アダチセレクト 話題の一枚
鈴木春信「二月 水辺梅」-Part1. 作品編-


2021年1月より新連載のアダチセレクト・話題の一枚。毎回一人の絵師とその作品を取り上げ、木版制作工房としての視点なども含めながら、作品とその制作背景などをご紹介していく特別企画です。

記念すべき第1回目の作品は、錦絵の祖、鈴木春信の傑作「二月 水辺梅」。川のせせらぎがだけが聞こえる静かな闇夜と白梅の芳香、そこに浮かび上がる若い男女の清純な恋の情景。まさに夢のように可憐で儚い春信ワールドの代表作です。その春信の世界や作品誕生の背景などについて、Part 1.作品編とPart2.制作編の2回に分けてご紹介します。

-Part 1.作品編-の今回は、作品と作品の時代背景などに焦点を当ててお話ししていきます。




鈴木春信「二月 水辺梅




■ 錦絵の祖、鈴木春信

「錦絵の祖」と呼ばれる鈴木春信は、1725(享保10)年頃に江戸に生まれたと言われています。春信本人の詳しい資料は残っておらず不明な点の多い春信ですが、1765(明和2)年を境に、一気にその名が知られるようになります。
この明和2年は、春信が「見当(けんとう)※」を開発、複数の色をずれの無いように摺り重ねる多色摺が可能となり、浮世絵史に革命がもたらされた年です。春信が「錦絵の祖」と呼ばれる所以は、この「見当」の開発にあります。数多くの作品を生み出した春信ですが、実際に浮世絵師として活躍したのは1760年初め頃からのほぼ10年ほどのみでした。

※見当:版木上に彫られた2か所の僅かな溝。ここに紙を合わせることによって、複数の色をずれ無く摺り重ねることができる。

<紙の位置を決めるカギ型見当(右下)と
引き付け見当(左下)>
<紙一枚分の溝が彫ってあります>


■ 錦絵の誕生と絵暦(えごよみ)

春信が、多色摺りを可能にした「見当(けんとう)」の開発に成功した背景には「絵暦(えごよみ)」の流行があります。絵暦とは、当時の年間カレンダーのようなもので、太陰暦において毎年変わる大の月(30日)と小の月(29日)を記したものです。

裕福な趣味人たちの間で、自分だけの絵暦を好みの絵師に描かせ、特注品として誂え、新春の交換会で狂歌仲間に配るという風習が大流行しました。人よりも優れた絵暦を作るためならコストを気にしない風流人たち。その熱い要望に応えるために、春信は何色も色を重ねたり、絵具は使わずに質感を生み出す特殊な摺の技法など、様々な技術や技法を生み出し、更にそれらを向上させることに成功しました。

こうして生まれた作品は、「摺物(すりもの)」と呼ばれ、贅を尽くした特注品として富裕層の間でもてはやされました。そして、この絵暦の流行に目をつけた版元が、その技術を利用し生まれた多色摺木版画を「錦絵(にしきえ)」として一般に売り出したところ、これが大人気となり、一気に庶民の手にもフルカラーの印刷物が渡ることになったのです。
 
夕立
<錦絵誕生のきっかけともなった
春信の 「夕立」>

<春信の描いた「絵暦」>

春信の描いた絵暦で有名なのが、明和2年に描かれた「夕立」です。この作品の中には、「大、二、三、五、六、八、十、メ、イ、ワ、二」と「乙、ト、リ」の文字が隠されていますが、見つけられますか?
大に続く数字は、この年の大の月、そして明和二年、乙トリも同じく明和2年を表しています。

※こたえ:「大、二、三、五、六、八、十、メ、イ、ワ、二」は、物干し棹に干された浴衣の模様の中に、「乙、ト、リ」は、突然の夕立に慌てて駆け出してきた女性の臙脂色の帯の模様の中に隠されています!




■ 和歌に想いを得て描かれた純愛 「二月 水辺梅」

今回ご紹介する春信の傑作「二月 水辺梅」。古の和歌に着想を得て描かれた「風流四季歌仙」というシリーズの中の一点です。
作品上部に記された和歌は、平経章朝臣によるもので「末むすぶひとのさへや匂ふらん 梅の下行水のなかれは」と歌われており、「下流で掬ぶ人の手さえ匂うだろうか。梅の花の下を流れてゆく水は」という意味。この歌の情景が描かれたのが本図「二月 水辺梅」。
 
 
闇夜に浮かび上がる若い男女。木製の柵の上に上り、恋する女性のために白梅を手折ろうとしている男性の姿を、石灯籠の上に頬杖をついてうっとりとみつめる女性。辺り一面に白梅の香りが漂い、その香りと共に二人の純愛も、樹下を流れる川の下流へと運ばれていきます。
梅は、春信の作品によく登場する花です。春信の手にかかると男女の純愛を描いたシーンも単なる情景ではなく、その前後のストーリーや漂う梅の香りまでが描き出されます。春信のエッセンスが凝縮された香り高い作品です。


■ 春信の描く夢の世界の住人たち

春信の描く夢のような世界に登場する人物は一様に、細身で可憐、そして中性的な特徴を持っています。春信の後の時代に一世を風靡する歌麿の美人画と比べるとその差は一目瞭然。この可憐な人物描写こそが春信の一番の魅力です。
 
<鈴木春信・二月 水辺梅より>   <喜多川歌麿・ビードロを吹く娘より>

例えばこの「二月 水辺梅」に登場する若い男女。注目すべきは、二人の目線です。二人の顔の角度はほぼ同じように描かれ、一見目線も同じように描かれているようですが、実は違います。男性は手折ろうとしている梅の枝を見ていますが、女性が見つめるのは自分のために白梅の枝を手折ろうとしてくれる恋しい人の横顔。  
  このような極めて繊細な顔や指先の表現によって、春信は人物間の感情までを描き出しています。
そして、このような春信の筆遣いを完全に再現できるのは、一流の彫師だけ。春信の小さな顔や折れそうに細い指先に命を吹き込めるかは、彫師の腕の見せ所です。


新連載「アダチセレクト・話題の一枚」第1回目、鈴木春信の「二月 水辺梅」をお楽しみいただけましたか?
春信の「二月 水辺梅」-Part1. 作品編-の今回は、主に作品とその時代背景などについてお話ししました。次回は制作面に焦点を当ててお話ししたいと思いまので、どうぞご期待ください。



春信の作品には、他のどの絵師にも作り出せない独特の空気感があります。中性的で清純でありながら、どこかエロティシズムを感じさせるようなその人物描写は、知れば知るほど虜になってしまいます。この作品以外の春信の作品もアダチ版画でご紹介しておりますので、是非ご覧ください。



  ■ 関連作品
 
       
  鈴木春信
梅折る美人
  鈴木春信
夜の梅
  鈴木春信
雪中相合傘
 



そのほかの<梅>の浮世絵・木版画はこちら >>


アダチセレクト 話題の一枚 鈴木春信「二月 水辺梅」-Part2. 制作編- >>
アダチセレクト「話題の一枚。」

28枚にも及ぶ大判サイズの役者大首絵という華麗なるデビューを果たした謎の絵師、東洲斎写楽について二回にわたりご紹介してきました。
最終回となる今回は、本作の特徴的な黒い背景に焦点を当て、アダチならではの制作の視点からその魅力について迫ります!

シンプルな黒い背景に隠されたこだわり

三世大谷鬼次の江戸兵衛

何も描かれず、鈍く光を反射する黒い背景。

この背景の部分には、鉱物の一つである雲母(うんも)の粉末と、接着剤の役割をする膠(にかわ)を混ぜた「雲母(きら)」といわれるものを刷毛で和紙の上にのせています。

<「三世大谷鬼次 江戸兵衛」の黒い背景>

以前、話題の一枚でも取り上げた喜多川歌麿の「ビードロを吹く娘」と同様に、背景以外の人物の部分が隠れるように渋皮の型紙をあて、雲母(きら)を刷毛で引いてくこの技法は、「雲母引き(きらびき)」と呼ばれています。

雲母引き
<当時の浮世絵と同じ質感を再現する“雲母引き”>

「三世大谷鬼次 江戸兵衛」の場合は、黒い背景から黒雲母(くろきら)と呼ばれています。

歌舞伎では現代のように照明が明るくなかった江戸時代に、薄暗い中でも舞台映えするために、白塗りをするようになったと言われています。
白塗りの顔をさらにはっきりと見せるため背景に黒雲母(くろきら)を施す工夫を凝らしたのではないでしょうか。

<“雲母引き”がより一層白塗りを際立たせている

制作の工夫が垣間見える"省略の美"

歌舞伎は江戸庶民の娯楽の中心とされていました。そのため役者絵は大変人気があり、歌舞伎役者のブロマイドの役割を果たしていました。
版元は、芝居の演目・役者・役柄に合わせ、興行が始まると同時にいかに早く歌舞伎役者の浮世絵を出版するかを考え、競い合うかのように制作したと言われています。

そうしたなかで、版の枚数や摺りの回数を極力抑え、少ない工程で魅力的な作品をつくりあげるために、制作の工夫が生み出されたのではないでしょうか。

摺順序
<“雲母引き”がより一層白塗りを際立たせている

いかに早く出版するかという限られた制約の中で作り上げられた浮世絵だからこそ、省略された雲母引き(きらびき)の背景や、簡略化された線の美しさを感じることができます。

そうした"省略の美"が私たちを引き付ける浮世絵の魅力の一つかもしれません。

3回に渡ってご紹介した「三世大谷鬼次 江戸兵衛」の魅力、充分に感じていただけたでしょうか。浮世絵制作に秘められた版元や絵師、職人たちの情熱や気概は、今なお現代に息づいています。

江戸庶民が手に取り浮世絵の魅力を味わったように、本作をお楽しみください。

写楽「三世大谷鬼次 江戸兵衛」

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アダチセレクト「話題の一枚。」

 

第二回目は、異色の絵師・写楽がどのように誕生したか?その謎に迫ります!

華麗なるデビュー、その裏には!?

写楽は、本作「三世大谷鬼次江戸兵衛」をはじめとする28枚の大判サイズの役者絵でデビューしました。大判サイズというと、皆さんもよくご存知の北斎「神奈川沖浪裏」と同じサイズで浮世絵では一般的な大きさです。

しかし当時は、出版リスクを回避するということもあったようで、絵師は細判といった小さなサイズの作品を手がけるところから始まることがほとんどでした。同じ版元の蔦屋からデビューした北斎ですら、細判の役者絵から始めたのですから、無名の絵師であった写楽が大判からというのは異例だったと言えます。

三世大谷鬼次の江戸兵衛 三世大谷鬼次の江戸兵衛 三世大谷鬼次の江戸兵衛
<写楽のデビュー作> <北斎初期の役者絵> <いずれも版元は蔦屋>

なぜ、無名であった写楽が大判で、しかも雲母摺と呼ばれる豪華なつくりをした一連のデビュー作を発表することができたのでしょうか。
その背景に迫ります!


写楽がデビューした頃は、天明の飢饉からの不況と寛政の改革による贅沢の禁止で、歌舞伎界は、幕府公認の芝居小屋として繁栄していた中村座をはじめとする三座も公演を打てないほど衰退していたようです。その影響は浮世絵にも及んでおり作品の内容から版元や絵師が罰を受けることもありました。今回取り上げる蔦屋もこの禁止令により写楽登場の数年前に罰を受けており、版元にとっては厳しい世の中であったことがわかります。
そんな厳しい状況ではありましたが、寛政6年は、三座とも初春恒例の「曽我物」を上演し評判も上々だったようで、興行が成功だったときに祝う「曽我祭」が各座で行われたといわれています。この「曽我祭」が行われた寛政6年5月は、ちょうど蔦屋が写楽の28図を出版した時期と重なります。

このことは、蔦屋がこのシリーズの出版にあたり「曽我祭」が行われ、歌舞伎界が活気を取り戻すことを願うと同時に、写楽のインパクトある作品を出版し、ヒットさせることで自らが置かれていた厳しい状況を一変させたいという願いもあったのではないでしょうか。写楽のデビューした時期が歌舞伎の初春や顔見世などの旬な時期ではなく一番地味なときであった理由もここからきていると言われています。
無名だけれども個性的な絵を描く絵師が豪華雲母摺りで、ブロマイドとしてだけではなく芝居の雰囲気に重点を置き描く新しいスタイルで庶民を驚かせ成功させることが蔦屋の狙いだったようです。
写楽の描く役者絵はただ格好良いだけではなく、歌舞伎などの古典芸能の醍醐味でもある、男性が女性を、老人が青年を演じることによる味わいや役者としてのチャレンジと鍛練の成果を見るという点も良く描かれており、当時の人々は芝居を見るように写楽の浮世絵を見たのではないでしょうか。

この「三世大谷鬼次の江戸兵衛」は28図の中でも一際インパクトがあり、手と顔の大きさや体勢のアンバランスさが個性的で、その芝居の臨場感を引き出しています。そして鬼次の顔は非常に特徴的で写真もなかった当時、庶民はどんな役者が演じているかをリアルに知ることができたでしょう。


大首絵から全身像、その変化とは?

「三世大谷鬼次の江戸兵衛」のように大首絵と呼ばれる役者のバストアップの構図で28図出したあと、第二期として同年7月に全身像をメインとした作品群を発表しています。

三世大谷鬼次の江戸兵衛

第二期の中で同じ役者「三世大谷鬼次」を描いた作品がこちら。写楽が描く個性豊かな表情から鬼次とすぐにわかりますが、その作風はがらりと変わり、まるで芝居のワンシーンを目の前で見ているようです。

<一世市川男女蔵の冨田兵太郎と三世大谷鬼次の川島治部五郎>

第1回でも取り上げた2枚の作品を並べて観ることによる臨場感は第二期以降も受け継がれ、大首絵から全身像へと移り変わりまた違った芝居の動きが感じられます。

三世大谷鬼次の江戸兵衛 三世大谷鬼次の江戸兵衛
<一世市川男女蔵の冨田兵太郎(左)/三世大谷鬼次の川島治部五郎(右)>

この変化は、第一期で役者の個性を描ききったあと、第二期では全身を描くことによって芝居の内容を描き出したかったからだと考えられています。

三世大谷鬼次の江戸兵衛

ダイナミックでインパクトのある第一期に対して女形ならではの足裁きやよじれた体の表現などが細かく描かれており、蔦屋と写楽が芝居の素晴らしさ・おもしろさを伝えようとする思いが感じられます。

<四世岩井半四郎の信濃屋お半>

 

写楽の役者絵シリーズは全部で四期に分けられていますが、中でもやはり江戸の人々を驚かせた第一期のデビュー作は、より役者の真に迫った描写がされていると同時に、黒い雲母を使った背景の処理が当時とても革新的であったといえます。その革新さは、現代の私たちにとっても変わることなく「三世大谷鬼次の江戸兵衛」は中でも人気No.1の名作といえます。

次回は、この写楽の革新さを支えた黒い雲母をはじめとする制作の秘密について焦点をあて取り上げていきます。

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アダチセレクト「話題の一枚。」

 

世界が認めた異色の絵師・東洲斎写楽の傑作

年末の定番・忠臣蔵の公演や年始の顔見世など、一年で最も歌舞伎界が活気づき話題にも登るこの季節。
今年最後のアダチセレクト「話題の一枚。」は、東洲斎写楽が描いた役者絵の傑作「三世大谷鬼次の江戸兵衛」をご紹介します。


悪役VS善玉!対立する迫力の構図

誰もがどこかで一度は目にしたことのあるこの作品。具体的にはどのような役のどのような場面なのでしょうか。

本図は寛政6年5月、河原崎座で上演された、大名の家臣・伊達与作と奥女中・重の井の不義密通を巡る事件を中心にした芝居「恋女房染分手綱」の登場人物のひとりを描いたもの。

若殿・佐馬之助が芸者を身請けするために用意した大金を運ぶ奴一平を襲う悪役がこの江戸兵衛です。
脅すように両手を広げて迫る様子は確かに悪者の凄味が感じられます。

三世大谷鬼次の江戸兵衛 市川男女蔵の奴一平
<金を奪おうと迫る江戸兵衛(左)と守ろうと構える奴一平(右)>

 

写楽は対立するこの二人の関係を画面上でも表現しようと試みました。この二人を描いた二図の大首絵を並べると、互いに向き合い構えた、まさに見せ場の場面になっているのが分かります。舞台の緊張がそのまま伝わってくるような、臨場感溢れる構図です。


人気の役者絵こそ浮世絵の本質!?

写楽が「恋女房染分手綱」の舞台を描いたのは、この対になる二図だけではありません。
同じ演目から他にも七図の様々な役者と役柄を描いています。

当時の役者絵はいわば人気アイドルのブロマイドのようなものであり、興業にあわせて舞台上の役者を描いた作品が売りだされると、ファンはそれぞれが贔屓にする役者の絵をこぞって買い求めました。

市川鰕蔵の竹村定之進 四世岩井半四郎の乳人重の井 三世坂東彦三郎の鷺坂左内 谷村虎蔵の鷲塚八平次 坂東善次の鷲塚官太夫妻小笹と岩井喜代太郎の鷺坂左内妻藤波 三世市川門之助の伊達の与作 二世小佐川常世の竹村定之進妻桜木
<河原崎座の上演にあわせて売り出された役者絵の数々>

現在数多く残る風景画の浮世絵が脚光を浴びるのは後年、葛飾北斎が「冨嶽三十六景」で評判となって以降であり、それまではこうした役者絵や美人画が浮世絵のメインジャンルでした。

今一番評判の芝居、評判の役者といった世間の流行の最先端をいち早く描き、鮮度の良い話題性のある作品を生み出すことこそ「浮世を描いた絵」浮世絵の本質といえます。


世間を驚かせた異色の役者絵

歌舞伎の公演の度、様々な絵師によって数多くの役者絵が制作されましたが、その中でなぜ写楽が今日これほど知られているのでしょうか。

当時のファンが買い求めた役者絵は役者をいかに見栄え良く描くかが重要でした。

対して写楽は大首絵でクローズアップした役者の顔の特徴を誇張を加えて克明に描き、その素顔をリアルに描き出しました。その特徴が特に顕著で分かりやすい作品こそがこの「三世大谷鬼次の江戸兵衛」です。

きつく釣った目元や大きな鷲鼻、突き出した顎の線。ここでの大谷鬼次は決して美男には描かれていませんが、悪役になりきって演じる役者の迫力に満ちています。

三世大谷鬼次の江戸兵衛
<釣った目元や鷲鼻を誇張した描写に悪役の迫力が良く出ています>

 

三世沢村宗十郎の大星由良之助 かうらいや

この斬新な作風は始め驚きをもって迎えられましたが、顔立ちの欠点まで浮き彫りにする描写は役者やファンの支持を得られず、役者絵において時の寵児となったのは美麗な画風で人気を得た同時期の絵師・歌川豊国でした。

左/豊国「三世沢村宗十郎の大星由良之助」
右/豊国「かうらいや」

<写楽と同時期にデビューした豊国は華のある画風で人気を得ました>

 

こうして当時は大成できなかった写楽ですが、それから約100年後ドイツ人ユリウス・クルトの著書によって世界三大肖像画家の一人として紹介されると、他の絵師とは一線を画す真に迫った描写が世界で絶賛され改めて評価をされるに至りました。

ユリウス・クルト「写楽 SHARAKU」
<世界三大肖像画家の一人として写楽を取り上げたドイツ人ユリウス・クルトの著書>

 

絵師としては異色であった写楽と本図が後世において誰もが知るところとなったのは、その鋭い観察眼と忌憚のない正直な表現によって美醜だけではない役者の人柄や内面までも描き出してみせた点にあると言えるでしょう。

世界が認めた浮世絵師・東洲斎写楽。
次回はその異色の絵師誕生の背景に隠された謎に迫ります!

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アダチセレクト「話題の一枚。」

 

前回、前々回と歌川国芳「百ものがたり」のみどころや国芳の絵師としての魅力についてご紹介してまいりました。
最終回となる今回は、制作の視点から作品の魅力に迫りたいと思います。

様々な工夫を凝らして作られていた江戸時代の浮世絵。金魚づくしシリーズ「百ものがたり」には、一体どのような工夫が隠れているのでしょうか?


一石二鳥!?サイズに隠された秘密

「話題の一枚。」第一回でご紹介したように「金魚づくし」シリーズは、通常の浮世絵の半分のサイズ(中判)で作られています。

ここで右の2つの作品をご覧ください。「金魚づくし」シリーズのうち「酒のざしき」と「そさのおのみこと」です。

2つの作品を見比べていただくと、使われている色の種類がほとんど同じなのがお分かりいただけると思います。

そして次に、上部の濃い藍のぼかしにご注目ください。ほぼ同じ幅でぼかしが均一に入っているのがご覧いただけますね。

酒のざしき そさのおのみこと
酒のざしき そさのおのみこと

 

酒のざしき

このような作品の様子から、本シリーズは大判サイズの版木に二枚分の図柄を彫って、一度に二種類の浮世絵を制作する"二丁掛(にちょうがけ)"という制作方法で作られたと考えられています。

つまり先ほどのぼかしの部分は、2図分を一度に摺ったということになります。

気軽に楽しんでもらうおもちゃ絵や短冊形の花鳥画などで特にみられる作り方で、絵師をはじめ職人たちの工夫が垣間見られるところでもあります。
特に「金魚づくし」は、子ども向けに作られたおもちゃ絵であり、"二丁掛"で作ることでより安価に多くの人々が楽しんでもらうことができたようです。

このように、国芳は、擬人化した金魚をメインキャラクターすると同時に、木版という版の特徴をうまく活かしコストを抑えることも考えて作品を描いていたことがお分かりいただけると思います。 流石!国芳といったところですね。

 

金魚づくしシリーズ、全何図?

金魚づくしシリーズは近年新たに発見された「ぼんぼん」を含め、現在9図が確認されています。

となると、ちょっと変ですね。"二丁掛"という手法を用いて作品が制作されたと想定すると、この図の登場により「金魚づくし」シリーズには、もう1図あって全10図になるのでは?

まだ見つかっていない図があるかもしれないなんて、なんだかちょっとわくわくする話ですね。

ぼんぼん
<近年新たに発見された「ぼんぼん」>

 

現代も色あせない江戸のセンス

百ものがたり

今回まで全三回に渡って歌川国芳「金魚づくし」シリーズのうち「百ものがたり」についてご紹介してまいりましたが、いかがでしたか?

怪談をする可愛らしい金魚たちの様子や、そんな茶目っ気たっぷりの戯画を多く描いた絵師・国芳の魅力的な人物像。そして制作に込められた工夫やまだ発見されていないかもしれない「金魚づくし」シリーズ10図目のお話など、まだまだ目が離せませんね!


現代もなお、色あせないセンスに溢れた国芳の「金魚づくし」シリーズ。そのなかでも、今回ご紹介した「百ものがたり」は夏の季節にぴったりの一枚です。江戸の人たちが楽しんだ、可愛らしい金魚たちのユーモア溢れる様子を是非お楽しみください。

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アダチセレクト「話題の一枚。」

 

近年、若者を中心に人気の高まっている歌川国芳。
『浮世絵界の鬼才』、『反骨の絵師』、『破天荒の浮世絵師』、『時代を先取りしたポップアーティスト』など数々の異名を持つ国芳ですが、一体どのような人物だったのでしょうか?

江戸時代から現代まで多くの人々を魅了する浮世絵師・歌川国芳の生涯に迫ります!


人気を確固たるものにした大ヒットシリーズとは?

歌川国芳は1797年(寛政9年)、江戸日本橋本銀町(現在の日本橋本石町あたり)で営む染物屋の息子として生まれました。幼い頃から絵を描き、15歳で当時役者絵で人気を博していた歌川豊国に入門。

同門には、皆さんもよくご存じの「東海道五拾三次」や「名所江戸百景」などの情緒あふれる風景画を得意とした歌川広重がいました。

1827年(文政10年)、国芳が30歳を過ぎた頃に発表した『通俗水滸伝豪傑百八人(つうぞくすいこでんごうけつひゃくはちにん)』という中国の伝奇歴史小説を題材にしたシリーズが大評判となりました。

当時、江戸庶民の間で大人気だったこの小説を題材にした絵は、国芳が描く以前にも北斎が描いた挿絵の本などがあったようですが、豪傑一人一人をクローズアップし描いた『通俗水滸伝豪傑百八人』は、力感あふれる構図と色彩豊かなヒーローの姿に爆発的な人気となりました。

この大ヒットにより"武者絵の国芳"と称され、一躍人気絵師の仲間入りを果たしたと言われています。

浪裡白跳張順 短冥次郎阮小吾
浪裡白跳張順 短冥次郎阮小吾

 

国芳の個性が光る!ユーモアあふれる「戯画」

水滸伝の大ヒットにより人気絵師となった国芳は、その後、錦絵のあらゆるジャンルで作画する機会を得ました。武者絵のほかにも役者絵、名所絵、美人画など幅広く浮世絵を生み出していきましたが、なかでも国芳が最も得意とし、その個性が発揮されたのが、「戯画(ぎが)」と呼ばれるものでした。

戯画とは、その名の通り戯れに遊び心でおもしろおかしく描いたユーモラスな絵のこと。
北斎や広重など他の浮世絵師と比べてみると、国芳は数多くの戯画を残しています。社会のストレスや政治への不満などから心を和ませてくれる国芳の戯画は、江戸庶民に愛されていたのかもしれません。

「百ものがたり」と同シリーズである「金魚づくし」の他の作品を見てみると、金魚たちのユーモラスで滑稽な姿がいきいきと描かれ、江戸時代の人々も癒されたことでしょう。

酒のざしき 玉や玉や そさのおのみこと
<「酒のざしき」より> <「玉や玉や」より> <「そさのおのみこと」より>

ユーモアを好み人々を楽しませることを喜んだとされる国芳にとって戯画は、名所絵や美人画などの他のジャンルよりも重要視し、作品を生み出していったのかもかもしれません。

 

現代でも人気!いま巷で話題の「骸骨」

江戸の庶民に大人気だった国芳ですが、現代においてもその人気ぶりは顕著に表れています。近年では日本各地で国芳の展覧会が開催され、特に若者たちを中心に人気が高まっています。

相馬の古内裏
相馬の古内裏

平将門の娘・瀧夜叉姫が父の仇を討つため妖怪を集めたが、大宅太郎光国という武将に退治されるという場面を描いた「相馬の古内裏」。 この作品は、つい最近まで放映されていたドラマの劇中に使われ、巷でも話題となっています。

三枚に渡って描かれたこの作品は、なんといってもその大迫力の骸骨の姿が魅力です。
まるで実際に骸骨を見ながら描いたかのように細部にこだわり、頭蓋骨や肋骨など忠実に描かれているこの作品は、国芳の抜きんでた画力があってこそこ生まれた傑作と言えるでしょう。

 

百ものがたり

江戸庶民に愛された金魚はよく浮世絵の中に登場しましたが、ほとんどが脇役としてでした。その金魚を主役として、まるで人間のような仕草や表情をユーモアたっぷりに描いた「百ものがたり」。

ラストを飾る次回は、制作の視点から本作の魅力についてご紹介します。乞うご期待!

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爛々と目を光らせ水の中を覗き込む猫の姿に驚き、慌てふためいて逃げる姿、勢い余ってひっくり返る姿、勇ましく立ち向かう姿。まるで人間のような仕草や表情を見せる金魚たちを描いた本図は「金魚づくし」と呼ばれるシリーズの中の一枚。

歌川国芳「百ものがたり」

本格的な夏を目前にした今回のアダチセレクト「話題の一枚。」は、浮世絵界の奇才・歌川国芳が描いた「百ものがたり」を三回に渡ってご紹介します。

第一回目となる今回は、本作の見どころをじっくり見ていきましょう。


 

クールジャパンの元祖!?漫画のような金魚の擬人化

尾びれや胸びれをまるで手足のようにくねらせ、画面上を自在に動き回る金魚やメダカたち。姿は金魚でありながら仕草は人間そのものです。

和金や流金など様々な種類の特徴を押さえつつ人の動きを模倣する金魚たちからは、勇敢だったり気弱だったりとそれぞれの性格まで想像でき、国芳の巧みな表現力に驚かされます。

<ひれの動きや表情がまるで人間のようです>

 

江戸っ子もヒヤヒヤドキドキ!あやかしを呼ぶ百物語

全9図からなる「金魚づくし」のシリーズは、いずれも人々の日常の様々な場面を金魚の姿で描いたもの。その中で本図「百ものがたり」は夏の風物詩である怪談をテーマに描かれた作品です。

百物語とは江戸時代に流行した怪談会で、百本の蝋燭を灯し、怪談話をする毎に一つ灯りを消していき、最後の明かりが消えると本物の幽霊や妖怪があらわれると言われていました。江戸っ子たちは一晩中怖い話にヒヤヒヤしながら夏の暑さをつかの間忘れたのでしょう。

葛飾北斎「お岩さん」

浮世絵師の大御所・葛飾北斎もこの百物語をテーマに取り上げ「お岩さん」や「皿やしき」といった有名な怪談話をモチーフにした作品を描いています。

<有名な怪談を取り上げた北斎の百物語の一枚「お岩さん」>

 

そんな正統派の怪談を描いた北斎とは一線を画し、国芳の百物語は機知に富んでユーモアたっぷり。

本図はまさに百個目の怪談が終わり妖怪があらわれたところですが、金魚を驚かす妖怪といえば化け猫なのは納得ですね。金魚たちにとっては恐怖の一場面でも、つい笑ってしまう可愛らしい「怪談」です。

<金魚といえば天敵の妖怪、化け猫>

 

手軽なサイズで楽しむ絵師の遊び心「戯画」

作品中の「国芳」の文字の下に書かれた「戯画(ぎが)」の文字。これは文字通り戯れに面白おかしく描いた絵という意味です。

そして大きさは通常の浮世絵の半分サイズで描かれており、価格帯もお手頃に、誰もが気軽に手に取れる作品となっています。

気取って描かれたものではない絵師の遊び心が溢れる作品を、江戸の人々もさらりと笑って粋に楽しんだのでしょう。

<画面の大きさも、手軽な通常の半分サイズです>

 

怪談をする金魚! 時代を先取りしたポップカルチャー!

江戸時代初期に本格的な養殖が始まった金魚は、江戸時代後期には広く庶民にも愛好されるようになり品評会も催されるほどの人気となりました。そんなブームを受けて描かれたのがこの「金魚づくし」のシリーズです。

お祭りの出店の金魚すくいや、絵はがきや浴衣の柄のモチーフで、すっかり私たちもお馴染みの夏の風物詩となった金魚。近年では金魚そのものをアートに組み込んだアートアクアリウムが開催されるなど、新たな切り口からも注目を集めています。

江戸時代から現代まで多くの人々に愛されてきたこの金魚を驚くほどポップに、そしてユーモアたっぷりに描いた浮世絵師・歌川国芳とはどんな人物だったのでしょうか。

次回は時代を先取りした型破りな浮世絵師・歌川国芳の人物像に迫ります!

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アダチセレクト「話題の一枚。」

前回は、喜多川歌麿という絵師の人物像に触れつつ「ビードロを吹く娘」に施された雲母引き(きらびき)の技法をご紹介しました。

江戸の人の心を掴んだ大首絵と雲母引き。では、このふたつのアイディアをプロデュースしたと言われる名版元、蔦屋重三郎は一体どのような人物だったのでしょうか。彼がこの作品をつくった背景とは?


ビードロ生みの親 蔦屋重三郎

蔦屋重三郎は寛延三年(1750)、吉原に生まれたとされています。
江戸の中でも特に華やかな世界で育った重三郎は、吉原を訪れる人のために出版されたガイドブック「吉原細見」の販売をきっかけに出版業にも手を伸ばしていったようです。

多くの文化人が出入りする吉原という場所ではたくさんの出会いがあったのでしょう。重三郎はその環境と商才を生かして一代で「蔦屋」の店を、江戸を代表する名版元のうちのひとつに成長させたばかりでなく、現代まで残る優れた作品を多く出版しました。

蔦屋の版元印は富士山形に蔦の葉一枚。写楽や歌麿の名前の脇に見ることができます。

蔦屋の版元印
<蔦屋の版元印>

また若い才能を見出すことにも長けていて、特に歌麿のことは自宅に居候させて面倒を見ていた時期もあるそうです。重三郎のそうした面倒見の良さも、歌麿から良作を引き出す要因のひとつだったのかもしれません。

そして彼の「文化を育てる」という精神は、みなさんよくご存じのレンタルビデオショップが蔦屋重三郎にあやかって社名を付けたという話からもわかるように、現代においても評価されています。


厳しい改革のなかで

作品が誕生した時代は、幕藩体制の安定化を目指した幕府が市民の贅沢を禁止しようと、寛政の改革によって様々な規制をかけていた時期で、それは出版業界も例外ではありませんでした。華美な錦絵、モデルの実名が入った美人画など、浮世絵にはあらゆる禁令がかけられていったようです。特に人気版元であった蔦屋は、取り締まりの中で財産の半分を没収されるという厳しい処罰も受けたほどでした。

では、蔦屋はなぜこの厳しい状況下で歌麿や写楽などのヒット作をプロデュースし続けたのでしょうか。

版木


そこには蔦屋重三郎の、常に人を喜ばせるものを作ろうという版元としての情熱が感じられます。

たとえば写楽の大首絵を見てみると、使われている色の数は決して多くないことがわかります。

制作コストはかけないながらも「雲母引き(きらびき)」という新しい技術を使うことで、面白いものを作ろうという重三郎の気概が伝わってくるようです。

<左:豊国「大星由良之助」の版木は6枚、右: 写楽「江戸兵衛」の版木は4枚。版木の少なさは一目瞭然>


改革によって楽しみが奪われていく中で出版された、歌麿の大首絵の斬新な構図や手に取った時のずっしりとした雲母(きら)の感触に、重三郎の狙い通り江戸の人々は驚きと喜びを感じたことでしょう。

手に取ることで感じられる
<手に取ることで感じられる"雲母(きら)"の輝き>


「ビードロを吹く娘」からみえるもの

喜多川歌麿「ビードロを吹く娘」

「アダチセレクト 話題の一枚。」第二回は喜多川歌麿「ビードロを吹く娘」をご紹介してまいりましたが、いかがでしたか?
当時の最先端の流行が画期的な技術でもって描かれた本作からは、その背景にある版元の情熱や息遣いを感じていただけたのではないでしょうか。

ぜひ、当時の人々が浮世絵に注いだ情熱を感じながら作品をお楽しみください。


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アダチセレクト「話題の一枚。」

前回の「話題の一枚。」では、数ある美人画の中で最も高い知名度と人気を誇る、喜多川歌麿の傑作「ビードロを吹く娘」の魅力とその人気の秘密についてご紹介しました。

今回は、より本作を深く楽しんでいただくため、美人画の第一人者となった喜多川歌麿という人物像を探りつつ、それまでの浮世絵にはなかった新しい表現方法で描かれた「ビードロを吹く娘」に凝らされた技と工夫について迫ります。

喜多川歌麿とは

北斎、広重、写楽と並び、世界的にもよく知られている浮世絵師の歌麿は、浮世絵の黄金期において美人画絵師として活躍しました。しかし、その生涯について実はよくわかっていないようです。

吉原遊郭に住みつき多くの遊女を描き続けたことから、「青楼(せいろう)の画家」と呼ばれる歌麿。寛政2~3年(1790~91年)頃に発表された「婦女人相十品(ふじょにんそうじっぴん)」というシリーズの一枚である本作のように、それまでの春信や清長が描いた全身の美人画とは異なり、女性の体をクローズアップし、顔を大きく取り上げて描いた「大首絵(おおくびえ)」というジャンルを確立し、一世を風靡したとされています。

目鼻や口などの細かな視線や表情、手や指のしなやかな仕草などを一人一人描きわけることで、女性たちの内面性までをも表現した歌麿は、「美人画を描かせたら歌麿が一番」と言われるほど、「美人画=歌麿」と誰もが認める絵師となったのです。

喜多川歌麿「ビードロを吹く娘」
<喜多川歌麿「ビードロを吹く娘」>


きらきら輝く背景の秘密!

江戸時代の人々が浮世絵を間近で楽しんだように、本作を手に取りその表面をじっくりと見てみると、人物の背景がきらきらと輝いているのがわかるかと思います。
浮世絵版画は通常、版木の上に水性の絵具を置き、和紙の裏からばれんで絵具を摺り込んでいくことで、表面はすっきりとした印象を感じさせます。

きらきらと輝く華やかな背景

一方、本作の白い背景の部分には、鉱物の一つである雲母(うんも)の粉末と、接着剤の役割をする膠(にかわ)を混ぜた「雲母(きら)」といわれるものを刷毛で和紙の上にのせています。

和紙の上にもったりとのった雲母(きら)が、作品に重厚感と華やかさを感じさせます。

<きらきらと輝く華やかな背景>

背景以外の人物の部分が隠れるように渋皮の型紙をあて、雲母(きら)を刷毛で引いてくこの技法は、「雲母引き(きらびき)」と呼ばれています。

アダチ版画では、当時の浮世絵と同じ質感を忠実に再現すべく、このような技法をとっております。

当時の浮世絵と同じ質感を再現する
<当時の浮世絵と同じ質感を再現する"雲母引き">


「大首絵」を得意とした二人の巨匠

東洲斎写楽「三世大谷鬼次 江戸兵衛」

ブロマイドのように背景をなくし、人物の顔を大きく取り上げた「大首絵」。
歌麿のほかに大首絵を得意とした絵師には、みなさんもよくご存知の「三世大谷鬼次 江戸兵衛」を描いた東洲斎写楽がいます。

実はこの作品も「ビードロを吹く娘」と同様、背景には雲母引きが施されています。

<黒雲母の背景が特徴的な「三世大谷鬼次 江戸兵衛」>

 

きらきらと輝く背景で華やかさを演出した「ビードロを吹く娘」。それまでになかった表現方法で制作されたことが、「新しもの好き」といわれた江戸の人々に好まれた一つの理由だったのかもしれません。
時代を先取りし、江戸の人々の心をとらえた二人の絵師を生み出したのが、版元の蔦屋重三郎といわれています。

次回は、「ビードロを吹く娘」が生まれた時代背景とともに、版元としてプロデュースした蔦屋重三郎について迫ります。

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アダチセレクト「話題の一枚。」

市松模様の着物を着こなし、手にしたビードロをくわえる少女。
袖を揺らす春風が今にもこちらへ吹いてきそうな、軽やかで生き生きとした佇まい。

アダチセレクト「話題の一枚。」の第二回は、美人画の名手・喜多川歌麿の傑作「ビードロを吹く娘」の魅力に迫ります。

人気・知名度ナンバーワンの美人画

数ある美人画の中で最も高い知名度と人気を誇る、喜多川歌麿の傑作「ビードロを吹く娘」。赤い市松模様の着物が印象的な本図は、当時評判だった町娘を描いた爽やかな作品です。

ビードロを吹く娘

1955年に発行された日本初となるカラー印刷の記念切手の絵柄に選ばれ、プレミアが付くほどの人気を呼んだことでご存じの方も多いかと思います。

その絵柄はよく知られている本図ですが、オリジナルの現存数は意外に少なく、所蔵は東京国立博物館やホノルル美術館、メトロポリタン美術館など。

美術展でも実物を目にする機会が少ない、実は希少な作品です。

切手

今回は作品の見所をご紹介しながら、その魅力と人気の秘密に迫ります。

最先端の流行

最新ファッションの市松模様の着物

この作品で真っ先に目に入る華やかな市松模様の着物。そして少女が手にしているビードロ。これらは当時の最先端の流行でした。

着物は歌舞伎役者の佐野川市松が身につけたことから評判となった模様。

<最新ファッションの市松模様の着物>

一方、ビードロは、別名をポッペンとも呼ばれるガラスで出来た舶来品の玩具。既に海外からの新しい風が庶民にまで伝わり出した時代の空気を感じさせます。

雑誌もテレビもない時代に、一番新しい「今」を伝えた浮世絵。
その当時の新鮮な勢いが、今なお色褪せない魅力となって人を惹きつけるのかもしれません。

ビードロは珍しい舶来品のガラスの玩具
<ビードロは珍しい舶来品のガラスの玩具>

モデルは人気の町娘

あどけなく初々しい、巷で評判の町娘

この絵のモデルとなっているのは高名な遊女ではなく市井の町娘。振り袖姿から分かるとおり、15歳以下の未婚のまだ若い少女です。そのためか表情も仕草もどこか初々しく、色っぽさよりもあどけない愛らしさが目立ちます。

最新の流行を身につけちょっと気取ってみせる少女は小粋ながらも微笑ましく、その爽やかな印象こそがこの作品が老若男女問わず愛される理由といえるでしょう。

<あどけなく初々しい、巷で評判の町娘>

 

ブロマイドのような美人画

前回ご紹介した「雪中相合傘」でお馴染みの鈴木春信以降、多色摺りの美人画は背景の中に全身像の美人を描くスタイルが定番でした。その中で、日本人形のように華奢で繊細な春信美人や、鳥居清長の健康的な八頭身美人といった様々なタイプの美人が描かれてきました。

鈴木晴信「雪中相合傘」 鳥居清長「雨中湯帰り」 喜多川歌麿「ビードロを吹く娘」
<お人形のように小柄で華奢な春信美人> <スタイルの良い八頭身の清長美人> <クローズアップしたブロマイド的な表現>

ところが歌麿はあえて全身ではなく美人の顔のアップを描くことで、全く新しい表現を生み出しました。背景をなくし人物だけを大きく取り上げたブロマイド写真を思わせる描き方です。スポットライトをあてたように画面の中に浮かび上がる美人の存在感に当時の人々は驚き、同時に憧れの美人の顔をもっと近くで見たいという願いを叶えてくれるものとして、この新しい美人画を歓迎したことでしょう。

今まではと違う新しい表現方法で一世を風靡し、歌麿は美人画の第一人者となりました。
この新たな表現のために凝らされた技と工夫とは!?

次回はアダチ版画ならではの制作の視点から、その秘密に迫ります!

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品質へのこだわり

品質へのこだわり

アダチの浮世絵は、手にして初めて分かる、熟練の技術と日本の伝統が詰まっています。

製作工程

制作工程

一切機械を使うことなく一枚一枚職人の手仕事により丁寧に作られている木版画です。

厳選素材・道具

厳選素材・道具

江戸当時の風情を感じられる当時の浮世絵の再現にこだわり、厳選した素材と道具を使用。

職人紹介

職人紹介

最高の作品を創り出すために、日々技術の研鑽を積む熟練の職人たち。

浮世絵の基礎知識

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意外と知らない?浮世絵の世界。浮世絵の基礎知識をご紹介。