いま見たい、この一枚! 〜葛飾北斎「冨嶽三十六景 武州玉川」(すみだ北斎美術館)〜

いま見たい、この一枚! 〜葛飾北斎「冨嶽三十六景 武州玉川」(すみだ北斎美術館)〜

浮世絵師・葛飾北斎は、現在の東京都墨田区で生まれ育ちました。生涯に90回以上引っ越したと言われる北斎ですが、ほとんどこの地域を離れておらず、多くの名作が「すみだ」の町で生み出されました。そんな北斎ゆかりの地「すみだ」に建つすみだ北斎美術館は、二人の学者のコレクションを核とした多くの浮世絵を所蔵しています。同館では現在、企画展「学者の愛したコレクション ―ピーター・モースと楢﨑宗重―」が開催中。担当学芸員の千葉さんにお話をうかがいました。


すみだ北斎美術館 学芸員・千葉椎奈(ちば・しいな)さん
すみだ北斎美術館学芸員。専門は日本近世史。担当展覧会は本展のほか、「新収蔵品展 ―学芸員が選んだおすすめ50―」展(2020)。筑波大学卒業。

浮世絵の研究と収集に生涯をかけた、二人の学者

——企画展「学者の愛したコレクション ―ピーター・モースと楢﨑宗重―」の内容や見どころを教えてください。

本展では、当館所蔵のピーター・モースコレクション、楢﨑宗重コレクションから、稀少な北斎作品や、高名な絵師・画家たちによる様々な名品、約140点を展示しています。
当館は、北斎の研究者であり、世界有数の北斎作品コレクターでもあったピーター・モース氏と、浮世絵研究の第一人者であり、多種多様な貴重資料を収集した楢﨑宗重氏の二大コレクションを有しています。本展は両コレクションの貴重な作品から、両氏が生涯をかけて収集、研究した名品へのこだわりや研究業績について紹介する展覧会です。

公園の中に建つ妹島和世設計の美術館。近所の人たちの憩いの場となっている。(撮影:尾鷲陽介)

本展のみどころは、研究者の目で精査された、美術史的にも芸術的にも優れている名品を一挙に公開している点です。墨田区指定有形文化財に登録されている稀少な作品、極めて保存状態が良い作品も多数展示しています。
また、制作された頃の時代背景がうかがえる作品も多い点や、北斎の浮世絵作品以外の美術品も多数展示している点にも注目していただけましたら幸いです。

北斎が見つめた川面のゆらぎ

——資産家のコレクションが美術館に寄贈される、というケースは比較的多いですが、館蔵品の核となる2大コレクションの蒐集家が、共に学者であったというのが面白いですね。千葉さんおすすめの作品を教えてください。

葛飾北斎の「冨嶽三十六景 武州玉川」(前期展示)です。

葛飾北斎「冨嶽三十六景 武州玉川」すみだ北斎美術館蔵(前期)

本図には現在の東京都と神奈川県の間を流れる多摩川に浮かぶ一艘の舟と、たなびく霞の向こうに富士山を望む情景が描かれています。川面の波に注目すると、凹凸だけで表す空摺が鮮明に見られます。空摺は後摺では省略されることの多い手の混んだ技法です。現存する大半において、この図は版木の摩耗により空摺がはっきりしないものや、波形を藍色の線で摺った後摺となります。本作は初摺か初摺に極めて近いものであり、イギリスのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツで開催された、世界中から最良の摺りの北斎作品を集めた展覧会の図録の表紙に選ばれた質の高い作品です。

「冨嶽三十六景」シリーズは、各地から見える富士山をめぐる風景を紹介したシリーズです。シリーズ刊行の背景には、北斎の人気に加えて、当時富士講という山岳信仰が庶民の間で盛んになっていたことが挙げられます。富士講とは、富士山を信仰する庶民で組織された集団のことです。江戸時代後期には、「江戸八百八講、講中八万人」といわれるほどに盛行しました。注目を集めていた富士山について、場所、季節、天候、時間など、様々な要因で見え方が異なる点に着目した本シリーズは人気を博し、「三十六景」と銘打ちながら、最終的には全46図の出版となりました 

モースコレクションのみならず、楢﨑コレクションからも、貴重な作品を出品しています。

長沢蘆雪「洋風母子犬図」すみだ北斎美術館蔵(後期)

楢﨑コレクションの長沢蘆雪「洋風母子犬図」(後期展示)には母犬と乳を飲む子犬が描かれています。地色の暗灰色を油彩のキャンバスに見立てて、胡粉など日本の伝統的な画材を用いながら、顔料を厚く塗るなど、西洋の油彩画を意識して制作されています。こちらの2作品は、墨田区指定有形文化財に登録されています。

学者の視点を探りながら

——「北斎今昔」の読者の皆さまに、メッセージをお願いします。

本展で紹介しているピーター・モース氏、楢﨑宗重氏は、当館としても、北斎や浮世絵作品を知る上でも大切な学者たちです。
2人がどのような思いで、どのような作品を好んで収集し研究したのか、両氏のコレクションから各作品群の個性や両氏の研究者像について、また作品が描かれた頃の時代背景についてなど、あれこれ想像して見ていただけましたら幸いです。

——ご紹介いただいた二つの作品も、その成立の背景にある社会や前後の歴史を知ることで、よりその作品のオリジナリティが浮かび上がってきました。千葉さん、本日はありがとうございました。

展覧会情報

学者の愛したコレクション ―ピーター・モースと楢﨑宗重―
会 期:2021年10月12日(火)~12月5日(日) ※前後期で一部展示替あり
   【前期】10月12日(火)~11月7日(日)
   【後期】11月9日(火)~12月5日(日)
時 間:9:30〜17:30(※入館は閉館の30分前まで)
休室日:毎週月曜日
会 場:すみだ北斎美術館(東京都墨田区亀沢2-7-2)
観覧料:一般 1,000円/65歳以上・大高生 700円/障がい者の方・中学生 300円/小学生以下 無料
※観覧日当日に限り、AURORA(常設展示室)もご覧になれます。
お問合せ:03-6658-8936(代表)
公式サイト:https://hokusai-museum.jp/

寄稿・千葉椎奈(すみだ北斎美術館 美術館学芸員)
協力・すみだ北斎美術館