いま見たい、この一枚! 〜丁應宗「玉蘭図(海の見える杜美術館)〜

いま見たい、この一枚! 〜丁應宗「玉蘭図(海の見える杜美術館)〜

徳川幕府による天下泰平の時代は、浮世絵をはじめ、日本独自の文化を数多く醸成しました。しかし鎖国下にあっても、海外からの情報や文物が完全に遮断されていた訳ではありません。浮世絵版画の成立、そして発展の歴史の中には、海外の文化の様々な影響が読み取れます。中でも、中国の国際都市であった蘇州を中心に制作された版画の影響関係が指摘されており、近年は国際的な研究も進んでいます。

現在、広島の海の見える杜美術館では、17-18世紀の蘇州版画を紹介する企画展「蘇州版画の光芒 国際都市に華ひらいた民衆芸術」(後期)が開催されています。同館学芸員・青木隆幸さんに、同展出品作の中から、日中の文化交流を物語る一枚をご紹介いただきました。

海の見える杜美術館 学芸員・青木隆幸(あおき・たかゆき)さん


専門は浮世絵・中国版画、近代日本画。 担当展覧会は、本展のほか、「生誕200年記念 広重」展(1996)、「竹内栖鳳とその門下生たち」展(2005)、「浮世絵 江戸人自らの心と姿を映した万華鏡」展(2007)、「引札 新年を寿ぐ吉祥のチラシ」展(2021)ほか。

中国の「蘇州版画」を知っていますか?

——現在開催中の企画展「蘇州版画の光芒 国際都市に華ひらいた民衆芸術」で紹介されている「蘇州版画」とはどのようなものですか? 展覧会では、日本の浮世絵も展示されているとうかがっています。展覧会の見所を教えてください。

蘇州は歴史ある街です。日本の弥生時代にあたるころには巨大な城壁も築かれ都市生活が始まっていました。明代には絵入の版本が数多く出版されていたことは誰もが知るところです。明代末期には絵を中心とした一枚摺りの多色摺版画も市中に出回っていましたが、残存する作品が少ないため、実見する機会は限られます。蘇州及びその近郊で制作された一枚摺を蘇州版画と呼びならわしています。

蘇州版画は日本の初期の浮世絵師たちが活躍する前から隆盛していました。多色摺りも空摺りにあたる技法も完成していて、描かれている素材は宗教画、物語絵、美人画ほか幅広いものですし、西洋の遠近法や陰影法、銅版画の技法の導入を試みるなど斬新な表現もありました。このたびの展覧会では、蘇州版画の全体像を感じていただけるよう様々なジャンルの作品を展示するとともに、浮世絵との関係性も考えていただけるよう、対照できる浮世絵も展示しています。

海の見える杜美術館 展示風景

展覧会の会場では、以下の8部に分けて、蘇州版画および時代や地域を超えて派生したと思われる版画を展示しています。

第1部 伝説・故事・物語を描く
第2部 神仏・聖人を描く
第3部 人物を描く
第4部 花鳥を描く
第5部 吉祥・文字を描く
第6部 風景・風俗を描く
第7部 中国版画の日本伝播
第8部 暦・門神・紙馬

それぞれの部で版画の豊かな趣をご堪能いただけることでしょう。前後期合わせて305点もありますので、会場がぎっしりと作品で埋まっています。これまで蘇州版画という言葉を聞いたことがあっても、実物は見たことがない、あるいは何十点もまとめてみたことがない、という方が大勢いらっしゃると思います。初めての出会いをお楽しみいただければと存じます。

蘇州版画が浮世絵に与えた影響

——「蘇州版画」の全貌に迫る展覧会ですね。展示作品の中で、青木さんがこれぞという作品を教えてください。

丁應宗の「玉蘭図」です。

丁應宗「玉蘭図」 雍正年間~乾隆年間初期 紙本 木版 多色刷空摺 海の見える杜美術館蔵

作者の丁應宗のことは未詳です。丁亮先と同一人物といわれることもありますし、キリスト教の洗礼を受けてティム・パウロの洗礼名をもつ丁允泰の一族の可能性を疑われたりしています。はっきりしていることは、雍正~乾隆初期に活動し、西洋の遠近法や陰影法を取り入れた大型版画やこのような花鳥画の制作を、非常に高いレベルで行っていたということです。

丁應宗「玉蘭図」(部分)雍正年間~乾隆年間初期 紙本 木版 多色刷空摺 海の見える杜美術館蔵

本作品も墨版に5色の色版、そして拭きぼかしや空摺に相当する技術を駆使しています。木蓮のふっくらと開いた白い花びらを、紙の白地に凹凸とわずかなグラデーションを添えて表現しているところなど、その繊細さに目を見張りますし、春信以前にこれだけの完成度の作品であることにも驚かされます。

——日本の錦絵(多色摺の浮世絵)に先行する海外の版画の研究が進むことで、さらに浮世絵の技術についても多くのことがわかってきそうですね。江戸時代の人々は、どのくらい中国の版画のことを知っていたのでしょうか?

こちらの3点の作品をご覧ください。左は中国版画、中央は日本で制作した複製版画、右は喜多川歌麿(二代)の浮世絵です。 

(左)「和合二仙」乾隆年間 クリスター・フォン・デア・ブルク蔵
(中・右)「和合二聖図」江戸時代、喜多川歌麿(二代)「和合神之図」安政5〜明治2年 ともに海の見える杜美術館蔵

江戸時代に和合神を祀ることが流行しました。斎藤月吟の『武江年表』には、和合神の流行は中国版画がきっかけであったことが記されています。わずかしか輸入されていない中国の版画だけではその旺盛な需要を満たすことができないため、日本で大量に複製をつくりました。和合神の複製をつくる場合には1点もたがえず全く同じに作ることが良しとされており、実際、ごらんのとおり一目見ただけではその違いを見分けることはできません。

このように完全に複製したものとは別に、中国版画を参考に創造した和合神があります。 二代喜多川歌麿が描いた作品です。福々しく丸みを帯びた体躯、漢画風の崖、霞たなびく月、おそらくは日本人の好みに合わせて再構成したのだと思います。間断のない構図や人体の動きに合わせて表情豊かにゆれなびく服装など、浮世絵師の力がいかんなく発揮され、霊験を求める信仰の対象というだけではなく、観賞する作品としての魅力が増しているのではないでしょうか。また中国版画は墨版に荒い手彩色を加えているのに対し、2色の墨版をずれなく摺り上げています。

なおこのような中国版画からの複製と創造という事例はほかにもありますが、いずれも、そっくりに複製した作品には画家の落款がなく、絵師の画風が顕著な作品には落款が添えられています。

——近年の国際的な調査・研究によって、こうしたことが明らかになっているわけですね。これから展覧会に足を運ばれる方に、メッセージをお願いします。

未知の作品と初めて出会う喜びもありますが、このたびの展示では専門的な比較ができる喜びにも挑戦しています。同じ図柄の作品でありながら、使用された版木の数が異なるもの、版木の彫が異なるもの、保存状態が異なるもの、着彩が異なるものなどをあえて並べているのです。

残念ながら展示では前期後期と別れている作品もありますが、図録ではすべて大きなカラー図版で比較掲載しています。また、図録には作品に記された文字を活字に起こしていますので、風俗や文学のテキスト資料としても価値あるものとなっています。ぜひ図録も手に取ってご覧いただければと思います。

——とても素敵なロケーションの美術館なので、この貴重な機会に、ぜひ多くの方に足を運んでいただきたいです。青木さん、ご紹介ありがとうございました。

展覧会情報

蘇州版画の光芒―国際都市に華ひらいた民衆芸術―
会 期:前期 2023年3月11日~5月6日
    後期 2023年6月3日〜8月13日
時 間:10:00〜17:00(※入館は閉館の30分前まで)
休館日:月曜日(ただし、7/13は開館)、7/14
会 場:海の見える杜美術館(広島県廿日市市大野亀ヶ岡10701)
観覧料:一般 1,000円/大高生 500円/中学生以下無料

お問合せ:0829-56-3221
公式サイト:https://www.umam.jp

寄稿・青木隆幸(海の見える杜美術館 学芸員)
協力・海の見える杜美術館