浮世絵に見るヒット作の要素:現代の匠の技で辿る 浮世絵の富士山③【PR】

浮世絵に見るヒット作の要素:現代の匠の技で辿る 浮世絵の富士山③【PR】

日本一の山、富士山は2013年「信仰の対象と芸術の源泉」として評価され、世界文化遺産に登録されました。登録から10年、本連載「現代の匠の技で辿る 浮世絵の富士山」は、伝統の技術で現代の職人が復刻した浮世絵版画を通じて、文化遺産・富士山の魅力を改めて眺めます。

なぜ富士山の浮世絵が人気に?

今や世界的名画となった浮世絵の傑作、葛飾北斎の「富嶽三十六景」。発売当時、人気を博して「三十六景」と言いながら最終的に46図まで刊行されました。これは多くの人が北斎の浮世絵を「買った」ということになります。当時、浮世絵は気軽に買える値段で街中で販売されていましたが、とは言え生活必需品ではありません。北斎の芸術性はもちろんですが、人々の所有欲を刺激したものはなんだったのでしょうか。

葛飾北斎の「富嶽三十六景」より。左上より時計回りに「尾州不二見原」「凱風快晴」「駿州江尻」「神奈川沖浪裏」 *いずれもアダチ版復刻(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

その一つが、世界遺産の登録にも大きく関わった「信仰の対象」としての富士山です。江戸時代、富士山を崇拝する人々は「講」と呼ばれるグループを組んで、白い装束に身を包み、富士登山をしました。江戸時代後期には、市中に何百という数の富士講が存在したと言います。また各地に「富士塚」と呼ばれる富士山を模した塚を築いて、実際の富士山を登る代わりに、この塚に参詣しました。

富士講の登山の様子を描いている。葛飾北斎「富嶽三十六景 諸人登山」*アダチ版復刻浮世絵(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

つまり当時の人々にとって、北斎の「富嶽三十六景」は、単に美しい絵画というだけではなく「ご利益がありそう」な浮世絵でもあったわけです。ここで北斎や版元(現在の出版社)のセンスを感じるのは、そうした富士山の霊験を「富嶽三十六景」では表立っては商材化していない点でしょう。浮世絵版画の中には、魔除けや護符としての側面の強い作品も多数ありますが、「富嶽三十六景」の主眼は、あくまで壮麗な富士の威容を描くことに置かれています。

葛飾北斎の「富嶽三十六景」より。左上より時計回りに「東海道程ケ谷」「東海道吉田」「礫川雪ノ旦」「五百らかん寺さざゐどう」*いずれもアダチ版復刻(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

そして結果として「富嶽三十六景」は、人々の生活の中に根付いた信仰心の中に、自然に溶け込んでいきました。こうした社会的背景を探っていくと、浮世絵の歴史はさらに面白く、そして出版の企画や絵師・版元の思惑に興味がわいてきます。

ヒット作を支える3要素

さて、これは某出版社で働く先輩の受け売りなのですが、ヒット作というものは、三つのポイントを押さえていると言います。曰く、普遍性、時事性、独自性。これは商業印刷であった浮世絵にも当てはまると思います。一つ一つ見ていきましょう。

まずは普遍性。つまり万人受けする要素です。多くの人が価値を認めるもの、あるいは多くの人が抱える問題を扱っていること。わかりやすい例では、家族の絆、大自然の美しさ、動物の愛らしさ、あるいは老いや死といったテーマです。より多くの人が共感を覚える題材を扱っていれば、地域や時代を越えて愛される作品となります。

次に時事性。一見、前項と矛盾しかねない要素ですが、その時代と社会における作品の意義、立ち位置が明確であること。最新の技術・知識を取り入れていたり、深刻化する社会問題に切り込んでいたり、時代の空気を反映することで、作品は影響力を持ちます。そして後の時代の人は、そこに見られる現代との類似や差異、それに対する当時の反響から、色々なことを考えることができます。

そして最後が独自性。これも普遍性と相反する要素であり、この要素の塩梅(あんばい)が、一番難しいかも知れません。普遍性・時事性の二つが揃うと「流行」や「現象」が生まれ、似たようなものが世の中に溢れてきます。その中で、どれだけ唯一無二の存在でいられるか。誰もが思い浮かぶようなことをしていては話題になりませんし、あまりに突飛なことをすると、人はついてきません。

これを踏まえて北斎の「富嶽三十六景」を見てみましょう。

普遍性=信仰の対象であり、美しい自然の象徴である「富士山」というテーマ。
時事性=旧来の日本の絵の具にはなかった鮮やかな青の発色を実現した輸入画材「ベロ藍」の使用。
独自性=版本の挿絵など、モノクロの線画で人気だった浮世絵師「葛飾北斎」を錦絵で起用。

見事に、ヒット作の要素が三拍子揃っています。

西村永寿堂、与八の決断

「富嶽三十六景」を出版したのは、西村永寿堂という版元で、当主は与八と言いました。この出版企画すべてを与八が考えたかはわかりません。北斎からの提案もあったでしょうし、おそらく多くの人と協議したでしょう。ただ一つ確かなことは、富士山を題材にした風景画36図のシリーズ展開という出版企画に対し、予算と人材を投じる最終的な判断を下したのは、与八だということです。

北斎の代表作「冨嶽三十六景」の作品の中にこっそり描かれている西村永寿堂の名前やマーク(山形に三つ巴)。葛飾北斎「冨嶽三十六景」より「本所立川」「東海道金谷ノ不二」*いずれもアダチ版復刻浮世絵(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

富士講が流行しているとはいえ、美人画や役者絵に比べれば、富士山の絵を錦絵(多色摺の木版画)でシリーズ化して売ることは、それなりの賭けだったと思います。「富嶽三十六景」は数年をかけて順次刊行されました。途中「打ち切り」の文字が頭を過ぎった瞬間もあったかも知れません。前回のコラムで触れた「藍摺絵」からの路線変更には、まさに版元としての逡巡が垣間見れます。

ヒット作の三つの要素「普遍性」「時事性」「独自性」。三つをバランスよく揃えるのはとても難しいです。では、その三要素を繋ぎ止めるものは何なのでしょうか。それは結局、つくり手のチャレンジ精神と不断の努力なのかも知れません。

現代の匠の技で辿る 浮世絵の富士山③

アダチ版復刻 葛飾北斎「富嶽三十六景 諸人登山」

「富嶽三十六景」でさまざまな場所から眺めた富士山の姿を描いた北斎。その中で、この図は眺める対象としてではなく、登る対象としての富士山を描いています。ある意味で、北斎(と版元や職人たち)のあくなき挑戦とひとつの到達点を象徴するような作品ではないでしょうか。新しいことにチャレンジする方、人生の節目を迎えた方に贈りたい作品です。

[価 格]絵のみ 14,300円(税込)/専用額付 27,500円(税込)
[画寸法]25.2 × 38.6 cm
[用 紙]越前生漉奉書
[購入方法]アダチ版画研究所 目白ショールーム、およびオンラインストアより

文・松崎未來(ライター)