アダチセレクト「話題の一枚。」

突然の激しい夕立に慌てる人々が急ぎ足で橋を渡っていく。
そんな一瞬の季節の情景を鮮やかに描いた本図は、印象派の画家ヴァン・ゴッホが模写をしたことで世界的にも知られています。

第三弾となるアダチセレクト「話題の一枚。」は、風景画の大家・歌川広重の最も有名な代表作「大はしあたけの夕立」。その見所と共に、本図が海外の美術へ与えた影響や制作に秘められた技まで3回にわたって詳しくご紹介いたします。

工夫とこだわりが詰まった、歌川広重の集大成!

本図「大はしあたけの夕立」は、江戸近郊の様々な風景を描いたシリーズ「名所江戸百景」の中の一図。隅田川の下流、幕府の御用船安宅丸の船蔵があった辺りに掛かっていた大橋を見下ろすような構図で捉え、唐突に降り出す夏の夕立の激しさを詩情たっぷりに描いた臨場感あふれる傑作です。この作品を描くにあたり広重は様々な表現の工夫を凝らしました。

Pick up!「名所江戸百景」
代表作「東海道五十三次」を始めとする全国各地の風景を描いてきた歌川広重が最晩年に手掛けた、広重の画業の集大成といえる一大シリーズ。大胆奇抜な構図と四季折々の豊かな季節感を感じさせる優れた名作が揃っています。

◎風景画の常識を破る縦長の構図

西洋でもそうですが、ほとんど風景画は横長の画面に広く描くのが定番といえるのではないでしょうか。広重自身も、30代で描いた代表作「東海道五十三次」は横長の画面で描いています。
その後、広重は試行錯誤の末、縦長の画面で風景の一部分を切り取って描く表現方法に辿り着いたといわれています。広重は最も描きたい部分を限定して画面の中に切り取ることで存在感を強調し、更に俯瞰や遠近法といった自在な視点の変化を組み合わせて、非常にインパクトのある構図を作り出しました。
この縦長の画面を最大限に生かしているのが晩年に手掛けた「名所江戸百景」シリーズ。天高くから降る雨の激しさが際立つ本図もその一つです。

歌川広重「庄野 白雨」 歌川広重「大はしあたけの夕立」
歌川広重 「庄野 白雨」 歌川広重 「大はしあたけの夕立」
<30代で描いた雨の傑作「庄野 白雨」は横長の画面> <晩年の60代に描いた本図。縦長の画面は雨の勢いが増して見える>

 

◎躍動感を与える斜めの画面構成

本図を見ると画面を斜めに横切る橋が手前に描かれ、雨に霞む遠景の対岸は橋と逆の角度でやはり少し斜めに描かれています。このジグザグとした傾きが画面に動きを与え、雨や橋の上を行き交う人々の勢いを強調しています。
写実性よりも臨場感を重視した表現方法に、感性を重視する広重の柔軟な発想が伺えます。

<ジグザグとした傾きが画面に動きを与えている>

 

◎世界で賞賛される"広重ブルー"

川の流れに入れられた濃い青のぼかし。水面の浅い水色からのグラデーションが川の深さを感じさせ、画面に自然な奥行きを与えています。

この一際目を惹く濃い青色に用いられているのが、当時、海外から新しく輸入された人工の絵具プルシアンブルーです。元々ベルリンで科学的顔料として作られたため、浮世絵においてはベロリン(ベルリン)の藍、通称「ベロ藍」と呼ばれました。
これまでの浮世絵には使われていなかった鮮やかな発色は江戸っ子の評判を呼び、それを受けて北斎や広重の風景画にも非常によく使われました。

<画面に奥行を与え、水の深さを表現する濃い青のぼかし>

水で溶いた絵具を和紙に摺りこむことで生まれる浮世絵特有のすっきりとした軽さや鮮やかな発色はが、それまでの西洋絵画の厚みのある油彩を見慣れた人々の目に新鮮に映ったのではないでしょうか。

こうして元は西洋で生まれた青色は、浮世絵を生んだ絵師・広重のセンスや職人の高度な木版技術によって、日本の浮世絵を代表する色「広重ブルー」として全く新たな評価をされるようになったのです。

<和紙に水性の絵具を摺りこむ木版画ならではの鮮やかな発色>

 

様々な工夫や拘りを込めて描かれた広重の作品は当時の江戸庶民を楽しませただけでなく、海を越えた印象派の画家たちに大きな衝撃を与えました。中でもゴッホはこの「大はしあたけの夕立」や同シリーズの「亀戸梅屋舗」を熱心に模写し、その作風にも多大な影響を受けたと言われています。
やがて空前のジャポニズムブームへと続く、彼らの驚きと熱狂の正体とは?

次回はその秘密を深く掘り下げていきたいと思います!

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アダチセレクト「話題の一枚。」

前回は、喜多川歌麿という絵師の人物像に触れつつ「ビードロを吹く娘」に施された雲母引き(きらびき)の技法をご紹介しました。

江戸の人の心を掴んだ大首絵と雲母引き。では、このふたつのアイディアをプロデュースしたと言われる名版元、蔦屋重三郎は一体どのような人物だったのでしょうか。彼がこの作品をつくった背景とは?


ビードロ生みの親 蔦屋重三郎

蔦屋重三郎は寛延三年(1750)、吉原に生まれたとされています。
江戸の中でも特に華やかな世界で育った重三郎は、吉原を訪れる人のために出版されたガイドブック「吉原細見」の販売をきっかけに出版業にも手を伸ばしていったようです。

多くの文化人が出入りする吉原という場所ではたくさんの出会いがあったのでしょう。重三郎はその環境と商才を生かして一代で「蔦屋」の店を、江戸を代表する名版元のうちのひとつに成長させたばかりでなく、現代まで残る優れた作品を多く出版しました。

蔦屋の版元印は富士山形に蔦の葉一枚。写楽や歌麿の名前の脇に見ることができます。

蔦屋の版元印
<蔦屋の版元印>

また若い才能を見出すことにも長けていて、特に歌麿のことは自宅に居候させて面倒を見ていた時期もあるそうです。重三郎のそうした面倒見の良さも、歌麿から良作を引き出す要因のひとつだったのかもしれません。

そして彼の「文化を育てる」という精神は、みなさんよくご存じのレンタルビデオショップが蔦屋重三郎にあやかって社名を付けたという話からもわかるように、現代においても評価されています。


厳しい改革のなかで

作品が誕生した時代は、幕藩体制の安定化を目指した幕府が市民の贅沢を禁止しようと、寛政の改革によって様々な規制をかけていた時期で、それは出版業界も例外ではありませんでした。華美な錦絵、モデルの実名が入った美人画など、浮世絵にはあらゆる禁令がかけられていったようです。特に人気版元であった蔦屋は、取り締まりの中で財産の半分を没収されるという厳しい処罰も受けたほどでした。

では、蔦屋はなぜこの厳しい状況下で歌麿や写楽などのヒット作をプロデュースし続けたのでしょうか。

版木


そこには蔦屋重三郎の、常に人を喜ばせるものを作ろうという版元としての情熱が感じられます。

たとえば写楽の大首絵を見てみると、使われている色の数は決して多くないことがわかります。

制作コストはかけないながらも「雲母引き(きらびき)」という新しい技術を使うことで、面白いものを作ろうという重三郎の気概が伝わってくるようです。

<左:豊国「大星由良之助」の版木は6枚、右: 写楽「江戸兵衛」の版木は4枚。版木の少なさは一目瞭然>


改革によって楽しみが奪われていく中で出版された、歌麿の大首絵の斬新な構図や手に取った時のずっしりとした雲母(きら)の感触に、重三郎の狙い通り江戸の人々は驚きと喜びを感じたことでしょう。

手に取ることで感じられる
<手に取ることで感じられる"雲母(きら)"の輝き>


「ビードロを吹く娘」からみえるもの

喜多川歌麿「ビードロを吹く娘」

「アダチセレクト 話題の一枚。」第二回は喜多川歌麿「ビードロを吹く娘」をご紹介してまいりましたが、いかがでしたか?
当時の最先端の流行が画期的な技術でもって描かれた本作からは、その背景にある版元の情熱や息遣いを感じていただけたのではないでしょうか。

ぜひ、当時の人々が浮世絵に注いだ情熱を感じながら作品をお楽しみください。


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アダチセレクト「話題の一枚。」

前回の「話題の一枚。」では、数ある美人画の中で最も高い知名度と人気を誇る、喜多川歌麿の傑作「ビードロを吹く娘」の魅力とその人気の秘密についてご紹介しました。

今回は、より本作を深く楽しんでいただくため、美人画の第一人者となった喜多川歌麿という人物像を探りつつ、それまでの浮世絵にはなかった新しい表現方法で描かれた「ビードロを吹く娘」に凝らされた技と工夫について迫ります。

喜多川歌麿とは

北斎、広重、写楽と並び、世界的にもよく知られている浮世絵師の歌麿は、浮世絵の黄金期において美人画絵師として活躍しました。しかし、その生涯について実はよくわかっていないようです。

吉原遊郭に住みつき多くの遊女を描き続けたことから、「青楼(せいろう)の画家」と呼ばれる歌麿。寛政2~3年(1790~91年)頃に発表された「婦女人相十品(ふじょにんそうじっぴん)」というシリーズの一枚である本作のように、それまでの春信や清長が描いた全身の美人画とは異なり、女性の体をクローズアップし、顔を大きく取り上げて描いた「大首絵(おおくびえ)」というジャンルを確立し、一世を風靡したとされています。

目鼻や口などの細かな視線や表情、手や指のしなやかな仕草などを一人一人描きわけることで、女性たちの内面性までをも表現した歌麿は、「美人画を描かせたら歌麿が一番」と言われるほど、「美人画=歌麿」と誰もが認める絵師となったのです。

喜多川歌麿「ビードロを吹く娘」
<喜多川歌麿「ビードロを吹く娘」>


きらきら輝く背景の秘密!

江戸時代の人々が浮世絵を間近で楽しんだように、本作を手に取りその表面をじっくりと見てみると、人物の背景がきらきらと輝いているのがわかるかと思います。
浮世絵版画は通常、版木の上に水性の絵具を置き、和紙の裏からばれんで絵具を摺り込んでいくことで、表面はすっきりとした印象を感じさせます。

きらきらと輝く華やかな背景

一方、本作の白い背景の部分には、鉱物の一つである雲母(うんも)の粉末と、接着剤の役割をする膠(にかわ)を混ぜた「雲母(きら)」といわれるものを刷毛で和紙の上にのせています。

和紙の上にもったりとのった雲母(きら)が、作品に重厚感と華やかさを感じさせます。

<きらきらと輝く華やかな背景>

背景以外の人物の部分が隠れるように渋皮の型紙をあて、雲母(きら)を刷毛で引いてくこの技法は、「雲母引き(きらびき)」と呼ばれています。

アダチ版画では、当時の浮世絵と同じ質感を忠実に再現すべく、このような技法をとっております。

当時の浮世絵と同じ質感を再現する
<当時の浮世絵と同じ質感を再現する"雲母引き">


「大首絵」を得意とした二人の巨匠

東洲斎写楽「三世大谷鬼次 江戸兵衛」

ブロマイドのように背景をなくし、人物の顔を大きく取り上げた「大首絵」。
歌麿のほかに大首絵を得意とした絵師には、みなさんもよくご存知の「三世大谷鬼次 江戸兵衛」を描いた東洲斎写楽がいます。

実はこの作品も「ビードロを吹く娘」と同様、背景には雲母引きが施されています。

<黒雲母の背景が特徴的な「三世大谷鬼次 江戸兵衛」>

 

きらきらと輝く背景で華やかさを演出した「ビードロを吹く娘」。それまでになかった表現方法で制作されたことが、「新しもの好き」といわれた江戸の人々に好まれた一つの理由だったのかもしれません。
時代を先取りし、江戸の人々の心をとらえた二人の絵師を生み出したのが、版元の蔦屋重三郎といわれています。

次回は、「ビードロを吹く娘」が生まれた時代背景とともに、版元としてプロデュースした蔦屋重三郎について迫ります。

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アダチセレクト「話題の一枚。」

市松模様の着物を着こなし、手にしたビードロをくわえる少女。
袖を揺らす春風が今にもこちらへ吹いてきそうな、軽やかで生き生きとした佇まい。

アダチセレクト「話題の一枚。」の第二回は、美人画の名手・喜多川歌麿の傑作「ビードロを吹く娘」の魅力に迫ります。

人気・知名度ナンバーワンの美人画

数ある美人画の中で最も高い知名度と人気を誇る、喜多川歌麿の傑作「ビードロを吹く娘」。赤い市松模様の着物が印象的な本図は、当時評判だった町娘を描いた爽やかな作品です。

ビードロを吹く娘

1955年に発行された日本初となるカラー印刷の記念切手の絵柄に選ばれ、プレミアが付くほどの人気を呼んだことでご存じの方も多いかと思います。

その絵柄はよく知られている本図ですが、オリジナルの現存数は意外に少なく、所蔵は東京国立博物館やホノルル美術館、メトロポリタン美術館など。

美術展でも実物を目にする機会が少ない、実は希少な作品です。

切手

今回は作品の見所をご紹介しながら、その魅力と人気の秘密に迫ります。

最先端の流行

最新ファッションの市松模様の着物

この作品で真っ先に目に入る華やかな市松模様の着物。そして少女が手にしているビードロ。これらは当時の最先端の流行でした。

着物は歌舞伎役者の佐野川市松が身につけたことから評判となった模様。

<最新ファッションの市松模様の着物>

一方、ビードロは、別名をポッペンとも呼ばれるガラスで出来た舶来品の玩具。既に海外からの新しい風が庶民にまで伝わり出した時代の空気を感じさせます。

雑誌もテレビもない時代に、一番新しい「今」を伝えた浮世絵。
その当時の新鮮な勢いが、今なお色褪せない魅力となって人を惹きつけるのかもしれません。

ビードロは珍しい舶来品のガラスの玩具
<ビードロは珍しい舶来品のガラスの玩具>

モデルは人気の町娘

あどけなく初々しい、巷で評判の町娘

この絵のモデルとなっているのは高名な遊女ではなく市井の町娘。振り袖姿から分かるとおり、15歳以下の未婚のまだ若い少女です。そのためか表情も仕草もどこか初々しく、色っぽさよりもあどけない愛らしさが目立ちます。

最新の流行を身につけちょっと気取ってみせる少女は小粋ながらも微笑ましく、その爽やかな印象こそがこの作品が老若男女問わず愛される理由といえるでしょう。

<あどけなく初々しい、巷で評判の町娘>

 

ブロマイドのような美人画

前回ご紹介した「雪中相合傘」でお馴染みの鈴木春信以降、多色摺りの美人画は背景の中に全身像の美人を描くスタイルが定番でした。その中で、日本人形のように華奢で繊細な春信美人や、鳥居清長の健康的な八頭身美人といった様々なタイプの美人が描かれてきました。

鈴木晴信「雪中相合傘」 鳥居清長「雨中湯帰り」 喜多川歌麿「ビードロを吹く娘」
<お人形のように小柄で華奢な春信美人> <スタイルの良い八頭身の清長美人> <クローズアップしたブロマイド的な表現>

ところが歌麿はあえて全身ではなく美人の顔のアップを描くことで、全く新しい表現を生み出しました。背景をなくし人物だけを大きく取り上げたブロマイド写真を思わせる描き方です。スポットライトをあてたように画面の中に浮かび上がる美人の存在感に当時の人々は驚き、同時に憧れの美人の顔をもっと近くで見たいという願いを叶えてくれるものとして、この新しい美人画を歓迎したことでしょう。

今まではと違う新しい表現方法で一世を風靡し、歌麿は美人画の第一人者となりました。
この新たな表現のために凝らされた技と工夫とは!?

次回はアダチ版画ならではの制作の視点から、その秘密に迫ります!

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アダチセレクト「話題の一枚。」

鈴木春信とは

「雪中相合傘」をはじめとする「錦絵」を生み出した春信ですが、どんな人物だったのでしょうか。
他の浮世絵師同様、その生まれや人となりはあまり資料に残っていないようですが、1725(享保10)年頃に江戸に生まれ、姓は穂積、後に鈴木を名乗ったとされています。京都に出て絵師・西川祐信(すけのぶ)に学んだともいわれ、その後、1760(宝暦10)年頃、錦絵が生まれる前の3色程度で描かれた紅摺絵の役者絵でデビューしたようです。そして、前回ご紹介した絵暦ブームの際に「錦絵」を完成させ、今では錦絵の祖とも言われています。

春信の描く美人画

雪中相合傘をはじめとする春信の描く人物は、華奢で可憐な姿のかわいらしい様子で描かれています。一見、男性女性の区別がつかないくらい中性的な感じもします。
もちろん春信の作画スタイルということもできますが、当時の人々にとっての理想の美人の姿だったとも言えるでしょう。浮世絵に描かれる美人は、その時代によってかなり描かれ方が異なるということは、春信以降、美人画の絵師として人気の高かった鳥居清長や喜多川歌麿の美人の顔をみていただけば一目瞭然です。

各々の絵師の描く美人(あなたのお好みは?)

<鈴木春信・雪中相合傘より> <鳥居清長・九月より> <喜多川歌麿・ビードロを吹く娘より>

春信人気の中で衝撃の事実!春信の贋作絵師あらわる?

錦絵が誕生し、春信そして浮世絵の人気が高まると「巨川」のような好事家ではなく、一般の人々向けに色々な版元から多色刷の浮世絵が出版されるようになります。春信の描く錦絵の人気は、ある衝撃の事実からも知る事ができます。

こちらの作品をご覧ください。

春信という絵師名も入った春信らしい美人を描いた作品ですが、実は、これは当時鈴木春重と名乗っていた司馬江漢(1747-1818)が「春信」の名で偽作として出版したものなんです!

このことは、後に司馬江漢が自著でその旨告白していることで明らかになっています。 何とも驚きの事実ですが、偽物が出てしまうくらい春信人気は絶大だったのでしょう。

  <鈴木春重・雪後>

司馬江漢以外にも春信風の浮世絵として、同時代活躍した浮世絵師、磯田湖竜斎(いそだこりゅうさい)が描いた作品などもあります。
タイトルまで同じ「雪中相合傘」です!

これら司馬江漢や磯田湖竜斎の作品をみていただくと、江戸での春信の人気ぶりが良くおわかりいただける事と思います。また、江戸の浮世絵はその時の流行を捉えて出版されていたことがわかりますね。

そして、錦絵誕生から数年後の1770(明和7)年に春信は46歳という若さでこの世を去ったと言われています。たった10年の絵師人生でしたが、この「錦絵」誕生における春信の残した功績は多大なもので、その後の歌麿・写楽・北斎・広重などの色鮮やかな浮世絵の名作が生まれる土台となりました。

  <磯田湖竜斎・雪中相合傘>

鈴木春信「雪中相合傘」が伝えてくれるもの

鈴木春信「雪中相合傘」

「アダチセレクト 話題の一枚。」の最初の一枚として鈴木春信「雪中相合傘」を3回にわたってご紹介してまいりましたが、いかがでしたか?

木版の魅力を最大限活かし作られた本作は、男女の情感豊かなしっとりとした雰囲気が味わえると同時に、江戸で生まれた浮世絵にかける人々の情熱が伝わってくる作品でもあったのではないでしょうか。

是非、じっくりとこの一枚の作品の魅力をお楽しみください。

<鈴木春信 「雪中相合傘」

鈴木春信「雪中相合傘」商品詳細はこちら >>

アダチセレクト「話題の一枚。」

新たに始まった企画、アダチセレクト「話題の一枚」。
前回は鈴木春信の傑作「雪中相合傘」の魅力を、色彩や技法の面からご紹介しました。今回はより作品を深く楽しむために、本作が生まれた時代背景に焦点を当ててみたいと思います。

石川豊信「中村喜代三郎 市村亀蔵 おきく 幸助」

皆様は、浮世絵と言えばフルカラーの華やかな多色刷りを想像されるのではないでしょうか。今でこそ当たり前の多色刷りですが、最初からこれほど水準の高い技術が完成していたわけではありません。
鈴木春信が絵師としてデビューした宝暦10年(1760年)頃の浮世絵は、ベースとなる墨の黒に、紅・草など二色程度の色で摺られた紅摺絵が中心でした。
それが劇的に多色刷りへと変化を遂げる、あるきっかけがありました。

<多色刷りが可能になる前の主流「紅摺絵」>
  石川豊信「中村喜代三郎 市村亀蔵 おきく 幸助」

浮世絵の歴史を大きく変えたカレンダーブーム!

鈴木春信「夕立」

そのきっかけとは明和2年(1765)、裕福な趣味人の間で流行した絵暦の交換会です。絵暦とはその名の通り一種のカレンダーで、太陰暦によって毎年変動する30日ある大の月と29日ある小の月を、絵の中に書き入れたものを指します。

それもあからさまに数字を入れるのではなく、絵柄の中に溶け込ませ、一見それと分からない判じ絵のようにしたものが好まれました。

<ブームとなった「絵暦」。着物の柄に数字が隠れています>
鈴木春信 「夕立」  

この絵暦交換会のブームの中心となったひとりが旗本・大久保甚四郎、俳名を「巨川(きょせん)」といった人物です。
彼は他の誰よりも優れた絵暦を作り出すため、より美しく趣向を凝らした作品を求めて春信に作画を依頼すると同時に、職人達に木版画の技術を駆使させたと言われています。

その結果、巨川をスポンサーに春信や職人達は試行錯誤を重ね、それまでの色数の限られた紅摺絵とは全く異なる色彩豊かな多色刷りの「錦絵」を完成させました。彼らが作り出した新たな工夫とはどんなものだったのでしょうか。

■ 工夫その1「見当」

多色刷りに欠かせない、紙の位置を決める目印である「見当」。これを版木につけることにより、複数の色板を用いても、ずれることなく正確に色を重ねることが出来るようになりました。一見簡単なことのようですが、それまで実現が難しかった多色刷りを可能にした画期的な発明です。

<紙の位置を決めるカギ型見当(右下)と引き付け見当(左下)> <紙一枚分の溝が彫ってあります>

■ 工夫その2「和紙」

春信の作品に使われた「奉書」は、それまで使用されていた薄手の和紙よりも繊維は長く、厚手でふっくらした紙。発色が良く丈夫で、何度も版を摺り重ねても耐えられるようになりました。

<ふっくらと厚みがあり発色の良い「奉書」>

■ 工夫その3「背景 ~抽象から写実へ~」

錦絵以前の紅摺絵はあくまで人物がメインであり、背景の描写などには乏しかったのですが、錦絵になると画中に周辺の情景を細かく描き入れることで、リアリティのある表現がされるようになりました。制作技術の進歩だけでなく、絵師による作品の描き方が変わった点は特に注目です。

<紅摺絵:背景は描かれず抽象的な表現> <錦絵:季節や場所を具体的に示す写実的な表現>

「下らない」汚名を返上せよ!? 江戸っ子の心意気

鈴木春信「雪中相合傘」

色彩豊かな「錦絵」を生み出した絵暦のブームですが、その流行を生み出した原動力とは何でしょうか。
当時の江戸では、上方(京都)で作られた「下りもの」が高級品とされ、地の物は「下らない」ものとして全く評価されませんでした。
ゆえに江戸に住む彼らは上方への強い対抗意識を抱き、上方を越える美しいもの、優れたものを作りたいという熱意を共有していたからこそ、スポンサーである富裕層はもちろん、絵師、職人までもが一体となって「錦絵」は誕生したのではないでしょうか。

明和4年に完成した、鈴木春信の傑作「雪中相合傘」。
上質な紙の白を柔らかな雪の表現に生かし、「空摺り」や「きめだし」といった技巧をふんだんに使い、凝りに凝った本作は正に「錦絵」の技術の集大成といえます。
今なおこの作品が人を惹きつけるのは、そこに上方を越えんとした作り手達の凛とした気概が感じられるからかも知れません。

鈴木春信 「雪中相合傘」

絵暦交換会の流行はほどなくして終わりましたが、色鮮やかで美しい絵暦に目を付けた版元がこれを製品化し一般に売り出すと、「錦絵」は江戸庶民の人気を呼び春信は当代一の人気絵師となりました。

次回は「錦絵」と共に一世を風靡した、絵師・春信の人気ぶりについて詳しくご紹介します。

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アダチセレクト「話題の一枚。」

アダチ版画が厳選した今、注目の浮世絵を2ヶ月に渡ってご紹介していく企画・アダチセレクト「話題の一枚。」
一枚の浮世絵の描かれた内容はもちろん、アダチならではの制作の視点や作品誕生の背景などにも迫ってまいります。数回に渡るコラムを通じて「話題の一枚。」の魅力を感じてください。

アダチセレクト「話題の一枚。」の記念すべき第1回目は、鈴木春信の「雪中相合傘」をピックアップ。
現在、江戸東京博物館で開催中(~3/2まで)の「大浮世絵展」にも大英博物館所蔵の「雪中相合傘」が展示されています。海外での人気も非常に高い本作品の魅力をご紹介します。

惜しみなく技巧を凝らした春信の名作

深々と降る雪が積もる道を二人で一つの傘を差し、寄り添い合って歩く若い男女の姿が描かれた鈴木春信の「雪中相合傘」。本作品の特徴は、何と言っても白と黒の対比にあると言えるでしょう。
春信は男女を描きわけるのに対照的な白と黒を用い、互いに引立て合う効果を活かして情緒豊かな作品に仕上げました。

雪中相合傘

そして、そこに彫師・摺師のある特別な技が発揮されることで、本作品の印象を強いものにしました。今回は、その職人たちの技に迫ります。


色をつけずに形をつける"空摺"

立体的に表現された着物の模様

傘を差し寄り添う男女の着物を注意深くご覧ください。
模様が繊細ながらも、しっかりとした線で描かれているのがわかります。細かく入ったこの模様が、平面ではなく立体的な着物の質感を巧みに演出してくれています。

これは、版木に絵の具をつけず摺ることにより凹凸を作る「空摺(からずり)」と呼ばれる摺りの技法で表現されています。

<立体的に表現された着物の模様>

 

着物の部分が繊細に彫られた版木

空摺は主に、雪・花びら・鳥や昆虫の羽・着物の模様など、和紙そのものの持つ味わいを活かし形を表現する際によく使われる技法で、春信の作品には多く見られます。

浮世絵を直接手に取り、間近で楽しんだ江戸の人々を喜ばせるための職人たちの試行錯誤が垣間見られます。

<着物の部分が繊細に彫られた版木>

平面の版画が飛び出す!?"きめ出し"

次に雪道を歩く二人の足元にご注目ください。
地面にあたかも雪が降り積もったかのように、ふんわりと立体的に表現されています。

<"きめ出し"で表現された雪>
 

これは、色摺が済んだ絵を版木にのせ、絵具をつけずに板の窪んだ部分を紙の裏から刷毛やブラシで叩くように隆起させ画面の一部分に立体感を出す「きめ出し」という技法を用いています。

この立体的な線が入ることで平坦な雪道から、降り積もった雪道へと変化しているのがわかります。

紙の裏からブラシで叩く熟練の技
<紙の裏からブラシで叩く熟練の技>


このように空摺やきめ出しという技法が駆使された本作品は、絵師・鈴木春信と当時の彫師、摺師の高度な技術が一つになり完成しました。1767年(明和4年)頃のことです。それは、浮世絵の世界が大きく変化した年からわずか2年後。
一体その大きな変化とは!?

次回は、「雪中相合傘」が誕生した頃の浮世絵界に起きた大変革についてお話してまいります。
お楽しみに。

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品質へのこだわり

品質へのこだわり

アダチの浮世絵は、手にして初めて分かる、熟練の技術と日本の伝統が詰まっています。

製作工程

制作工程

一切機械を使うことなく一枚一枚職人の手仕事により丁寧に作られている木版画です。

厳選素材・道具

厳選素材・道具

江戸当時の風情を感じられる当時の浮世絵の再現にこだわり、厳選した素材と道具を使用。

職人紹介

職人紹介

最高の作品を創り出すために、日々技術の研鑽を積む熟練の職人たち。

浮世絵の基礎知識

浮世絵の基礎知識

意外と知らない?浮世絵の世界。浮世絵の基礎知識をご紹介。