トーハク「国宝展」で見る文化財の今昔 あんなに有名な北斎も写楽も国宝じゃないの!?

トーハク「国宝展」で見る文化財の今昔 あんなに有名な北斎も写楽も国宝じゃないの!?

今年創立150周年を迎えた上野の東京国立博物館(通称:トーハク)で、10月18日より特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」が始まりました。約2ヶ月の会期中に、同館が所蔵する国宝89件をすべて公開するという史上初のトーハク国宝オールスターズ展。博物館の総力を上げた特別展に「北斎今昔」編集部がお邪魔しました。

人気や知名度は関係ない!? 浮世絵に国宝なし

浮世絵に詳しい方は「浮世絵ポータルサイトが、なぜ国宝展のレポートを?」と思われたかも知れません。そうなんです、2022年現在、実は浮世絵は一点も国宝には指定されていないんです。モナリザに次いで有名と言われる、あの北斎のグレートウェーブも国宝ではないんですよね。知名度が高くても国宝にはならないようですが、そもそも国宝ってなんでしょう?

「国宝展」の会場に展示されている葛飾北斎「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」と歌川広重「月に雁」。誰もが知るこれらの名画、実は国宝ではない。

国宝とは「重要文化財のうち世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝たるもの」(文化財保護法第27条)とされています。重要文化財の中でもさらに「たぐい(類)ない」、つまり唯一無二のものであることが、国宝指定の条件の一つ。江戸時代に商品として量産された浮世絵版画にとっては、なかなか厳しいハードルです。浮世絵には絵師が直接筆で描いた一点ものの肉筆画もありますが、こちらの中にも現在のところ国宝指定のものはありません。

「国宝展」の会場入口。6台のモニタに流れる映像には国宝の数々が。でも浮世絵は出てこない。

さて前置きが長くなりましたが、開催中の「国宝 東京国立博物館のすべて」展に展示されているのは、国宝だけではありません。展覧会の会場は二部構成になっていて、すべての展示品が国宝という贅沢な第一部の展示室の後には、さまざまな作品や資料を通じて博物館の150年の歩みを紹介する第二部が続きます。この第二部の展示室に、東京国立博物館が所蔵する浮世絵の名品が展示されているんです。

どの作品も佇まいに品があると言えば良いのか、ガラス越しにも厳かな雰囲気が伝わってくる。鎌倉時代の漆工「片輪車螺鈿手箱」(国宝)。

展覧会第一部の展示室に入ると、右を向いても左を向いても進んでも戻っても、ぜんぶ国宝という奇跡のような鑑賞体験が始まります。古墳時代の埴輪から、平安時代の書跡に鎌倉時代の刀剣、安土桃山時代の屏風に江戸時代の漆工……これだけの幅広い時代とジャンルの国宝を一度機に目にすると、感動だけではなく、今までなんとなく有り難く拝んでいた「国宝」に、いろんな興味や疑問がわいてきます。「なぜこの作品が他のものより優れていると評価されているんだろう」「どうして数百年前につくられたものが、こんなにきれいな状態で残っているんだろう」

狩野長信「花下遊楽図屏風」(国宝)。阿国歌舞伎の様子が描かれているなど、浮世絵のルーツとも言える江戸時代の風俗図。関東大震災で被災し一部が失われたが、昭和28年に国宝に指定された。

会場にある多くの国宝が、おそらく制作当初から価値あるものと見なされ、時代が移り変わりゆく中でも多くの人々の手で大切に守られてきたはずです。これって実はすごく稀少で尊いことではないでしょうか。天災などはもちろんですが、その価値を理解できない人、適切な保管の仕方を知らない人の手に渡れば、現存しなかった可能性もあったでしょう。展覧会の第二部では、文化財を守り伝えていくことの意義や、その使命を果たしている博物館の活動と歴史が紹介されます。

歴史の教科書に載っていたような名前が次々に出てくる書跡の展示エリア。写真は「群書治要 巻二十二」(国宝)。

浮世絵の名品ずらり「松方コレクション」って?

1872(明治5)年に湯島聖堂で開催された博覧会を機に発足し、今年創立150年を迎える東京国立博物館は、約12万件という膨大な所蔵品を有しています。そして今回の展覧会の会期を通じて展示される全89件の国宝は、日本の国宝指定のおよそ一割に相当します。そんな質量共に日本最高水準の東京国立博物館のコレクションの中には、日本屈指の浮世絵コレクションもあります。

「国宝展」第二部会場に設けられた「松方コレクション浮世絵版画」のコーナー。

現在、東京国立博物館が所蔵する浮世絵群の核となっているのは、川崎造船所の初代社長・松方幸次郎(1866-1950)が蒐集した「松方コレクション」。松方幸次郎は、ヨーロッパで数多くの美術品を蒐集し、日本での美術館建設を構想していました。そして松方が美術品を蒐集していた20世紀の前半は、多くの浮世絵の名品がヨーロッパに流出していました。松方は西欧の名画の購入とあわせて日本の浮世絵も買い集め、これを日本に送ったのです。すでにジャポニスムの熱狂も冷めたヨーロッパで、この時に松方が浮世絵を購入していなければ、多くの浮世絵の名品は散逸し、戦禍の中で消えていたかも知れません。

松方はパリの宝石商アンリ・ヴェヴェールの浮世絵コレクションをまとめて購入した。東洲斎写楽「大谷鬼次の江戸兵衛」(左)の画面右下には「H.V」のマークが。
喜多川歌麿「婦人相學十躰 浮気之相」(中)、石川豊信「初代尾上菊五郎と初代佐野川市松の二人虚無僧」(右)

松方の手により日本に里帰りした浮世絵は、1922年に東京で、さらに1925年に京都で開催された展覧会で公開され、選りすぐりの100点を掲載した画集も刊行されました。ところがその後、川崎造船所は経営破綻に陥り、松方の美術館開館の夢は潰えることに。松方幸次郎の美術コレクションは十五銀行の担保物件となり、一部は売却されてしまいます。しかし幸いにも約8,200点の浮世絵版画は、のちに一括して帝室へ献納され、1944年に東京帝室博物館(現・東京国立博物館)の所蔵となりました。

また第二次大戦中にフランス政府に接収された西洋美術のコレクションの多くも、戦後日本に寄贈返還され、1959年に国立西洋美術館が開館します。こうして「松方コレクション」は、上野の杜に建つ博物館と美術館それぞれで、現在も保存・公開されているのです。

浮世絵史を概観するような、各時代の代表作が揃った「松方コレクション」の浮世絵版画。

今回の「国宝展」では「松方コレクション」の浮世絵が、会期前半(10/18〜11/13)に8点、後半(11/15〜12/11)に8点展示されます。写楽、歌麿、北斎、広重、と浮世絵史のベスト・オブ・ベストと言って過言でない名品が並び、16点のうち4点が重文指定の逸品です。(浮世絵版画の国宝第一号は、この中のどれかかも!?)国宝ですでにお腹いっぱいなのに、さらにこんな別腹デザートまで用意しちゃうトーハクさん、150年の歴史は伊達ではありません。「松方コレクション」の流転の歴史を知ると、会場一角のコーナー展示ながら感慨もひとしおです。

私の知らない150年前、私のいない150年後を想う

東京国立博物館の創立年である1872年は、まだ広重や国芳の弟子たちが絵師として活躍していた時代です。明治時代を迎えても浮世絵はマスメディアとして大きな役割を担っていました。当時、湯島聖堂で開催された博覧会、そして1877年、81年に上野公園で開催された内国勧業博覧会の様子をよく伝えているのも、浮世絵です。(第2回内国勧業博覧会の会場となった建物が、博物館の旧本館です。)

第二部の展示室には、このように博物館草創期の姿を伝える資料として複数の浮世絵が展示されています。当時の浮世絵師たちは、自分たちの描いた博覧会の浮世絵が、まさか150年後まで保存され、「博物館」なる施設で展示されるとは思ってもみなかったでしょう。


湯島聖堂で開催された博覧会の目玉は、名古屋城からやってきた金の鯱(しゃちほこ)だった。(写真はレプリカ。)多くの浮世絵が博覧会の盛況を伝えている。

そんな、まだ江戸時代の名残を感じる時代に端を発し、博物館は所轄や名称を変えながら、少しずつコレクションを増やし現在のような姿に成長していきました。150年の間に多くの人が入れ替わり立ち替わり関わってきたと思いますが、博物館草創期から、その歴史をずっと見つめてきた浮世絵があります。それが、皆様よくご存知の菱川師宣の傑作「見返り美人図」。詳細は不明ながら、少なくとも1889年以前に博物館に収蔵されたことが分かっています。

上野移転前、内山下町(現在の千代田区内幸町)にあった博物館の扁額。

「見返り美人図」は、絹に描かれた一点ものの肉筆画です。その鮮やかな赤い着物の立ち姿は、およそ一世紀半の間、多くの人を魅了してきました。が、経年の劣化で表面の絵の具が少しずつ剥落したり、絹が傷んだりしてきています。そこで今年4月から東京国立博物館では「踊る埴輪&見返り美人 修理プロジェクト」をスタートし、広く一般に修復のための寄付金を募っています。そしてプロジェクトスタートから半年経たずに、目標額の1000万円を達成しました。それだけこの作品(と埴輪)が愛されているということですね。

(左)菱川師宣「見返り美人図」江戸時代・17世紀(出展:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/))
(右)「踊る埴輪&見返り美人 修理プロジェクト」チラシ

目標額達成後も、東京国立博物館では引き続き寄付の募集を続けており、寄付金は文化財の保存に活用されます。興味を持った方は、ぜひプロジェクトのウェブサイトをのぞいてみてください。(館内にもプロジェクトの案内があります。)なお「見返り美人図」の修理期間は2023年秋から約一年を予定。お色直しした江戸美人に会えるのは2025年秋以降とのことなので、できればこの「国宝展」の会期中に会いに行ってくださいね。「見返り美人図」は写真撮影OKです!

プレス内覧会にて「国宝展」の見どころを語る佐藤室長。ご専門は刀剣・甲冑。短期間に89件の国宝すべてを公開するには、数年がかりのスケジュール調整が必要だったそう。

さて大ボリュームの「国宝展」を巡って、会場の最後で目にするのが「150年後もお待ちしております。」のコピー。おそらくこの「国宝展」の観覧者の中に、150年後にまた博物館を訪れることができる方は一人もいないでしょう。私たちが生まれる以前に誕生し、私たちがいなくなった後も続いていく博物館。そして人間の一生よりも、何倍も長い時間を生き続ける文化財。博物館創立メンバーが誰も目にすることのかなわなかった夢の「国宝展」を、いま私たちは観ることができます。果たして150年後の人々は、どんな展覧会を見るのでしょうか。願わくば、古の時代より我々に託された文化財を一つとして欠かすことなく、150年後の人々に色褪せない感動と共に届けたいものです。

「国宝展」のゴージャスな展覧会図録。創立150周年記念のカードの裏側には「150年後もお待ちしております。」のメッセージ。

と、会場の出口で目頭を熱くさせたところで、特設ミュージアムショップの商品の2割強が浮世絵グッズに占拠されている事実に、浮世絵ポータルサイトの編集部は、思わすほくそ笑まずにはいられませんでした。「国宝」のラベルがなくても、浮世絵は十分に日本国民の、いや世界の民の財産なのです。第二部の「松方コレクション」の浮世絵版画は一見の価値ありですし、「国宝展」の中で異彩を放つ「国宝ではないけれど世界的名画」浮世絵の特異性を、ぜひ会場で再認識していただければと思います。お時間のある方は、本館2階の浮世絵の展示室にもお立ち寄りくださいね。

「国宝展」階下の企画展示室で開催中(〜11/6)の「つたえる、つなぐ―博物館広報のあゆみ―」では、東京国立博物館所蔵の浮世絵が「日本の顔」として、空港の内装デザインやサインに使用された事例を紹介。やっぱり浮世絵は世界水準の日本の宝。
東京国立博物館創立150年記念
特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」

★事前予約制(日時指定)★ 
※好評のため現在チケット予約が取りづらくなっています。 
会 期:2022年10月18日(火)〜12月11日(日)
時 間:日・火・水・木曜日 09:30〜17:00
    金・土曜日 09:30〜20:00(総合文化展は17:00閉館)
休館日:月曜日
会 場:東京国立博物館(東京都台東区上野公園13-9)
観覧料:一般 2,000円/大学生 1,200円/高校生 900円/中学生以下 無料
お問合せ:050-5541-8600(ハローダイヤル)
公式サイト:https://tohaku150th.jp/

文・撮影 松崎未來(ライター)