ようこそさま
- カート0
- 合計 999,999円
(税込)
2021.01.15
アダチセレクト 話題の一枚 | ||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||
■ 錦絵の祖、鈴木春信 |
||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||
■ 錦絵の誕生と絵暦(えごよみ) |
||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||
■ 和歌に想いを得て描かれた純愛 「二月 水辺梅」 |
||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||
■ 春信の描く夢の世界の住人たち | ||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||
|
2014.12.17
2014.11.28
![]()
第二回目は、異色の絵師・写楽がどのように誕生したか?その謎に迫ります! 華麗なるデビュー、その裏には!?写楽は、本作「三世大谷鬼次江戸兵衛」をはじめとする28枚の大判サイズの役者絵でデビューしました。大判サイズというと、皆さんもよくご存知の北斎「神奈川沖浪裏」と同じサイズで浮世絵では一般的な大きさです。 しかし当時は、出版リスクを回避するということもあったようで、絵師は細判といった小さなサイズの作品を手がけるところから始まることがほとんどでした。同じ版元の蔦屋からデビューした北斎ですら、細判の役者絵から始めたのですから、無名の絵師であった写楽が大判からというのは異例だったと言えます。
なぜ、無名であった写楽が大判で、しかも雲母摺と呼ばれる豪華なつくりをした一連のデビュー作を発表することができたのでしょうか。 写楽がデビューした頃は、天明の飢饉からの不況と寛政の改革による贅沢の禁止で、歌舞伎界は、幕府公認の芝居小屋として繁栄していた中村座をはじめとする三座も公演を打てないほど衰退していたようです。その影響は浮世絵にも及んでおり作品の内容から版元や絵師が罰を受けることもありました。今回取り上げる蔦屋もこの禁止令により写楽登場の数年前に罰を受けており、版元にとっては厳しい世の中であったことがわかります。 このことは、蔦屋がこのシリーズの出版にあたり「曽我祭」が行われ、歌舞伎界が活気を取り戻すことを願うと同時に、写楽のインパクトある作品を出版し、ヒットさせることで自らが置かれていた厳しい状況を一変させたいという願いもあったのではないでしょうか。写楽のデビューした時期が歌舞伎の初春や顔見世などの旬な時期ではなく一番地味なときであった理由もここからきていると言われています。 この「三世大谷鬼次の江戸兵衛」は28図の中でも一際インパクトがあり、手と顔の大きさや体勢のアンバランスさが個性的で、その芝居の臨場感を引き出しています。そして鬼次の顔は非常に特徴的で写真もなかった当時、庶民はどんな役者が演じているかをリアルに知ることができたでしょう。 大首絵から全身像、その変化とは?「三世大谷鬼次の江戸兵衛」のように大首絵と呼ばれる役者のバストアップの構図で28図出したあと、第二期として同年7月に全身像をメインとした作品群を発表しています。
この変化は、第一期で役者の個性を描ききったあと、第二期では全身を描くことによって芝居の内容を描き出したかったからだと考えられています。
写楽の役者絵シリーズは全部で四期に分けられていますが、中でもやはり江戸の人々を驚かせた第一期のデビュー作は、より役者の真に迫った描写がされていると同時に、黒い雲母を使った背景の処理が当時とても革新的であったといえます。その革新さは、現代の私たちにとっても変わることなく「三世大谷鬼次の江戸兵衛」は中でも人気No.1の名作といえます。 次回は、この写楽の革新さを支えた黒い雲母をはじめとする制作の秘密について焦点をあて取り上げていきます。 |
2014.11.14
![]()
写楽は対立するこの二人の関係を画面上でも表現しようと試みました。この二人を描いた二図の大首絵を並べると、互いに向き合い構えた、まさに見せ場の場面になっているのが分かります。舞台の緊張がそのまま伝わってくるような、臨場感溢れる構図です。 人気の役者絵こそ浮世絵の本質!?写楽が「恋女房染分手綱」の舞台を描いたのは、この対になる二図だけではありません。 当時の役者絵はいわば人気アイドルのブロマイドのようなものであり、興業にあわせて舞台上の役者を描いた作品が売りだされると、ファンはそれぞれが贔屓にする役者の絵をこぞって買い求めました。
現在数多く残る風景画の浮世絵が脚光を浴びるのは後年、葛飾北斎が「冨嶽三十六景」で評判となって以降であり、それまではこうした役者絵や美人画が浮世絵のメインジャンルでした。 今一番評判の芝居、評判の役者といった世間の流行の最先端をいち早く描き、鮮度の良い話題性のある作品を生み出すことこそ「浮世を描いた絵」浮世絵の本質といえます。 世間を驚かせた異色の役者絵歌舞伎の公演の度、様々な絵師によって数多くの役者絵が制作されましたが、その中でなぜ写楽が今日これほど知られているのでしょうか。
絵師としては異色であった写楽と本図が後世において誰もが知るところとなったのは、その鋭い観察眼と忌憚のない正直な表現によって美醜だけではない役者の人柄や内面までも描き出してみせた点にあると言えるでしょう。 世界が認めた浮世絵師・東洲斎写楽。 |
2014.08.18
![]()
前回、前々回と歌川国芳「百ものがたり」のみどころや国芳の絵師としての魅力についてご紹介してまいりました。 様々な工夫を凝らして作られていた江戸時代の浮世絵。金魚づくしシリーズ「百ものがたり」には、一体どのような工夫が隠れているのでしょうか? 一石二鳥!?サイズに隠された秘密「話題の一枚。」第一回でご紹介したように「金魚づくし」シリーズは、通常の浮世絵の半分のサイズ(中判)で作られています。
金魚づくしシリーズ、全何図?
現代も色あせない江戸のセンス
現代もなお、色あせないセンスに溢れた国芳の「金魚づくし」シリーズ。そのなかでも、今回ご紹介した「百ものがたり」は夏の季節にぴったりの一枚です。江戸の人たちが楽しんだ、可愛らしい金魚たちのユーモア溢れる様子を是非お楽しみください。 |
2014.07.25
![]()
近年、若者を中心に人気の高まっている歌川国芳。 江戸時代から現代まで多くの人々を魅了する浮世絵師・歌川国芳の生涯に迫ります! 人気を確固たるものにした大ヒットシリーズとは?歌川国芳は1797年(寛政9年)、江戸日本橋本銀町(現在の日本橋本石町あたり)で営む染物屋の息子として生まれました。幼い頃から絵を描き、15歳で当時役者絵で人気を博していた歌川豊国に入門。 同門には、皆さんもよくご存じの「東海道五拾三次」や「名所江戸百景」などの情緒あふれる風景画を得意とした歌川広重がいました。
国芳の個性が光る!ユーモアあふれる「戯画」水滸伝の大ヒットにより人気絵師となった国芳は、その後、錦絵のあらゆるジャンルで作画する機会を得ました。武者絵のほかにも役者絵、名所絵、美人画など幅広く浮世絵を生み出していきましたが、なかでも国芳が最も得意とし、その個性が発揮されたのが、「戯画(ぎが)」と呼ばれるものでした。 戯画とは、その名の通り戯れに遊び心でおもしろおかしく描いたユーモラスな絵のこと。 「百ものがたり」と同シリーズである「金魚づくし」の他の作品を見てみると、金魚たちのユーモラスで滑稽な姿がいきいきと描かれ、江戸時代の人々も癒されたことでしょう。
ユーモアを好み人々を楽しませることを喜んだとされる国芳にとって戯画は、名所絵や美人画などの他のジャンルよりも重要視し、作品を生み出していったのかもかもしれません。
現代でも人気!いま巷で話題の「骸骨」江戸の庶民に大人気だった国芳ですが、現代においてもその人気ぶりは顕著に表れています。近年では日本各地で国芳の展覧会が開催され、特に若者たちを中心に人気が高まっています。
平将門の娘・瀧夜叉姫が父の仇を討つため妖怪を集めたが、大宅太郎光国という武将に退治されるという場面を描いた「相馬の古内裏」。 この作品は、つい最近まで放映されていたドラマの劇中に使われ、巷でも話題となっています。 三枚に渡って描かれたこの作品は、なんといってもその大迫力の骸骨の姿が魅力です。
|
2014.07.11
![]()
クールジャパンの元祖!?漫画のような金魚の擬人化
江戸っ子もヒヤヒヤドキドキ!あやかしを呼ぶ百物語全9図からなる「金魚づくし」のシリーズは、いずれも人々の日常の様々な場面を金魚の姿で描いたもの。その中で本図「百ものがたり」は夏の風物詩である怪談をテーマに描かれた作品です。
手軽なサイズで楽しむ絵師の遊び心「戯画」
怪談をする金魚! 時代を先取りしたポップカルチャー!江戸時代初期に本格的な養殖が始まった金魚は、江戸時代後期には広く庶民にも愛好されるようになり品評会も催されるほどの人気となりました。そんなブームを受けて描かれたのがこの「金魚づくし」のシリーズです。 次回は時代を先取りした型破りな浮世絵師・歌川国芳の人物像に迫ります! |
2014.04.17
![]() 前回は、喜多川歌麿という絵師の人物像に触れつつ「ビードロを吹く娘」に施された雲母引き(きらびき)の技法をご紹介しました。 ビードロ生みの親 蔦屋重三郎
また若い才能を見出すことにも長けていて、特に歌麿のことは自宅に居候させて面倒を見ていた時期もあるそうです。重三郎のそうした面倒見の良さも、歌麿から良作を引き出す要因のひとつだったのかもしれません。 厳しい改革のなかで作品が誕生した時代は、幕藩体制の安定化を目指した幕府が市民の贅沢を禁止しようと、寛政の改革によって様々な規制をかけていた時期で、それは出版業界も例外ではありませんでした。華美な錦絵、モデルの実名が入った美人画など、浮世絵にはあらゆる禁令がかけられていったようです。特に人気版元であった蔦屋は、取り締まりの中で財産の半分を没収されるという厳しい処罰も受けたほどでした。
「ビードロを吹く娘」からみえるもの
|
2014.04.04
![]() 前回の「話題の一枚。」では、数ある美人画の中で最も高い知名度と人気を誇る、喜多川歌麿の傑作「ビードロを吹く娘」の魅力とその人気の秘密についてご紹介しました。 今回は、より本作を深く楽しんでいただくため、美人画の第一人者となった喜多川歌麿という人物像を探りつつ、それまでの浮世絵にはなかった新しい表現方法で描かれた「ビードロを吹く娘」に凝らされた技と工夫について迫ります。 喜多川歌麿とは
きらきら輝く背景の秘密!江戸時代の人々が浮世絵を間近で楽しんだように、本作を手に取りその表面をじっくりと見てみると、人物の背景がきらきらと輝いているのがわかるかと思います。
「大首絵」を得意とした二人の巨匠
きらきらと輝く背景で華やかさを演出した「ビードロを吹く娘」。それまでになかった表現方法で制作されたことが、「新しもの好き」といわれた江戸の人々に好まれた一つの理由だったのかもしれません。 次回は、「ビードロを吹く娘」が生まれた時代背景とともに、版元としてプロデュースした蔦屋重三郎について迫ります。 |
2014.03.19
![]() 市松模様の着物を着こなし、手にしたビードロをくわえる少女。 人気・知名度ナンバーワンの美人画
今回は作品の見所をご紹介しながら、その魅力と人気の秘密に迫ります。 最先端の流行
モデルは人気の町娘
ブロマイドのような美人画
今まではと違う新しい表現方法で一世を風靡し、歌麿は美人画の第一人者となりました。 |