北斎が教えてくれる、描く喜び、見る楽しみ すみだ北斎美術館「ひらけ、絵手本!『北斎漫画』エトセトラ」展レポート
今年開館10周年を迎える、すみだ北斎美術館(東京都墨田区)で「開館10周年記念 ひらけ、絵手本!『北斎漫画』エトセトラ」展が始まりました。北斎が手がけた「絵手本」と、その影響を受けた作品を紹介する展覧会です。
北斎生誕の地に立つ、すみだ北斎美術館が10周年
江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎は1760年に江戸の「本所割下水」で生まれました。割下水の名の由来とされる堀割を埋め立てた道路が、現在、東京都江戸東京博物館から錦糸町駅北口の錦糸公園の南側を通る「北斎通り」となっています。
妹島和世設計。春には隣接する緑町公園に桜が咲く。
この北斎ゆかりの通りに面した緑町公園に隣接するかたちで、2016年に開館したのが墨田区の「すみだ北斎美術館」です。今年で10周年を迎え、3月22日には総入館者数150万人を突破しました。
同館では今年、10周年を記念してさまざまな企画展やイベントの開催を予定しています。そして10周年記念展の第一弾が、現在開催中の「ひらけ、絵手本!『北斎漫画』エトセトラ」です。早速、展覧会を見てみましょう。
北斎ファン待望の「絵手本」の刊行
葛飾北斎と言えば、あの大波や赤富士の絵を含む代表作「冨嶽三十六景」のシリーズを思い浮かべる方が多いでしょう。同シリーズが70代前半での刊行だったこともあってか、北斎は「長く世に認められず晩年に大成した絵師」というイメージを抱いている方が少なくないようです。
しかし実際には、北斎は40代の頃から、曲亭馬琴などの人気戯作者の本の挿絵を担当するなどして、着実にファンを増やしていました。弟子入りを望む人も多かったようです。
そんな北斎人気を裏付けるのが、50代から始まる「絵手本」類の刊行です。絵手本とは、その名の通り絵を描く人のためのお手本。絵を描く人がそれを模写して、技術の向上を図ることを目的としたものです。北斎の弟子、そして北斎に私淑した人々にとって、北斎の絵手本の出版は願ってもないことだったでしょう。
展覧会のメインビジュアルにも使用されている『略画早指南』前編。幾何学形態を組み合わせて、ものの形を把握している。
そして絵手本にはさまざまな用途があり、絵を描く人のみならず、幅広い読者層にアプローチできました。また、そんな絵手本の多目的な曖昧さこそ、北斎の自由な発想の絵手本類を数多く生み出す土壌だったとも言えます。
『画本早引』は、さまざまな画題をいろは順に並べた絵の事典。「や」の見開きには、「八岐大蛇」「鎗」「焼餅」など。
文化7(1810)年刊行の『己痴群夢多字画尽(おのがばかむらむだじえづくし)』を皮切りに、北斎は次々に絵手本の類を発表していきます。それらは単に北斎の画力を見せるだけでなく、着眼点の面白さ、誌面の構成力といった面で、現代の我々をも唸らせます。
北斎が考案した小紋の柄が描かれている『新形小紋帳』。展示室には、その小紋を再現した着物も展示されている。
『略画早指南』では、文字を書く要領で運筆を説明し、またコンパスや定規を用いてものの形態を説明しています。『一筆画譜』や『画本早引』では、シンプルな数本の線のみで、人々の仕草や状況を的確に伝えられることを証明しました。
定規やコンパス(ぶんまわし)を用いた設計図のような鐘の図。神社・仏閣の建築の描き方を示した『諸職絵本 新鄙形』。
また今回の会場では、実際に北斎の絵手本を活用した弟子たちの作品も多数紹介しています。現代では考えられないような、図柄ほぼ丸パクリの作品もあれば、よくぞこんな小さなモチーフを拾い集めてきたものだと感心するばかり(これを見つけた学芸員さんもすごい!)の再構築によって出来上がっている作品もあります。北斎の絵手本が、弟子たちにとっていかにバイブルであり、活用しやすかったかが、展覧会を通じてよく分かります。
北斎の弟子、魚屋北渓が描いた風景には、北斎の『画本早引』二編に描かれた人々が散りばめられている。
と〜っても長い『北斎漫画』刊行の歴史
そしてバラエティに富んだ北斎の絵手本の中で、世界的なベストセラーとなったのが『北斎漫画』でした。文化11(1814)年に刊行をスタートして続編をどんどん出版し、最終的に十五編まで続く一大シリーズとなりました。十五編の刊行は、北斎没後30年近くが経った、明治11(1878)年。現代の我々が見てもユニークで、北斎のバイタリティに圧倒されます。
製本前の『北斎漫画』のページ(1974年に摺られたもの)がずらりと並ぶ壁面。
大好評だった『北斎漫画』は各編増刷を重ね、摺りの違いなど複数のバリエーションが生まれました。会場では、奥付情報の相違などを比較できるよう、同じ巻の『北斎漫画』を複数並べたりもしています。
少しずつ異なる『北斎漫画』初編の奥付。大きな空白を持つ奥付(画像左上)は極めて稀少。
展覧会の第4章では、現在に至るまでの『北斎漫画』刊行の歴史を時系列で丁寧に紹介していきます。実は『北斎漫画』は、長い歳月の間に何度か版元が変わって(=版木が移動して)います。この変遷を、実物と解説パネルとで順を追ってたどることができました。
最初の刊行から14年後に版木を再刻した『北斎漫画』の初編。写真右が1814年の刊行、左が1828年の再刻。
明治44(1911)年には、京都の版元・芸艸堂(うんそうどう)が『北斎漫画』一式の版木を取得して、以降今日まで木版・和綴の本として刊行され続けています。(直近の摺りは2017年。)まさに時代を超えて語り継がれる名作です。
会場には、芸艸堂再摺の昭和49(1974)年版と平成20(2008)年版の『北斎漫画』それぞれ15編が展示されている。
また『北斎漫画』は19世紀後半に海外へ渡り、西欧の人々を驚かせました。日本からの輸入陶器の中に、緩衝材がわりに詰められていた『北斎漫画』が、ジャポニスムの火付け役となった逸話は有名です。以後、さまざまな芸術家たちが『北斎漫画』を参照したのですから、『北斎漫画』(海外では「ホクサイスケッチ」の通称)は国境を超えても「絵手本」としての役割を果たしたことになります。会場には北斎の絵手本の図柄をデザインに採用した海外の陶磁器などの作例も紹介されています。
描くって楽しい!
展示品の大半がモノトーンの本であるにもかかわらず、本展の会場にはある種のにぎにぎしさがあります。それはおそらく、北斎の描くことへの喜びが、作品から溢れ出て、会場に満ち満ちているから。誰にだって絵は描ける、物事の見方を少し変えるだけで可能性はグッと広がる。北斎の絵手本は、そう語りかけてくるようです。
モチーフのチョイスも独特。「くじら」と「わにざめ」と「あたりいか」が同じページに描かれている。
北斎がこれらの絵本類を通じて伝えたかったのは、絵を上手に描くテクニックというよりは、思考を柔軟にするヒントと、あらゆる人と絵画を楽しもうとするオープンマインドだったのではないでしょうか。「ひらけ、絵手本!」と題された本展は、きっと来場者の前に、楽しい絵画の世界の扉を開いてくれると思います。
だるまさんとにらめっこ。『北斎漫画』十二編のだるまの変顔。
展覧会情報
会 期:2026年3月17日(火)〜5月24日(日)
時 間:09:30~17:30(入館は閉館30分前まで)
休館日:月曜日(月曜が祝日または振替休日の場合はその翌平日)
※5月4日(月祝)は開館、5月7日(木)は休館。
会 場:すみだ北斎美術館(東京都墨田区亀沢2-7-2)
観覧料:一般 1,000円/高校生・大学生・65歳以上 700円/中学生・障がい者 300円/小学生以下 無料
お問合せ:03-6658-8936
公式サイト:https://hokusai-museum.jp/hirake/
文/撮影・松崎未來(ライター)
協力・すみだ北斎美術館
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