江戸のヒットメーカーに学ぶ人生の極意 車浮代『蔦重の教え』文庫版

江戸のヒットメーカーに学ぶ人生の極意 車浮代『蔦重の教え』文庫版

時代小説家・車浮代さんの小説『蔦重の教え』の文庫版が、2021年3月に双葉社より刊行されました。タイトルの「蔦重(つたじゅう)」とは、江戸時代の版元(現在の出版社)・蔦屋重三郎の通称。「浮世絵の黄金期」と呼ばれる時代に、歌麿や写楽といったスター絵師を発掘し、数々のヒット作を世に送り出した浮世絵界のキーパーソンです。そんな蔦重から、人生の極意を学ぶ「実用エンタメ小説」を「北斎今昔」編集部がレビュー。今回「北斎今昔」編集長が文庫版の巻末解説を執筆させていただいたご縁から、読者プレゼントも実施します!(応募方法は記事の最後に)

高橋克彦先生もびっくり! 蔦重の評伝として超一級

まず『蔦重の教え』のあらすじを簡単にご説明しましょう。主人公は、広告代理店に勤務するメタボな55歳のサラリーマン・武村竹男(タケ)。長年勤めた職場で進退を問われ、やけっぱちになった彼は、お稲荷さんの罰が当たって、18世紀の江戸にタイムスリップしてしまいます。

右も左もわからない彼の面倒を見てくれることになったのは、新進気鋭の版元・蔦屋重三郎と、ブレイク前夜の浮世絵師・喜多川歌麿。主人公は、若い身体と真っ新な環境の中で、蔦重の処世術に学びながら、かつての自分を省みつつ、第二の人生に向かって歩み始めます。

蔦屋から出版された歌麿の錦絵。
喜多川歌麿(左)「青楼十二時 卯ノ刻」(右)「当時三美人」*いずれもアダチ版復刻浮世絵(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

そう、物語の設定は、いま漫画を中心に流行っている、いわゆる「転生モノ」なんです。(単行本の刊行は2014年ですから、『蔦重の教え』が流行を先取りしていたということになりますね。)しかし、フィクションと侮るなかれ。これには、文庫版の帯にコメントを寄せられた、『写楽殺人事件』や『だましゑ歌麿』でおなじみの小説家・高橋克彦先生も愛のあるツッコミを入れています。

「私には驚嘆の勿体なさ。江戸の天才アイデマン蔦重の評伝として超一級ばかりか、江戸の風俗、江戸人の感性まで驚くほど明解に伝わってくる。なのになぜSFなのだろう。評伝・研究書としてそのまま通用する深さだ。どうやら車さん、一筋縄ではいかない鬼才のようだ。面白さこそを選択したに違いない。そしてそれは正しかった、と読後に感じた。」

車浮代『蔦重の教え』(双葉文庫)書影

高橋先生がおっしゃっているように、本作は、蔦重と歌麿の公私に渡る人間関係や、写楽の登場の経緯、蔦屋の店先での出版・販売の業務などが、丁寧かつ自然に描かれており、なぜ蔦重(あるいは歌麿)を主人公にした時代小説にしなかったんだろう、と首をかしげたくなるほど、史実を踏まえた内容なのです。

けれども小説を最後まで読むと、車さんが本作を通じて読者に届けたかったメッセージがはっきりとわかり、また歌麿の美人画の大ヒットや写楽のデビューの前日譚という時代設定にも納得がゆくかと思います。

浮世絵が教えてくれる「三方向から見る目」

歌麿と写楽の二大スターを世に送り出した功績から、華やかなプロデューサー職のイメージが強い蔦屋重三郎ですが、その実、彼の経営は誠にもって堅実でした。彼の出版界での成功は、日々の地道な努力に因るもの。特に、生まれ育った吉原遊郭、自身の店「耕書堂」、そして数多の絵師・戯作者らのブランディングという点において、彼はきめ細やかな気配りと労苦を一切惜しみませんでした。

小説の中では、飄々としながらも、仕事熱心で、鋭い洞察力でズバリと核心を突く人物として描かれています。双葉社が文庫刊行にあたって付けたコピー「上司にしたい男No.1」はまさに言い得て妙。

浮世絵ファンはもちろん、ぜひビジネスマンに読んでいただきたい小説。

作中では、回想も含めて主人公の失態がたびたび描かれますが、それについて主人公が、ときに蔦重や歌麿のアドバイスを受けながら、自分の言動を省みるのも「実用エンタメ小説」と銘打たれた本作のひとつの特徴でしょう。主人公の失態は、私たちの日常で起こりうるようなものばかりで、それらは決定的な何かをしたことよりも、些細な何か(確認や配慮)を怠ったことによって起きているように思います。

そしてほとんどの場合、それは客観的な視点を持てていれば、回避できたようなことばかりです。私たちの日々の失敗の要因とは、概ね想像力の欠如なのではないでしょうか。

『蔦重の教え』の蔦重は、そういう意味で、非常に想像力が豊かな人物です。(おそらく実際の蔦屋重三郎もそうであったと思います。)曰く「実際にてめえが見ている目と、相手からてめえがどう映っているかってえ目、最後に、天から全部を見通す鳥の目だ。この三方から物事を見りゃあ、失敗しないし、騙されねえし、新しい考えも湧くってもんだ」。

こうした彼の思慮が、やがては歌麿とのすれ違いにも繋がっていくのですが、この天からの視点は、現代の私たちに最も必要なものかもしれません。そして突然未来からやってきた主人公もまた、蔦重にとっては、ある種の天からの視点なのです。

文庫版の扉絵に使用された広重の浮世絵。
歌川広重「名所江戸百景 深川洲崎十万坪」*アダチ版復刻浮世絵(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

こうした思考のトレーニングを、車さんが物語の中に難なく織り込んでいるのは、ご自身の経験はもちろんのこと、江戸の文化に対する造詣の深さにも起因するのではないかと思います。たとえば浮世絵を数多く鑑賞していると、画面に描かれていないものを想像する習慣がつきます。美人は何に振り向いたのか、両手で握る手紙には何が書かれているのか、見上げた空に月は出ているのか……。

蔦屋から出版された歌麿の錦絵。
喜多川歌麿(左)「婦人相学十躰 浮気之相」(右)「婦女人相十品 文読む美人」*いずれもアダチ版復刻浮世絵(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

直接的に表現しない、あえて全部を表現しない、そうした文学や芸能の余白の中、歴史の隙間に想像をめぐらすことで、自分の目以外の目を養うことができます。本書のタイムスリップという設定は、さらに他者の時間軸で物事を考えるきっかけを与えてくれます。

楽しく読めて知識が深まる、江戸文化の福袋のような小説

と、こうして紹介すると、自己啓発カラーの強い小説かと思われてしまいますが、あくまでも「エンタメ小説」です。エロもグルメも詰め込んだ、江戸文化の福袋のような小説です。また会話中心で物語が進行し、比較的さらりと読めてしまいますので、気軽に手に取っていただければと思います。

そして「北斎今昔」編集部のオススメポイントは、やはり江戸の出版のプロセスが物語の中で描かれていること。どうやって浮世絵が制作され、商品として流通するかを知ることができますよ。そしてネタバレになってしまうので、あまり詳しくは書けませんが、物語の終盤では浮世絵の復刻版についても触れられています。(扉絵には、当媒体の運営会社であるアダチ版画研究所の職人が復刻した広重の浮世絵の画像を使用いただいています。)

強いて本作の難点を挙げるとすれば、冴えないサラリーマンであったはずの主人公が、くずし字を勉強し、台所に立ち、あまりに意欲的かつ速やかに江戸の生活に順応してしまうのに、読者がやや気後れしてしまう点くらいでしょうか……。いやでもきっと、本作を読めば、何かに挑戦しようという意欲が湧いてくることと思います!

書籍情報

[書籍名]蔦重の教え
[著 者]車浮代
[出版社]双葉社(双葉文庫)
[価 格]781円(税込)
[ISBN]978-4-575-52455-0
[購入方法]全国の書店、Amazon(アマゾン)楽天ブックス、ほか

著者プロフィール
車浮代(くるま・うきよ)時代小説家、江戸料理・文化研究家・セイコーエプソンのグラフィックデザイナーを経て、故・新藤兼人監督に師事しシナリオを学ぶ。主な著書に『春画入門』(文春新書)、『落語怪談 えんま寄席』(実業之日本社)、近著に『免疫力を高める最強の浅漬け』(マキノ出版)、『天涯の海 酢屋三代の物語』(潮出版社)、『歌麿春画で江戸かなを学ぶ』(中央公論新社)など。国際浮世絵学会会員。

アンケートに答えて『蔦重の教え』をゲット!

このたび双葉社のご厚意により、「北斎今昔」の読者の皆さまを対象としたプレゼント企画を実施いたします。アンケートにお答えいただいた方の中から抽選で3名様に、車浮代『蔦重の教え』文庫版をプレゼント! 一度読んだことがある方も、まだ読んでいない方も、ふるってご応募ください。

「北斎今昔」読者プレゼント
*賞品*
車浮代『蔦重の教え』文庫版
・・・3名様
*応募方法*
下記URLのアンケートフォームよりアンケートに回答。
https://forms.gle/arxBkyMsMwTw8ZiZ6 (受付は終了しました)

実施期間:2021年4月22日〜29日
抽 選 日:2021年4月30日(予定)

当選者の発表は賞品の発送をもってかえさせていただきます。(当選者へはメールにて当選のご連絡をいたします。賞品の送付先は、その際にうかがいますので、アンケートフォームへの個人情報の記載はお控えください。また、ご回答いただいた内容は、株式会社双葉社 文庫編集部とも共有いたします。)

文・「北斎今昔」編集部