだわり、厳選した素材と道具を使用。

職人紹介

職人紹介

最高の作品を創り出すために、日々技術の研鑽を積む熟練の職人たち。

浮世絵の基礎知識

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意外と知らない?浮世絵の世界。浮世絵の基礎知識をご紹介。