【インタビュー:映画「HOKUSAI」美術監督・相馬直樹】等身大の北斎に出会う

【インタビュー:映画「HOKUSAI」美術監督・相馬直樹】等身大の北斎に出会う

江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎を主人公にした映画「HOKUSAI」が5月28日に公開されました。当時、庶民の身近な娯楽であり、大きな影響力を持っていた浮世絵は、まさに現代の映画やテレビに近いとも言えるのではないでしょうか。映画、ドラマ、CM、PVなど幅広い映像作品の美術を手がけ、同作の美術監督を務めた相馬直樹さんに、映画「HOKUSAI」の美術や、北斎の作品や人物についてお話をうかがいました。

相馬直樹(そうま・なおき)美術監督 

1964年生まれ。東宝特撮美術で美術助手を経験した後、池谷仙克氏に師事。CM、映画、ミュージックビデオなどの映像美術を多数手掛ける。主な作品に、『海猿 ウミザル』(04)、『20世紀少年』シリーズ(08〜09)、『はやぶさ/HAYABUSA』(11)、『天空の蜂』(15)、『窮鼠はチーズの夢を見る』(20)など。

広告のビジュアル表現に通じる北斎の浮世絵

——浮世絵は今でこそ芸術品として扱われていますが、当時は庶民の身近な娯楽でした。映画や広告の美術と近しい部分もあるのではないでしょうか。

「ええ、そう思います。今回映画『HOKUSAI』の美術を担当するにあたって、改めて北斎の作品を見てみたんですが、エンターテイメントとしての要素が非常に大きいと感じました。北斎の作品って、見る人が『おっ』と思う、心のフックに引っかかるようなユーモアが散りばめられていて、この点は、現代のコマーシャルのビジュアルに通じるものがあるように思います。

北斎の代表作「冨嶽三十六景」の作品の中には、版元(出版社)の西村永寿堂の宣伝がこっそり描かれている。材木置場の「西村」の文字と旅人の風呂敷の永寿堂のマーク(山形に三つ巴)。葛飾北斎「冨嶽三十六景」より「本所立川」「東海道金谷ノ不二」*いずれもアダチ版復刻浮世絵(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

それから、北斎は中国や西洋の絵画も含めて、いろんな流派の絵を勉強していますよね。次々に新しい手法を試していく北斎の姿勢には、個人的にすごく共感できました。もちろん北斎の場合、ひとつひとつの習熟度が高いんですが、だからと言って特定の作風に固執していない。こういうところは、現代的な芸術家のイメージとは、ちょっと違うのかも知れないな、と思います。」

——相馬さんは、北斎がどういう人物だったと思いますか。

「北斎は、自分の興味や関心をストレートに作品の中に描き出していますよね。取り繕(つくろ)うということが、まるで無い人。

広告の仕事は特に、自分の好きな世界観で作品を作り込める部分って、本当にわずかで……浮世絵も商業的な印刷物ですから、同じような状況があったろうと思うんです。そういう中で、自分の気持ちに素直に、やりたいことを貫くって難しいと思うんですが、北斎は自分の内にあるものを作品に投影できてる。もちろん、そういう風になれるまでに、北斎も相当苦労したんだと思います。」

自分一人では完成しない表現がある

——職業柄、北斎に親近感を感じられたりは?

「自分なんかが北斎に対して親近感を抱いている、なんて言ったら恐れ多いんですけれど……実は僕、若い頃は絵描きになりたかったんですよ。19歳の時に何にも分からないまま北海道から上京してきて、最初のうちは何をやっても上手くいかなくて、まるで認められなくて……。」

——北斎が浮世絵師の勝川春章に弟子入りしたのと同じ歳ですね。

「その頃に、師匠(美術監督の故・池谷仙克さん)に出会ったんです。こういう形で美術に関われる職業があること、自分一人では完成できない美術の表現があるんだっていうことを、そこで初めて知りました。

映画美術の仕事は、まず最初にデザイン画を起こすところから。相馬さんが描いた老年期の北斎の家のイメージ図。(提供:相馬直樹)

浮世絵版画も、ちょっと似ていますよね。絵師が下絵を描いて、彫師が板を彫って、摺師が和紙に摺って……いくつものプロセスを経て、何人もの人が関わって。複数の要素が合致しないと一つの作品が出来上がらない。」

——映画でも、青年期の北斎ははじめ一人で苦悩していますが、徐々に人々との出会いを通じて変わっていきますね。

映画の中では、彫師・摺師が北斎の代表作「冨嶽三十六景」を制作するシーンも登場する。(©2020 HOKUSAI MOVIE)

「お前の赤を考えてみろ」

——師の池谷さんは映画「写楽」(篠田正浩監督/1993年)の美術監督を務められていますが、同作の製作陣の中に、美術助手として若き日の相馬さんのお名前もあります。

「はい。あの映画では、吉原遊廓と日本橋の街並みが出てくるんですが、そのオープンセットの製作に関して、非常に責任あるポジションを任されました。当時僕はまだ20代半ばで、時代物なんて全然分からなかった。いろんな場所に足を運んで、資料に目を通して、現地(広島)入りしてからは地元の大工さんたちとやり取りして……あのとき、無茶苦茶勉強しました。

蔦屋重三郎の店「耕書堂」のセット。27年前に美術助手として制作した寛政期の江戸の街並みを、美術監督として再び手がける。(©2020 HOKUSAI MOVIE)

しかも師匠は、既存の時代劇のオープンセットの真似ではダメだというんです。例えば吉原の格子の赤色についても『お前の赤を考えてみろ』なんて言われて。絵具を混ぜて100種類くらいの赤色をつくって、試し塗りした中から選びました。最後に師匠からも『うん、よくやった』と言われたときは、本当に嬉しかったですね。」

「20代半ばで、あれだけのことを任せてもらえて自信に繋がりました。大変だったけれど、楽しかったです」

——なんだか相馬さんの青春が、今回の映画の青年期の北斎に重なるかのようです。現代のクリエイターの方々がぶつかる壁に、北斎も同じようにぶち当たっていたんだろうな、という気がしてきました。師匠や先輩に叱咤激励されながら、少しずつ経験を積み重ねて、周囲の信頼を得ながら、乗り越えてきたんでしょうね。

「いやいや、もうこの辺の話はカットしてくださいね(笑)。ただ、映画『写楽』の後ずっと、こうした時代物の作品に関わる機会がなかったんです。だから今回の『HOKUSAI』のお話をいただいた時は、すごく嬉しかった。『写楽』以来の自分の経験を、ここで全部吐き出そうって思いました。

相馬さんが描いた蔦屋重三郎の部屋のデザイン画。史料に基づく外観に対して、室内空間は大胆な配色に。(提供:相馬直樹)

浮世絵師を主人公にした映画の美術に再び関わることになって、当時はあんまりピンと来なかった浮世絵の良さも、今なら分かる部分もあるんですよね。北斎の作品は、自分の年齢や経験とともに、見るたびに新たな発見や感動があって、それが本当にすごいと思います。」

北斎の心情を写し出す画室

——今回、特に美術で興味深かったのが、青年期と老年期の北斎の住居の対比です。

「北斎の住居は、生活の場であると同時に制作の場でもあります。つまり絵師の画室ですから、そこに北斎の心情を映し出すようにしました。これは美術チームと装飾チームの共同の仕事になりますが、時に意見を闘わせながらも、みんなで話し合いイメージを揉んでいきました。

青年期の北斎が暮らす長屋の一室。小さな室内に、北斎の焦燥感と孤独が充ちている。(©2020 HOKUSAI MOVIE)

北斎は生涯に93回も引っ越しをしていて、その理由は掃除が苦手で、部屋が汚くなるたびに引っ越していたのだ、と伝えられています。でも僕は、北斎の度重なる転居を、自分の中の創作への想いが飽和してしまった際に、新しい画風へ切り替える契機だった、という風に解釈しました。つまり転居をするたびに、少しずつ彼の中で気持ちが整理されて、余分なものが削ぎ落とされて、表現の幅が広がっていくんです。

北斎の作品を見ていても、若い頃の作品は、器用貧乏というか、あれもこれもと手を出して、もがいてる感じが伝わってくるんです。僕は晩年の作品の方が好きで、中でも「冨嶽三十六景」の「赤富士(凱風快晴)」が一番好きです。この作品、もう究極に削ぎ落とされていますよね。教科書やお茶漬けのカードですっかり見慣れたつもりでいましたけど、今回改めてじっくり見てみたら、構図は単純明快なのに、懐深くて全然見飽きない。上手い言葉が出てこないんですけれど、もう、ただ『北斎、すげえ』としか(笑)。

葛飾北斎「冨嶽三十六景 凱風快晴」*アダチ版復刻浮世絵(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

だから青年期の北斎が暮らす江戸の長屋の部屋は、狭くてよく分からない物で溢れ返っていますが、次第に部屋は広くなりながら、物は整理されていくようにしました。そして田中泯さん演じる老年期の北斎は、人里離れた場所にある空き家を見つけて住み着いた、というイメージです。ちょうど小川が流れていて、周辺が映り込まない場所が見つかったので、そこを利用して。」

老年期の北斎が暮らす家のセット。林に囲まれ、家の前には小川が流れる。(©2020 HOKUSAI MOVIE)

——え! あの茅葺き屋根の家は、映画のために建てたんですか!?

「はい、そうなんです。エイジングの技術で古民家のように見せていますが。何も無いところから全部作りました」

老年期の北斎の家の内部のデザイン画。(提供:相馬直樹)

歌麿の部屋のアイディアはヨーロッパの街で

——古民家を利用したかと思うようなリアルなセットとは対照的に、北斎が歌麿に出会う遊郭の部屋は、とても自由な発想でつくられていたように思います。あの斬新な部屋のアイディアはどこから来ているのでしょうか。

「映画『HOKUSAI』の撮影に入る前、他の仕事も重なって、ちょっと煮詰まってしまっていたんです。それで一週間ほど北欧と東欧を巡りました。北斎は世界的に評価されていますから、一度、国外の視点を自分の中に取り込みたい、という気持ちもありまして。歌麿の部屋のアイディアは、この旅先で、たまたま足を運んだ二つの飲食店の内装から生まれました。

相馬さんがヨーロッパ旅行で訪れた飲食店の内装。(提供:相馬直樹)

一軒目が内装全面ピンクのカフェ。入った瞬間、目にブワッと色が飛び込んでくるような効果があるのに、その空間に入ってしまうと妙に落ち着くんです。ピンクって、こんな風に使えるのか、と。二軒目は壁面と天井の境がアールになって繋がっているレストラン。壁に描かれた装飾がずっとそのまま天井まで繋がっているのを見て、これを映画美術でやってみたいと思いました。

北斎が歌麿と出会う吉原遊廓の一室の制作風景。歌麿の創作の場は、妖艶なピンクの空間に二羽の白い孔雀が遊ぶ。(提供:相馬直樹)

そうして生まれたのが、あの歌麿の部屋なんです。壁や襖の色は、オペラに近いピンクをベースに、赤や朱を混ぜて。そこに、パール調の白で、巨大な二羽の孔雀を天井まで続くように描きました。調度品や料理なども含めて、あの部屋全体が、芸術の根源にあるエロスをテーマにしています。橋本監督も気に入ってくれて、撮影チームがカメラをぐるっと回転させる方法で、天井まで写してくれました。」

「僕、それまであんまりピンクが好きじゃ無かったんですけど、歌麿の部屋を作ってから、ピンクが好きになりました。ほら、腕時計もピンクにしたんですよ(笑)」

役者の気持ちを切り替える装置としての美術

——あの歌麿の部屋のシーンは、ストーリーの上でも重要ですが、本当に一瞬で引き込まれますよね。

「そう言っていただけると嬉しいです。歌麿や蔦重って、あの時代の最先端を行っていた人たちで、北斎は彼らとの出会いによって、自分の視野がいかに狭かったかを思い知らされます。江戸時代の吉原にあんな内装は無かったと思いますが、当時の歌麿や蔦重の活躍を知らない映画の鑑賞者も『この二人、ただものではない!』ということを瞬時に飲み込める、そういう部屋を目指しました。

それと、この映画は海外の方もご覧になると思うので、日本文化の二面性のようなものを映像の中で見せたかった、というのもあります。いわゆる侘び寂びの枯淡な世界だけでなく、日本には、こういう艶やかで享楽的な大衆の文化もあるんだ、ということを。

イリュージョニスティックなセットによって、俳優も鑑賞者も作品世界に没入できる。(©2020 HOKUSAI MOVIE)

あと、僕が映画美術で一番大事にしているのは、役者さんたちの気持ちに作用する空間をつくること。この中に入る役者さんたちがどう感じてくれるか、ということを常に考えていて、そこに足を踏み入れた瞬間に、一種の違和感を感じるような、そういう空間づくりを大切にしています。」

蔦重の部屋の窓から眺める夜桜。藍色の壁には水流のような模様が浮かび上がる。(©2020 HOKUSAI MOVIE)

——蔦重役の阿部寛さんと歌麿役の玉木宏さんのしたり顔が、本当に板に付く空間で、相馬さんの狙い通りの効果が出ていると感じました。でも、せっかくのセットも撮影が終わったらバラしてしまうんですよね。そんな儚いところも、吉原らしいというか……。

「そうですね(笑)。僕たちの仕事は、映像に写らないと残らないんですよね。実は、ラストシーンのセットの壁には、照明が当たったときにキラキラ光るように、雲母の粉を混ぜ込んでいたんです。でも、撮影の途中で照明がスポット照明に変更になってしまったので、映像としては残りませんでした……。まあ、きっと北斎にだって、日の目を見なかった作品はあると思うんですよね。」

映画のラストシーンのセット壁面のテクスチャとデザイン画。残念ながら映像には写らず。(提供:相馬直樹)

——相馬さんのお話をうかがって、多くの方々の努力と創意工夫によって一つの映画作品が完成しているということを改めて実感しました。同時に、江戸時代の浮世絵師が身近に感じられて、等身大の北斎像に一歩近づけたように思います。最後に、映画の公開を楽しみにされている方々にメッセージをお願いします。

「はい。ぜひ映画館にお越しください。できれば、2回。1回目は、映画のストーリーを楽しんでいただいて、2回目は、映画の美術をじっくり見てください!(笑)」

映画情報

[タイトル]HOKUSAI
[監 督]橋本一
[企画・脚本]河原れん
[出 演]
柳楽優弥 ⽥中泯
⽟⽊宏 瀧本美織 津⽥寛治 ⻘⽊崇⾼
辻本祐樹 浦上晟周 芋⽣悠 河原れん 城桧吏
(※「辻」は一点しんにょう)
永⼭瑛太/阿部寛

[公 開]2021年5月28日
[配 給]S・D・P
[公式サイト]https://www.hokusai2020.com/index_ja.html   

協力・S・D・P
文&撮影・松崎未來(ライター)