浮世絵の技・What's that? 〜和紙②〜

浮世絵の技・What's that? 〜和紙②〜

18〜19世紀の日本で花開いた文化、浮世絵。今や世界中の美術館・博物館に美術品として収められているそれらは、かつて庶民が日常の中で気軽に楽しんだ出版物でした。下絵を描いたのは絵師の北斎や広重ですが、彫師(ほりし)・摺師(すりし)といった職人たちの手によって色彩豊かな木版画として量産され、広く流通したプロダクト。そしてこの木版印刷の技術は、今日まで途絶えることなく職人の手から手へと受け継がれています。連載企画「浮世絵の技・What's that?」は、現代の彫師・摺師の仕事場で、浮世絵の美を支えた職人の道具や浮世絵版画の材料等を取り上げ、ご紹介していきます。

浮世絵師に学ぶ、木版画の絵づくりテクニック

前回の記事の最後で、和紙特有の質感を活かした浮世絵をご紹介しました。今回は、現代の職人が制作した復刻版で、さらに詳しく見ていきます。

浮世絵は平面絵画ですが、厚みのある和紙の表面には版による凹凸が生まれます。実は浮世絵師たちは、この表面上のわずかな半立体までを巧みに画面の中に取り入れた絵づくりをしています。浮世絵版画は凸版印刷。版の凸部に墨や絵具をのせ、そこに和紙を置いて摺ります。つまり、線や色の部分は摺るときに圧力がかかるので和紙の中で少し沈み、線や色がついていない和紙の肌地そのままの部分がふっくらと盛り上がって見えることになります。

和紙が生み出す、まん丸なお月さま

実際に作品を見ていきましょう。まず和紙の白さを効果的に用いているのが、浮世絵の月の表現です。夜の情景を描いた浮世絵には、よく満月が描かれます。(半月や三日月に比べて、満月がダントツです。)

歌川広重「名所江戸百景 猿わか町夜の景」、「月に雁」 *いずれもアダチ版復刻(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

スマートフォンの絵文字では月は黄色で表現されていますが、浮世絵師たちの多くは月に色をつけず、和紙の肌地の白色をそのまま利用しました。広重の作品「名所江戸百景 猿わか町夜の景」と「月に雁」を見てみてください。藍色または鼠色の夜空には、白い満月が浮かんでいます。

広重の「月に雁」の復刻版。和紙の肌の白さを活かした満月は、より丸く見える。(画像提供:アダチ版画研究所)

このような満月を木版画で表現するとき、藍色または鼠色の空には摺りの圧力がかかり、月の形の部分だけ圧がかかりません。デジタル画像ではなかなかお伝えできないのですが、フラットになった色面の中で、圧がかかっていない和紙の白い部分はわずかに浮き出て見えます。これは作品の表面上の、本当に些細な段差がもたらす効果ですが、もちろん指で触れば表面の繊維の状態の違いが感じ取れます。

現代の職人が復刻した版木と。写真は空の部分を摺るための版。満月の円形は絵の具を載せないので凹部となる。

広重はこうした木版画の版の特性や素材の特徴を非常に巧妙に作品の中に取り込みます。ご紹介した2作品は、満月の輪郭線を引かずに背景の色彩とのコントラストで円形を際立たせているのもポイントです。芝居町の通りを歩く人々や空を飛ぶ鳥は、黒い輪郭線で描かれていますが、月には輪郭線がありませんね。

浮世絵版画の基本は、墨で輪郭線を摺り、その線からずれないように色の部分を摺り重ねていく。作品によって、輪郭線を書かず色版の境界を効果的に用いた表現もある。

浮世絵のエンボス加工&デボス加工

和紙の肌地をそのまま用いる表現は、白くてふっくらしたものを表現するのに最適です。白くてふっくらしたものと言えば、そう、雪です! ここでは広重と春信の作品を見てみましょう。

歌川広重「名所江戸百景 浅草金龍山」、鈴木春信「雪中相合傘」 *いずれもアダチ版復刻(画像提供:アダチ伝統木版画技術保存財団)

広重が描いたのは雪が降り積もる浅草寺。かなり積もってきていますね。白い雪は、和紙の肌地そのまま。建物の屋根や木々に積もった雪の量感を、見事に表現しています。

広重の「浅草金龍山」の復刻版。こんもりと雪が積もっているように見える。(画像提供:アダチ版画研究所)

こんもり積もった雪も、空を舞う牡丹雪も、原理は先ほどの満月と一緒です。色のついている部分より和紙の肌が浮き出て見える効果を利用しています。もちろん、白が膨張色であることも関係しているでしょう。

さてここで、春信の作品をよーく見てみてください。

春信の「雪中相合傘」の復刻版。男女の白黒の着物は、遠目には無地に見えるが、手元で見ると繊細な模様が浮かび上がってくる。

女性の白い着物は絵の具をつけておらず、和紙の肌地そのままです。が、女性の着物に模様が浮かんでいるのが見えるでしょうか。これは「空摺(からずり)」と呼ばれる技法です。版木に絵の具をつけずに摺り、和紙の表面に生まれる凹みによって着物の模様や鳥の羽根、動物の毛並みなどを表します。実は先ほどの広重の浅草寺の作品の中にも、一部に空摺りが用いられています。

春信の「雪中相合傘」の着物の部分の拡大と、着物の模様を「空摺」で摺るための版。

そして春信のこの作品では、雪の部分に白い胡粉(貝殻からつくられる絵具)を摺って、着物の白(=和紙の色)と雪の白(=胡粉の色)との微妙な差異を生み出しています。雪の部分は着物の部分に比べて、摺りの圧力と絵具によってマットな表情になっていますよね。

さて、これだけだと春信の雪の表現に、和紙の肌はさほど活かされていないのですが、実はこの作品、雪の部分に和紙の厚みと柔軟性を活かした「きめ出し」と呼ばれる技法を用いています。こちらは「空摺」とは逆の技法。版木の凹部に和紙を押し当てて刷毛などで叩き、和紙の表面を隆起させる技法です。雪道に浮き上がった筋が入っているのがお分かりいただけるでしょうか。しっかりと繊維が絡み合った丈夫な和紙だからこそできる表現です。

「きめ出し」は今で言うところのエンボス加工、「空摺」は今で言うところのデボス加工にあたります。

「雪中相合傘」の雪の部分の拡大と、「きめ出し」のための版。

和紙の肌の白さややわらかさを活かしながら、さらにこうして表面を加工し、さまざまな表情を生み出す浮世絵版画の技術。浮世絵は、単に図像を眺めるだけでなく、木版画特有の質感に目を向けることで、より深く作品の世界観を味わいうことができます。江戸時代のものを手にすることはなかなか難しいかもしれませんが、機会があれば、ぜひ復刻版の浮世絵で和紙の風合いを楽しんでみてください。

文・「北斎今昔」編集部

浮世絵の技・What's that? 連載目次
ばれん① あの円盤の中には何が入っている?
ばれん② ばれんの握り方、知っていますか?
和紙① 浮世絵の紙は繊維が決め手!
和紙② 浮世絵の月は白?