誰もが知る北斎の代表作、「富嶽三十六景」シリーズはこうして誕生した!

誰もが知る北斎の代表作、「富嶽三十六景」シリーズはこうして誕生した!

世界一有名な浮世絵師・葛飾北斎の絵といえば、「波の絵(波間の富士)」こと「神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)」と、「赤富士」こと「凱風快晴(がいふうかいせい)」の2図を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか? 浮世絵の代名詞ともいえるほどの知名度を持つこの「波」と「赤富士」が生み出されたのが、浮世絵風景画の代表的シリーズ「富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)」です。本記事では、そんな名作ぞろいの「富嶽三十六景」の誕生と、本作が江戸で大ヒットを飛ばした秘訣に迫ります!

「富嶽三十六景」とは?

「富嶽三十六景」は、富士山を各地のあらゆる角度から様々な表情で描きだした、全46図からなる錦絵(多色摺の木版画)です。天保初年ごろより、版元・西村永寿堂から出版されました。発表当時、北斎はすでに70歳を過ぎていました。晩年期の北斎が、その巧みな絵作りと成熟した描写力で描き出した個性的な富士は、いつまでも見飽きることがありません。

北斎の「冨嶽三十六景」。左上から時計回りに「尾州不二見原」「凱風快晴」「駿州江尻」「神奈川沖浪裏」。*いずれもアダチ版復刻(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

有名な「神奈川沖浪裏」と「凱風快晴」以外にも、フレームのような桶から富士山をのぞく「尾州不二見原(びしゅうふじみがはら)」や、目に見えない風が見事に描き出された「駿州江尻(すんしゅうえじり)」など名作ぞろいの「富嶽三十六景」。まさに、浮世絵風景画を代表するシリーズと言えるでしょう

「三十六景」なのに全46図!?

初め、題名の通り36図出版された「富嶽三十六景」は、江戸で爆発的大ヒットを飛ばし、人気の図柄は増刷に増刷を重ねました。この人気を見て、版元の西村永寿堂は10図を追加で出版。これにより「三十六景」を名乗りながら46図が存在するという、一見ちぐはぐな状況が生まれたのです。

輪郭線の版に藍を用いた36図と墨を用いた10図。タイトル部分の文字を見ると分かりやすい。
葛飾北斎「冨嶽三十六景」より「本所立川」「東都駿臺」部分図 *いずれもアダチ版復刻浮世絵(提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

当初の36図を「表富士」と呼ぶのに対し、追加の10図は「裏富士」と呼びます。先の36図は主版(輪郭線の版)の線に藍の絵具を用いていましたが、追加の10図は墨を用いているのが特徴。「三十六景」と題しながら、全46図からなるこの揃物は、当時の北斎の人気を物語っているのです。

*復刻版浮世絵で「富嶽三十六景」全46図をご紹介した週刊連載「北斎さんの富士山」(2020年10月30日〜2021年4月2日)もぜひご覧ください。総集編:北斎さんの富士山 〜復刻版で見る「富嶽三十六景」〜【PR】(「北斎今昔」編集部/2021.04.21)

大ヒットへの布石 「鮮やかな青」と「富士山」

実は「富嶽三十六景」の大ヒットは、北斎の人気だけによるものではありませんでした。出版を手がけた版元・西村永寿堂は、このシリーズに2つの江戸の流行を取り入れています。

1つ目は「鮮やかな青」。当時江戸では、海外から新しく入ってきた青色絵具「ベロ藍」が大流行していました。人々は透明感ある美しい青色「ベロ藍」の登場に熱狂し、この鮮明な青で摺られた浮世絵をこぞって買い求めたのです。

西村永寿堂はこの青に目を付けました。天保2(1831)年に刊行された、柳亭種彦作「正本製」巻末の「富嶽三十六景」の広告記事を見てみると、「冨嶽三十六景 前北斎為一翁画 藍摺一枚 一枚に一景づつ追々出板 此絵は富士の形ちのその所によりて異なる事を示す」とあります。

当初「藍摺絵」のシリーズとして刊行予定だった「冨嶽三十六景」の作品は藍の色が印象的。
葛飾北斎「冨嶽三十六景」より(左上から時計回りに)「相州七里ヶ濱」「甲州石班沢」「信州諏訪湖」「武陽佃嶌」*いずれもアダチ版復刻浮世絵(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

なんと「富嶽三十六景」は当初、藍色の濃淡だけで表現する「藍摺絵」のシリーズとして出版されていたのです。流行色を用いて人々を楽しませようとする意図があったのでしょう。

2つ目は「富士山」。当時、人々の間には、富士山に対する篤い信仰がありました。富士山に集団で参拝する「富士講」が盛んに行われ、富士山に見立てた築山「富士塚」が江戸の各地に造られました。信仰の対象である富士山を描いた浮世絵も、ありがたいものとして市井の人々に受け入れられたのでしょう。

当時の富士山信仰を物語る。
葛飾北斎「冨嶽三十六景 諸人登山」*アダチ版復刻浮世絵(提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

世界に名を馳せる「富嶽三十六景」は、北斎のずば抜けた作画力に加え、時流を的確にとらえた版元の戦略によって生まれ、出版当初から今なお愛され続ける名シリーズとなったのです。

文・「北斎今昔」編集部