北斎のお茶目なビジネスレターを読んでみた!

北斎のお茶目なビジネスレターを読んでみた!

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浮世絵版画は、絵師・彫師・摺師の協業によって完成します。天才・葛飾北斎もまた、版元から仕事の依頼を受け、当時の彫師・摺師たちとともにひとつの作品を作り上げていました。北斎の没後、1893年に刊行された『葛飾北斎伝』には、北斎が版元(書店)や職人たちに宛てた手紙のいくつかが紹介されています。要は江戸時代のビジネスレターなのですが、北斎の手紙はイラスト入りだったり、芝居のセリフのような言い回しが入っていたりとユニークです。編集部が北斎の手紙の現代語訳を試みました!

※『葛飾北斎伝』で紹介されている北斎の手紙は、大意はわかるものの、一部具体的に何を指しているのかわからない箇所などがあります。本稿の現代語訳は、一部筆者の推測を交え、前後の文章がつながるよう言葉を補足したりしています。『葛飾北斎伝』は国立国会図書館東京都江戸東京博物館のウェブサイトで読むことができ、また岩波書店からも鈴木重三氏校注の文庫本(電子書籍もあり)が出ています。この記事で興味を持った方は、ぜひ原本を読んでみてください。

北斎のご指名! 信頼していた彫師・留吉

まずご紹介するのは、北斎が版元に宛てた手紙です。そこには、北斎の絵の版木を彫る彫師について、北斎の希望が書かれています。また、何か紆余曲折があったのか、浮世絵師である娘の応為に発注された仕事を、自分が引き受ける旨のことも書かれています。文中には、現在の絵文字のように、北斎が絵を描いています。ここでは、現代の絵文字でそれを再現してみました。早速、読んでみましょう。

旅行中のため、なかなか手紙を書けずにおりましたが、この一通にどうにかまとめました。どうぞお三方でご回覧いただければ幸いです。この老ぼれの願い事を、どうかお聞き入れいただければと存じます。
貴店、またご家族の皆々様におかれましては、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。この老ぼれも変わりなく、日々画技を磨き精進しております。百歳を迎えます頃には、絵描きの一人にも数えられるようにと思っており、その際には書面ではなく直にお目にかかって申し上げたいと存じます。

前北斎こと画狂老人 乞食坊主 卍九拝  

日本橋二丁目 小林嵩山房様
十軒店 英万笈閣様
麹町三丁目 角丸屋衆星閣様

一、武者尽くしの絵本の件、私の贔屓ということではございませんが、どうかお三方でご相談いただき、版木の彫りは、浅草馬道聖蔵院内の江川留吉殿へ依頼いただきたく存じます。江川殿への工賃については、皆様と江川殿で直接取り決めてください。どうか江川殿へ依頼くださいますようお願い申し上げます。
と申しますのも、『北斎漫画』や『唐詩選画本』など、いずれも良い彫りではございましたが、胴彫り、頭等(※1)、不揃いの箇所がございました。『富嶽百景』の本は、初編から三編まで、彫は1ページたりとも見落とし等がございませんでしたので、このように書いております。この老ぼれも、江川殿に彫っていただけるのであれば、さらに張合いが出るというもの。格別に精を出して取り組む所存でございます。その上、本の出来が良ければ、第一に皆様のお店のためになり、売れ行きが良ければ、何よりも💰、多くの利益が出るものと存じます。これにつきまして、よくよく皆様でご相談いただき、私のこの提案をお聞き入れください。
このように申し上げましたが、江川殿から斡旋料を取るようなことは、この老ぼれにおいては決してございません。ただただ、仕上がりをキッパリとしたいばかりでして、老い先短い老人に、慈悲をかけるものと思っていただければ幸いです。

右や左の書店様〜(※2)、絵描きには大それた望みでございますが、どうか後生でございます。

一、『釈迦御一代記』の版木の彫りは、嵩山房様より江川へ依頼しようかと考えていらっしゃるとうかがいました。それであれば、そのつもりで描く所存でおります。天竺では頭はことごとく🌀🌀でございますので、頭彫りはいっそう難しく、胴彫りも色々と難しければ、何卒何卒、江川へ彫りをお任せいただきますようお願い申し上げます。また、写本の受け渡しや催促なども、江川とやりとりしていただきたく、お願い申し上げます。
一、英様はいつぞやお越しになられた折、武者尽くしをご注文のときかと存じますが、「これからは仕事の手は空けさせない」とおっしゃられました。そのときのことをよくよく覚えておりますので、ちょっと申し上げたいことがございます。
一、新百人一首の本の絵を娘にご注文いただいておりましたが、少々やりとりもございましたので、新百人一首は、この老ぼれが描かせていただきます。ですので、武者尽くしの次に、すぐに取り掛かります。画料については、人物一人につきいくら、というように計算したく思います。これもまた江川へご相談いただきたく存じます。当面この老ぼれの住まいが定まりません間は、先に記しましたようにご対応いただきたく、これにつきましても、くれぐれもよろしくお願い申し上げます。

天保六年二月中旬 卍翁

書店の皆様方

(※1)版木の彫りは、一枚の板の中でも、彫りの難易度によって分業することがある。もっとも難しいのは人物の顔や頭髪の表現で、頭部を彫る彫師(およびその該当箇所)を「頭彫(かしらぼり)」、それ以外の胴体(着物の模様などが中心)を彫る彫師(およびその該当箇所)を「胴彫」などと呼んだ。(※2)口上の際によく用いられる「右や左の旦那様〜」をもじっている。

まず、北斎が彫師の江川留吉の技術を高く評価している、ということが分かります。また北斎にとって、江川留吉は親しい間柄だったのでしょう。版元とのやりとりの窓口まで江川に頼んでいるようです。

そして、この手紙を書いた天保6年は、北斎は数え年76歳。すでに「富嶽三十六景」で大成功をおさめ、『富嶽百景』も刊行したあとで、北斎は浮世絵界の大御所でした。にもかかわらず、自らを「老人」「乞食坊主」と称し、もはや慇懃無礼かというほど、馬鹿丁寧な手紙を書いています。これは、北斎なりの相手方への気遣いだったのではないでしょうか。当時おそらく仕事相手は大半が自分より年下の状態であり、なるべく高圧的にならないように冗談めかして、自分の要望を茶目っけたっぷりに伝えようとしています。

葛飾北斎「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」アダチ版復刻浮世絵(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

ただし北斎はそこで、親しみやすい好々爺になりたかったわけでもないようです。江川を窓口として、「100歳を過ぎたら、直接お目にかかって申し上げます」などと書いているあたり、極力版元たちと直接会わずに仕事をしたいと考えているようです。北斎が転居を繰り返したことは有名ですが、もしかしたら、わずらわしい仕事の依頼や原稿の催促から逃げたかったのかも知れませんね。

流行の顔立ち「私はいやいや」

また『葛飾北斎伝』には、彫師に対して、図入りで彫り方の細かい注文をつけた手紙が紹介されています。勝川春章に弟子入りする以前の十代半ば、北斎は彫師のもとで修業した経験がありました。違いのわかる男・北斎、版木の彫りの細部にまで口出しせずにはいられなかったのでしょう。

杉田様へ申し上げます。

人物の件
目は
下目縁(まぶち)なしに彫ってください。職人方は、小刀の先にて下目縁(まぶち)を付けること、まっぴらご容赦くださいますよう。

鼻は
この二例のように彫ってください。

職人方がよくご承知の鼻は、歌川風の
これらは、画法から外れたものでして、
私の絵に対しては、このようにならないよう
と彫ってください。
この類は確かに流行っておりますが、私はいやいや。

恐縮ですので、旅行中の所在は記しません。

天竺浪人 画狂老人卍翁

日本橋二丁目 嵩山房のお店の皆々様


正直なところ、あまりに微妙な差異なのですが、わざわざこうやって比較までして説明しているのは、やはり、そうした絵師ごとの特徴を理解できずに彫る彫師が多かったことを逆説的に証明しています。このちょっとした違いを理解してもらえるかどうかは、北斎にはとても重要だったようです。

流行りの歌川風の目鼻立ちに対する「私はいやいや」というコメントは原文ママです。自身の所在は明らかにせず、流浪人と名乗って手紙を締め括っており、クレームの手紙のような印象を与えないように配慮しています。ちょっと可愛い、画狂老人のイヤイヤですね。

しじみ汁と納豆汁でたとえる、摺りの違い

北斎が注文をつけたのは、彫師だけではありません。摺師に対しても、摺り方のアドバイスをした手紙が伝えられています。ユニークなたとえを持ち出して、丁寧に自分のイメージを伝えています。

口上

[西小・林文(※3)]
お二方へ申し上げます。薄墨の部分は、筆で描きましたので、ぼかしが主で良い感じになっておりますが、実際に木版でつくるとなりますと、墨摺師の仕事ですから、最初の200枚くらいは丁寧に仕上がりを確認できましょうが、それ以降はそうもいきません。ですので、ふきぼかし(※4)の箇所は一通り無しとしまして、ただ墨の色合いのところについてだけ申し上げます。

[薄墨]
これは薄い方がきれいで、濃いとまったく見苦しいです。しじみ汁と薄墨は、できる限り、できる限り薄くするよう、職人にお伝えください。

[中墨]
これはあまり薄いと、絵が引き立ちません。もちろん摺り上がりを一通り校正させていただきますが、何はさておき、納豆汁と中墨は、濃い方が良いです。

両方とも汁物でたとえさせていただきました。口出しが多くて、がらがらした [閻魔大王の笏の絵] 親父ですが、ただ按配よくやりたいばかりでございます。 敬白

加減の違った涼しい土用 通二丁目へご披露ください。

(※3)摺師の名前を略称で記している。(※4)版画でグラデーションを表現する際、布を用いて版木上の水分量を調整することから、その技法を「拭きぼかし」と呼ぶ。

おそらく上記は、版本の摺りに対する注文かと思います。一見モノクロの挿絵でも、木版の場合は墨の濃淡を分けて2版、3版と摺り重ねて表現します。「薄墨」の部分をしじみ汁、「中墨」の部分を納豆汁にたとえ、薄墨の摺りに、北斎が透明感を求めていることが分かります。

ここでも北斎は、文中の最後に閻魔大王の笏のイラストを入れて、自分のことを口うるさい年寄りのように書いています。煙たがられている自覚はあるけれど、ひとこと物申さずにはいられない。そんな北斎の性格が垣間見えます。

おそらく長年仕事をする中で、協業者との摩擦も多かったと思いますが、妥協をせず良い物をつくりたい、という思いが北斎は人一倍強かったのではないでしょうか。そして、このこだわりと熱意こそが、数々の名作を生み出したと言えるでしょう。

文・「北斎今昔」編集部