違いがわかると浮世絵はもっと面白い! 特別展「北斎」で肉筆画と版画を見比べてみよう

違いがわかると浮世絵はもっと面白い! 特別展「北斎」で肉筆画と版画を見比べてみよう

浮世絵には大きく分けると、絵師直筆の一点物である「肉筆浮世絵」と、絵師が描いた版下絵をもとに量産された「浮世絵版画」の2種類があります。「肉筆浮世絵」と「浮世絵版画」では作品成立の経緯が異なるため、同じ絵師の作品でも作品の見どころが少し違ってきます。二つの違いを知って、浮世絵の魅力をさらに深掘りしてみませんか? 今春、九州国立博物館で開催される特別展「北斎」の出品作を中心に「肉筆浮世絵」と「浮世絵版画」の違いを解説します。

同じ北斎の作品なのに雰囲気が違う!? 「肉筆浮世絵」と「浮世絵版画」って?

今日私たちが「浮世絵」と聞いてまず思い浮かべる北斎の大波や赤富士は、厳密には「浮世絵版画」に分類されるものです。これは、北斎が描いた版画用の下絵(版下絵)をもとに、彫師(ほりし)・摺師(すりし)と呼ばれる職人たちが木版画で制作したもの。版画なので同じ図柄を量産できました。これに対して、絵師直筆の一点物を「肉筆浮世絵」と呼びます。今春の特別展「北斎」には、北斎の「肉筆浮世絵」と「浮世絵版画」双方の名品が集結します。

今回は、この両者の違いを、絵師のクリエイティビティから気になるお金のことまで、下記の6つのポイントで比較しながら解説します。記事の最後にまとめの表もご用意したので、忙しい方はページ下部まで一気にスクロールください。(展覧会情報も記事末尾に。)
1. 絵師の創作の自由度
2. 絵師に問われる画力
3. 絵師への画料(報酬)
4. 希少性
5. 影響力・認知度
6. ロマン

<Point1>絵師の創作の自由度

「浮世絵版画」は基本的に、量産して販売することを前提に制作される商業出版(※)です。版元(はんもと)が出版を企画し、絵師・彫師・摺師を揃えて浮世絵を出版します。作品づくりにおいて最も重視されるのは「たくさん売れるか」という点。
※「浮世絵版画」の中でも、私家版(自費出版)のものを「摺物(すりもの)」と呼んで区別しています。

そのため絵師がどんなに独創的な作品を描いても、売れる見込みがなければ出版されません。また費用や時間がかかる手の込んだ作品も敬遠されました。さらに時代によって下絵の段階で当局の検閲が入ったので、決して絵師の創意がそのまま作品に反映されるわけではありませんでした。

対して「肉筆浮世絵」は、ほとんどがプライベートな目的で制作されたオーダーメイド品です。依頼主の要望はあっても「浮世絵版画」ほどの事細かな制約はありません。絵師は比較的自由に作品を描くことができました。

ただし、自由度が高いことが絵師にとって良いことだとは一概に言い切れません。チームワークで生まれる緊張感が作品に作用したり、客観的で的確なディレクションが入ることで洗練される表現もあるからです。

<Point2>絵師に問われる画力

「肉筆浮世絵」の線描・彩色は、言うまでもなく絵師本人によるものです。作品にはストレートに絵師の画力が表れます。力強い運筆や繊細な着彩など、作品からは絵師個人の描画の特性について多くの情報を得ることができるでしょう。

一方「浮世絵版画」は、絵師・彫師・摺師の共同制作。作品の出来栄えは、絵師の画力だけでなく彫師・摺師の技量に左右されました。ですから「肉筆浮世絵」で本領を発揮する絵師もいれば、「浮世絵版画」の連携の中で成功を収めている絵師もいます。

現代の職人による版画制作風景。(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

北斎については「肉筆浮世絵」と「浮世絵版画」それぞれの表現の特性を理解し、双方に傑作をのこしています。皆さんがよく知る「赤富士」こと「凱風快晴」は、まさに「浮世絵版画」の技法と効果を最大限に活かした名品。北斎は「肉筆浮世絵」でも富士山の姿をたびたび描いていますが、このような大胆で潔い配色は「浮世絵版画」だからこその試みだったと言って良いでしょう。

葛飾北斎「冨嶽三十六景 凱風快晴」大阪・和泉市久保惣記念美術館

ちなみに北斎は絵師になる以前、彫師の修行を積んでいた時期があり、木版画の制作にはかなりの思い入れがあったようです。彫師宛に「自分が描いた版下絵の線を忠実に彫って欲しい(歌川派風の線にしないで欲しい)」といった内容の手紙を書いていたというエピソードが伝わっています。

<Point3>絵師への画料(報酬)

北斎や同時代に活躍した広重は膨大な数の「浮世絵版画」を世に送り出しました。が、彼らは生涯を通じて決して経済的に余裕のある生活をしていませんでした。つまり北斎や広重といった人気絵師であっても、基本的に「版下絵」に対する画料は安かったということになります。

弟子の英泉が描いた北斎の肖像画。
渓斎英泉「為一翁」『戯作者考補遺』より(引用元:国立国会図書館デジタルコレクション

庶民の娯楽である「浮世絵版画」の販売価格が安価だったことから考えても、絵師に対してそこまで高額な画料は支払われなかったでしょう。絵師たちは生計を立てるため仕事数をこなすことで、無駄を削ぎ落としながらインパクトのある表現のセオリーを確立していったのです。

「肉筆浮世絵」の画料については、ケース・バイ・ケースでした。絵師が返礼品や贈答品として描いたプライスレスな作品もあったでしょう。ただし「浮世絵版画」の版下絵が出版の過程で使用される(板に貼り付けて彫ってしまう)モノクロ原稿なのに対し、「肉筆浮世絵」はそれ自体を掛け軸などに仕立てて鑑賞するアートピースです。(当時の日本人にアートという概念はありませんでしたが。)概して、絵師が描く「一枚の絵」に対する画料の相場は、「浮世絵版画」より「肉筆浮世絵」の方が高くなりました。

 葛飾北斎【長野県宝】「龍図(東町祭屋台天井絵)」長野・小布施町東町自治会

北斎は晩年「浮世絵版画」の仕事を離れ「肉筆浮世絵」の制作に専念します。版元からあれこれ口を出されることなく、自分が納得ゆくまで画技のすべてを詰め込める「肉筆浮世絵」の制作の方が、北斎の性には合っていたのでしょう。何より『北斎漫画』や「冨嶽三十六景」といった出版物によって全国域にファンを獲得したことで、活動の主軸を「肉筆浮世絵」に移すことができたのだと思われます。

80代の北斎の「肉筆浮世絵」の傑作は、長野県の小布施に。北斎は門人・高井鴻山がいた同地で祭屋台の天井絵を制作しています。江戸の人気絵師の筆で彩られた祭屋台を小布施の人々は誇らしく思ったでしょうし、北斎もまた祭礼のための栄えある仕事に腕を鳴らしたのではないでしょうか。

<Point4>希少性

一点物の「肉筆浮世絵」と大量生産された「浮世絵版画」。希少性という点においては、なんと言ってもオンリーワンの「肉筆浮世絵」に軍配が上がります。「肉筆浮世絵」は公開の機会が少なく、知る人ぞ知る名品が多いと言って良いでしょう。美術館や博物館に収蔵されたものも、作品保護の観点から長期間継続的に展示されることは滅多にありません。展覧会の会場での「肉筆浮世絵」との出会いは一期一会と心得て、ぜひ絵師の筆遣いを眼に焼き付けてください。

葛飾北斎【重要文化財】「日新除魔図(宮本家本)」九州国立博物館(坂本五郎氏寄贈)

なお、今回の特別展「北斎」では、北斎が日課として描いていた獅子の図「日新除魔図(宮本家本)」の全作が初公開されます。分類としては「肉筆浮世絵」になりますが、北斎が個人的に描きためていた、いわゆるスケッチのような小品群です。北斎はのちに、これをまとめて信州松本藩の武士であった宮本慎助に贈りました。つまり当時からごく限られた人の目にしか触れることのないまま、大切に保管されてきた作品です。「肉筆浮世絵」の醍醐味は、こうした絵師の息遣いまで感じるような秘蔵の名品が多い点にあると言えるでしょう。

しかしながら、摺師が一枚一枚和紙に摺る「浮世絵版画」も、機械によるコピーとはまた違う個々の表情を持っています。有名作ほど「知ってる」「見たことある」と見過ごさず、手摺りの版画の味わいをじっくり鑑賞してみてくださいね。

<Point5>影響力・認知度

影響力や認知度という点では、商品として広く流通した「浮世絵版画」が「肉筆浮世絵」に優ります。当時、北斎の人気作は数千枚という規模で制作・販売されたと考えられています。代表作「冨嶽三十六景」は人気のあまり、シリーズタイトルが「三十六景」にもかかわらず全46図出版されました。各図数千枚単位で制作されたということは、まさに江戸のミリオンセラー。テレビなどのマスメディアがなかった時代ですから、人々への影響力は図り知れません。

葛飾北斎「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」大阪・和泉市久保惣記念美術館

そして浮世絵版画の持ち運びやすさも、イメージの拡散に重要な役割を果たします。全国各地から江戸にやってきた人々は、浮世絵を江戸土産に持ち帰りました。さらに幕末の開国後、浮世絵は他の物産品とともに海を渡り、西欧の人々を驚かせます。写真が普及する以前の19世紀、世界中で最もシェアされたカラーの図像は、北斎の「浮世絵版画」だったかもしれません。世界各国のコレクターの作品が美術館や博物館に収蔵されたことで、北斎の知名度はさらに上がり、今日まで評価され続けることとなりました。

<Point6>ロマン

九州国立博物館で開催中の特別展「北斎」には、全国から北斎の「肉筆浮世絵」と「浮世絵版画」の双方の名作が集結しています。一人の絵師の肉筆・版画両方の仕事を見ることができる絶好の機会。最後に「肉筆浮世絵」と「浮世絵版画」それぞれ、ロマンを感じるポイントを挙げてみましょう。

 葛飾北斎【長野県宝】「鳳凰図(東町祭屋台天井絵)」長野・小布施町東町自治会

「肉筆浮世絵」は、なんと言っても絵師本人が直に触れていた希少な作品だということ。自分の目の前にある作品が、世界の偉人に名を連ねる天才・北斎の手によるものだという感慨はひとしおです。また「肉筆浮世絵」は、絵師の個性や交友関係を垣間見ることのできる作品が多く、絵師の人物像に想いを馳せることも可能でしょう。

「浮世絵版画」は、まさに職人技の結晶。江戸の大衆文化の粋が詰まっています。制作当時の社会的・経済的背景を知ることでより作品の理解が深まり、浮世絵を知るほどに、現代の日本文化の基盤となった歴史や習俗が見えてきます。「浮世絵版画」は、名もなき人々の手から手へ何代にも渡り受け継がれてきた歴史のバトン。見るたびに新たな発見があるでしょう。

「肉筆浮世絵」と「浮世絵版画」。九州国立博物館の特別展「北斎」で、ぜひ双方の名作に胸をときめかせてくださいね。

「北斎今昔」式 肉筆浮世絵・浮世絵版画 比較表
  肉筆浮世絵 浮世絵版画
1. 絵師の創作の自由度 依頼品の場合、依頼主の要望に応える必要はあるが、自由度は高い。報酬が高額であれば、その分高価な画材を使ったり、時間をかけて制作できる。 基本的に版元が指定する画題や内容を描く。版画制作のコストと納期を念頭に作画しなければならない。「たくさん売れるか」が最優先事項になるため、版元から修正を要求されたり、ボツになることもある。
2. 絵師の画力 絵師本人の画力がそのまま作品に表れる。 彫師・摺師の技量に左右されるところも大きい。ときに原画以上の傑作が生まれることも!?
3. 絵師への画料(報酬) ケース・バイ・ケース。 画題や納期により異なるが、総じて安い。
4. 希少性 高い。制作当時から大切に保管されてきたものが多い。 同じ図柄が複数現存する。ただし庶民の安価な娯楽だったため、そもそも人々に保管する意識がなく、現存例が極めて少ない作品もある。
5. 影響力・認知度 私的な場で賞翫されてきたものが多く、知る人ぞ知る作品が多い。 市場に流通する商品であったため、当初から大きな影響力を持っていた。幕末の開国以降、海外に広く紹介され、今や世界中の美術館・博物館に浮世絵が収蔵されている。結果、世界的な評価を確立。
6. ロマン 絵師本人が直に触れていたファン垂涎の一品。絵師の性格や交友関係を知ることのできる情報が豊富。 職人技の結晶、江戸の大衆文化の粋が詰まっている。制作当時の社会的・経済的背景を知ることでより理解が深まる。


 

展覧会情報

特別展 北斎
会 期:2022年4月16日~6月12日
    会期中展示替えを行います。
    [前期] 4月16日〜5月15日 [後期] 5月17日〜6月12日
時 間:日・火〜木曜日 09:30〜17:00(※入館は閉館の30分前まで)
    金・土曜日 09:30〜20:00(※入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜日(5月2日は開館)
会 場:九州国立博物館(福岡県太宰府市石坂4-7-2)
観覧料:一般 1,800円/高大生 1,000円/小中生 600円
お問合せ:050-5542-8600(ハローダイヤル)
公式サイト:https://www.kyuhaku.jp/exhibition/exhibition_s64.html

協力・西日本新聞社