ニコニコ美術館で実現した #おうちで浮世絵

ニコニコ美術館で実現した #おうちで浮世絵

2020年2月末、新型コロナウィルス感染拡大防止に向けた政府要請を受け、多くの文化施設が休館を決定しました。終わりの見えない自粛期間への突入に誰もが不安を覚える中、浮世絵専門美術館・太田記念美術館(東京・原宿)は、いち早く「#おうちで浮世絵」というハッシュタグでSNS上での作品紹介をスタート。また、中止となった展覧会を無償で動画配信する「ニコニコ美術館」(運営:株式会社ドワンゴ)の取り組みが注目されました。

そして10月16日、withコロナ時代におけるオンラインの美術鑑賞のあり方を提示した両者のコラボレーションが実現。この半年を振り返りつつ、太田記念美術館の企画展「江戸の土木」の生中継の模様をお伝えします。

太田記念美術館が発信した#おうちで浮世絵、その拡がり

2020年2月末、新型コロナウィルス感染拡大防止のため、日本全国の多くの文化施設が休館を決定しました。太田記念美術館でも3月の休館を決定し、2月15日にスタートしたばかりの企画展「鏑木清方と鰭崎英朋」は結果として中止に。そこで、太田記念美術館は公式twitter(@ukiyoeota)で、同展の展示内容を紹介し始めました。その際に投稿につけたのが「#おうちで浮世絵」というハッシュタグ。


浮世絵を所蔵する国内の美術館・博物館のtwitterアカウントが、次々とこのハッシュタグを共有し、各館の所蔵品を独自の切り口で紹介。この時期、他にも「#自宅でミュージアム」「#エア美術館」といったハッシュタグを使用し、多くの文化施設がSNS上での発信を行いましたが、「#おうちで浮世絵」の拡散と反響は、浮世絵の画題の親しみやすさ、twitterというSNSとの相性の良さを物語っていたように思います。一投稿あたり140字というtwitterのコンパクトさも、コロナ禍において、多くの人が気軽に美術に触れる機会を提供したのではないでしょうか。


こうして「#おうちで浮世絵」は、多くの人の心をを和ませ、「不要不急」で萎縮する芸術分野の関係者を勇気付けました。

ニコニコ美術館による無償の展覧会生中継

太田記念美術館が初めてtwitter上で「#おうちで浮世絵」のハッシュタグを使用した2月28日、オンライン上の別の場所でも、日本の文化施設へのエールが贈られました。

「【臨時休館される美術館・博物館さまへ】中止になった展覧会をネットで開催しませんか? 費用はドワンゴが負担します」

「ニコニコ動画」を運営する株式会社ドワンゴが、コロナ禍で中止となった展覧会を対象に、無償での「ネット展示配信」を申し出たのです。

「ニコニコ美術館」のブログ(2020年2月28日)より

ニコニコ動画では2018年から、全国の美術館・博物館の展示会場内を専門家等による解説付きで巡る生放送番組「ニコニコ美術館」を不定期で配信してきました。東京・京都の国立博物館をはじめとする全国の文化施設、さらには芸術祭の会場から生中継を行ってきた「ニコニコ美術館」。

話題の展覧会の生中継は、およそ2〜2.5時間の放送時間で毎回1万人を超える人々に視聴されました。また、会場内の展示作品一点一点をじっくり鑑賞する24時間番組の企画も好評を博し、複数の展覧会での実績を築いていました。

「ニコニコ美術館」番組のアーカイブページ

2月28日の発表後ひと月のあいだに、「ニコニコ美術館」には全国50館以上の施設からの問い合わせが寄せられたそうです。そして3月、中止となってしまった東京都江戸東京博物館の特別展「江戸ものづくり列伝」を皮切りに、「休館中の○○から生中継」という生放送番組が「ニコニコ美術館」のチャンネルで続々と配信されました。(「ニコニコ美術館」の過去の放送の一覧はこちら≫

みんなでワイワイガヤガヤ、ミュージアムの新たな楽しみ方

ニコニコ動画の特徴の一つは、なんと言っても、動画の画面上に視聴者のコメントがリアルタイムで流れる点でしょう。「wwwwwwww(笑を意味する)」や「8888888(パチパチ=拍手を意味する)」といった独自の表現も存在し、ときにコメントの文字で画面が埋め尽くされてしまうこともあるこの機能に、初めは戸惑う方も多いかも知れません。正直なところ、筆者もかつてはニコニコ動画の忙しない画面を敬遠していたひとりです。しかし今回のコロナ禍で「ニコニコ美術館」を視聴し、withコロナ時代の閉塞感を打ち破る、新たなミュージアムの楽しみ方が見えてきました。

動画の画面上にリアルタイムで視聴者のコメントが流れるニコニコ動画。
ニコニコ動画「浮世絵専門の太田記念美術館を巡り 葛飾北斎の作品を摺ってみる生放送 出演:橋本麻里【ニコニコ美術館】」より

「ニコニコ美術館」では「きれい」「すげえ」「おおおおおお」そんな思わず漏れる心の声が、そのまま画面上を流れます。画面越しに、知らない人同士が、今の自分の高揚を素直に表現できる空気。周囲に迷惑をかけずにはしゃげる、自粛無用の美術鑑賞は、「ニコニコ美術館」だからこその楽しみと言えます。また初歩的な疑問を気軽に投げられるのも匿名のチャットの良さかも知れません。会場の出演者は、画面に流れる質問を丁寧に拾い上げて作品を解説してくれます。

そしてこの贅沢なギャラリーツアーを経て、毎回多くの視聴者が最終的に「この展覧会に行きたい」という結論に至っている点は、本当に素晴らしいと思います。動画で無料で見られたから満足、ではなく、作品の価値がわかって一層実物を見たくなるのが「ニコニコ美術館」なのです。

そして、ついに2020年10月16日、「#おうちで浮世絵」の震源地である太田記念美術館に「ニコニコ美術館」のカメラが入ることになりました。

「江戸の土木」展を生中継+制作実演という新しい試み

太田記念美術館は7月1日から営業を再開し、2つの企画展を開催してきましたが、例年に比べて入館者数は落ち込みました。原宿駅歩5分の立地にあり、外国人観光客の比率が高かった同館にとって、新型コロナウィルスの影響は大きいようです。

10月10日からスタートした「江戸の土木」展も、当初は6月に開催予定だった企画展です。同館恒例のスライドトークや関連イベントなどの予定も変更を余儀なくされましたが、企画展担当の渡邉晃学芸員は、同館のnote(ブログ型のメディアプラットフォーム)などを通じて、積極的に展覧会の情報の発信に努めています。10月16日放送のニコニコ美術館は、アートファンの圧倒的支持を得る橋本麻里さん(ライター・エディター/公益財団法人永青文庫副館長)をナビゲーターに、渡邉さんが「江戸の土木」展を紹介。

太田記念美術館ではtwitterのほか、Youtubeやnoteを利用し展覧会出品作を詳細に解説。
太田記念美術館のnote記事より

そしてさらに今回の放送では、スペシャルコンテンツが用意されました。毎年夏に太田記念美術館の子供向けワークショップで浮世絵制作の実演を行なっているアダチ版画研究所の職人が、浮世絵版画の摺(すり)の工程を番組内で実演することに。16日放送回は題して「浮世絵専門の太田記念美術館を巡り 葛飾北斎の作品を摺ってみる生放送」

ニコニコ美術館 2020年10月16日放送回のイメージビジュアル(提供:ドワンゴ )

アダチ版画研究所は、江戸時代から続く伝統的な木版画の技術を継承する彫師・摺師を抱える工房、兼版元。浮世絵の復刻版制作と現代作家の木版画制作を主な事業としていますが、伝統の技術を広く知ってもらうために、美術館・博物館などで版画制作の実演会も行っています。コロナ禍で、こうした活動が停滞してしまったことに同社も頭を悩ませており、ギャラリーツアー+実演の生中継が実現することになったのです。

「ニコニコ美術館」のスタッフも、職人の手仕事を生放送で見せるのは初めての試み。事前にアダチ版画研究所の工房を訪れ、入念な打ち合わせをするとともに、時間の都合上、生放送では割愛せざるを得ない版木を彫る工程をカメラに収め、放送に向けて着々と準備を進めました。

アダチ版画研究所の彫師の仕事場でカメラを回すニコニコ美術館スタッフ。

大盛況だった週末夜の「#おうちで浮世絵」

放送日当日の15時。番組の視聴予約をしていた人のスマートフォンやパソコンの画面に、突然通知が届きました。それは「【今夜19時〜ニコニコ美術館】現代の浮世絵職人が淡々と木版を彫る放送【「摺り」の実演は生放送で】」という動画の配信開始を告げるもの。本番放送までの4時間、木版画の彫りの工程を紹介する動画が特別に公開されたのです。なんとも贅沢な番宣動画。ニコニコ美術館からのサプライズに、平日の日中にもかかわらず、数千人の人が、黙々と板を彫る職人の仕事に見入りました。

ニコニコ動画「【今夜19時〜ニコニコ美術館】現代の浮世絵職人が淡々と木版を彫る放送【「摺り」の実演は生放送で】」より

そして、いよいよ19時。「皆さんこんばんは、橋本麻里です」という橋本さんの挨拶で、放送が始まりました。浮世絵に描かれた橋やダム、埋立地に注目した「江戸の土木」展の展示作品は、風景画がメインです。その土地にまつわる興味深いエピソードを次々に紹介する渡邉さんのギャラリートークは、さながら街歩き番組のような趣向に。また、作品への多角的なアプローチを試みる橋本麻里さんのコメントは、世代も嗜好性もさまざまな視聴者に、浮世絵の自由な鑑賞を促す居心地のよい空気を生み出していたように思います。

太田記念美術館の展示室を巡る渡邉さん(中央)と橋本さん(右)。画面端に見える頭は「ニコニコ美術館」ディレクターの髙畑さん。
ニコニコ動画「浮世絵専門の太田記念美術館を巡り 葛飾北斎の作品を摺ってみる生放送 出演:橋本麻里【ニコニコ美術館】」より

特に今回は、浮世絵の美術品としての側面と史料的な側面とを同時に見られる展示のためか、多くの人が思い思いに、作品を楽しむことができたのではないでしょうか。10月16日の放送終了時点では、コメント数が視聴者数を上回る結果となっており、いかに視聴者が能動的に番組に参加していたかもわかります。生放送中、美術館内の別の場所で放送を視聴していた「#おうちで浮世絵」の生みの親であるH学芸員も、チャット機能を利用して作品の補足説明をするという、ニコニコ動画ならではの見事な連携(?)プレーも見られました。

ときおり「#おうちで浮世絵」の生みの親であるH学芸員の補足説明が。
ニコニコ動画「浮世絵専門の太田記念美術館を巡り 葛飾北斎の作品を摺ってみる生放送 出演:橋本麻里【ニコニコ美術館】」より

渡邉さんと橋本さんが、3フロアの展示をおよそ120分で巡り、番組最後の60分は浮世絵の制作実演です。今回は北斎の代表作「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」の摺の工程を、アダチ版画研究所の摺師・京増与志夫さんが実演し、同所制作・チーフマネージャーの田﨑雅志さんが解説。実演中「版木はなんの木?」「ばれんは何でできてるの?」と次々に寄せられるコメントを「ニコニコ美術館」運営スタッフがすかさずキャッチし、インタラクティブな教養番組の様相を呈しました。

感嘆詞で埋め尽くされる画面。
ニコニコ動画「浮世絵専門の太田記念美術館を巡り 葛飾北斎の作品を摺ってみる生放送 出演:橋本麻里【ニコニコ美術館】」より

22時過ぎ、7版8度摺の「神奈川沖浪裏」が完成。番組は大盛況のうちに幕を閉じました。最終的に3時間の生放送のあいだに動画を視聴した人は、約1.7万人。最後の視聴者アンケートでは「とても良かった」と「まぁまぁ良かった」と回答した人が99%を越える結果に。金曜日の夜、日本全国で多くの人が「#おうちで浮世絵」を楽しむことができました。

視聴者アンケートもその場で集計。
ニコニコ動画「浮世絵専門の太田記念美術館を巡り 葛飾北斎の作品を摺ってみる生放送 出演:橋本麻里【ニコニコ美術館】」より

16日放送の動画は、現在下記のURLで視聴することができます。
浮世絵専門の太田記念美術館を巡り 葛飾北斎の作品を摺ってみる生放送 出演:橋本麻里【ニコニコ美術館】
https://live.nicovideo.jp/watch/lv327866473

withコロナ時代、美術の楽しみ方の選択肢

放送終了後、渡邉学芸員、橋本麻里さん、そして「ニコニコ美術館」のディレクターの高畑さんに、メールにて、今回の放送についてうかがいました。

渡邉晃さん(太田記念美術館 上席学芸員)

——このたびは2時間にわたる楽しいギャラリートークをありがとうございました。出演されていかがでしたか?

渡邉さん「太田記念美術館ではコロナ禍の当初から、SNSを活用した情報発信に力を入れてきました。今回の生中継による動画配信は新たな試みでしたが、ウェブならではの、長時間の放送時間をぜいたくに使った番組構成には大きな可能性を感じました。展覧会の内容をたっぷりご紹介できたことはもちろん、後半の摺りの実演と合わせて、より立体的に浮世絵に触れていただけたのではと思います。
これまで個人的に浮世絵ツアーを開催したり、江戸の地理・地形に関わる展覧会を担当してきたので、今回の『江戸の土木』展をこのような形でご紹介できて本当に嬉しく思います。また、今後もこうした動画配信には、館として積極的に関わって行ければと思っています。」

髙畑鍬名さん(株式会社ドワンゴ 「ニコニコ美術館」ディレクター)

——「ニコニコ美術館」では、これまで様々な展覧会を紹介されてきましたが、今回の実演を交えた収録はいかがでしたか?

髙畑さん「ニコニコ美術館では出演者のフレッシュなリアクションのために、事前の打ち合わせをあまり念入りに行わないようにしております。そんな生放送の最中に胸を打たれたのは、浮世絵専門の美術館で学芸員を長年されてきた渡邉さんの笑顔です。『摺り』の実演中、職人の手仕事を見つめる渡邉さんの表情が、童心にかえったような笑顔で、浮世絵の専門家でもドキドキしてしまう瞬間を捉えることができたと思います。
また、前半の生解説パートでは、渡邉さんによる橋やダム、埋立地の『浮世絵離れ』したディープな解説を、しっかり浮世絵の話題に戻す橋本麻里さんのアクロバティックな進行が見事で、これぞニコニコ美術館という瞬間が何度も訪れました。橋本さんには今年だけでも13本のニコニコ美術館にご出演いただいており、橋本さんの進行のおかげで、様々な無茶、無理難題を乗り越えさせていただいております。その多くが現在もタイムシフトでご覧いただけますので、今回の太田記念美術館さんの放送とあわせて、お楽しみいただけましたらばと思います。」

橋本麻里さん(ライター・エディター/公益財団法人永青文庫副館長)

——これまで多くの「ニコニコ美術館」の放送にご出演されていらっしゃいますが、今回はいかがでしたか?

橋本さん「今回の放送は、作品の鑑賞部分についても、展覧会のテーマ自体が、自然環境、また当時の社会状況や政策との関わりという、通常はあまり触れられない視点を提供するものでした。さらに具体的な制作プロセスも含めたプログラムとなったことで、視聴者を作品の立体的な理解へ導く、非常によい構成となったのではないでしょうか。」

——withコロナ時代において、橋本さんは「ニコニコ美術館」に、どのような可能性を感じていらっしゃいますか?

橋本さん「動画、VRなどさまざまなコンテンツが試みられていますが、それが『体験』といえるレベルに達するまでには、まだ時間が必要だと思われます。そんな中で、以前から存在する形態ではあるものの、視聴者同士、あるいは視聴者と出演者が、コメントを通じて複数方向でつながりながら展示を『体験』できる本コンテンツは、展覧会鑑賞という非日常の体験に近い、そして同時にまったく異なる経験を含むクオリティを提供できている、稀な事例ではないでしょうか。コロナ後の世界において、さらに豊かな可能性を有するものとして、今後の展開に期待しています。」

コロナ禍の不安な状況にあっても、新しい可能性に向かって挑戦し続ける皆さまの姿に、多くの方々が勇気づけられていると思います。このたびはお忙しい中、メールインタビューへのご回答ありがとうございました。

太田記念美術館のマスコット的存在となっている「虎子石」も登場。この謎の生き物(?)については太田記念美術館のnoteをご参照ください。
ニコニコ動画「浮世絵専門の太田記念美術館を巡り 葛飾北斎の作品を摺ってみる生放送 出演:橋本麻里【ニコニコ美術館】」より

協力・太田記念美術館、橋本麻里、ニコニコ美術館(敬称略)
文・松崎未來(ライター)